初級翻訳・鉄人Q 第8話

江戸川 乱歩

鉄人Qが巡査にばけて、逃げたときくと、ミドリちゃんのにいさんの小学校四年生の幸一君が警官の前に進み出て、こんなことをいいました。
「ぼく、さっきからずっと、塔の入口を見てたんです。そしたら、いまから二十分ぐらいまえに、入口からでっかいおまわりさんが出てきました。そして、コソコソと、向こうの人ごみの中へはいっていきました。あれがきっと、鉄人Qだったのですよ。」
しかし、もう、いまとなっては、どうすることもできません。
鉄人Qは、とうとう、姿をくらましてしまったのです。

水の中へ

全身、鉄でできた、生きたロボットの「鉄人Q」は、上野公園の五重の塔から、警官にばけて、逃げだしてしまいました。
それから、ひと月ばかり、どこにかくれているのか、まったくわかりませんでした。
警察は手をつくして、捜しまわったのですが、どうしても見つけだすことができませんでした。
鉄人Qを作った、あやしい老人のうちも、むろんしらべましたが、Qが逃げだしてから、じきにどこかへ、姿をくらましてしまったということでした。
ところが、ひと月ほどたった、ある晩のことです。
新橋の大通りにある、玉宝堂という宝石店にふしぎな事件がおこりました。
夜の九時ごろです。
玉宝堂が、もう、店をしめようとしていますと、ひとりの大男がヌッと店の中へはいってきました。
見ると、背広を着た、りっぱな紳士ですから、店員たちは、
「いらっしゃいませ。」
と、えがおで迎えました。
紳士はツカツカと、ガラスの陳列台のそばによって、いちばん高価なダイヤなどのならんでいる棚を、指さしました。
ひとことも、ものをいいませんが、そこにある宝石を出して、見せてくれという意味にちがいありません。
店員のひとりが、ガラスの戸をあけて、サックにはいっているダイヤを出して、ガラスの台の上におきました。
紳士は、それをちょっと見ましたが、気にいらぬのか、また宝石の棚を指さします。店員は、紳士の指の動くままに、まるで催眠術にでもかかったように、つぎつぎと高価な宝石のサックをとりだし、ガラスの台の上にならべました。
すると、そのときです。
大男の紳士の、がんじょうな腕がサッとガラス台の上にのびたかと思うと、そこに出ていた六つのサックから手早く宝石をぬきとって、自分のポケットに入れてしまったではありませんか。
店員たちはびっくりして、紳士を引きとめようとしましたが、紳士はとりかこむ店員たちを押しのけ、店の外に出るとパッとかけだして横町へ消えてしまいました。
店員たちは、
「どろぼう、どろぼう……」
と叫びながらあとを追って横町へかけつけましたが、そこにはもうだれもいませんでした。
そこはさびしい暗い横町で人通りもなく、向こうの方までよく見えるのですが、いったいどこへ行ったのか、さっきの紳士の姿はかきけすようになくなっていました。
さわぎを聞きつけて、近所の店の人たちや通りがかりの人たちが集まってきました。
おまわりさんもかけつけてきました。
そしてその横町はもちろん、町から町を捜しまわりましたが、なんの手がかりもないのです。
「あいつはものをいわなかったし、顔を少しも動かさなかったぜ。まるで人形の顔みたいだった。ひょっとするとあいつ、上野の塔から逃げた鉄人Qかもしれないぞっ」
店員のひとりがやっとそこへ気がついてどなりました。
集まっていた人びとのあいだに、ワーッというざわめきがおこりました。
「鉄人Qなら魔法使いだ。姿をかくす名人だ。いくら捜したってもう見つかりっこないよ」
だれかがそんなことをいいだしました。
鉄人Qと聞くとこわくなったのか、集まった人たちはひとり去りふたり去り、だんだん人数がへって、しばらくするとだれもいなくなってしまいました。
玉宝堂の店員たちはぶつぶついいながら店に帰り、おまわりさんもそのことを報告するために本署へいそぎました。
暗い横町はガランとして、人っこひとりいなくなってしまいました。
ところが、その横町のまん中へんのごみ箱のかげに、何か動いているものがあるではありませんか。
犬でしょうか? いや、犬ではありません。
きたない服をきた小さな少年です。
こじきの子どもでしょうか? そうかもしれません。
その少年はごみ箱のかげにしゃがんで、じっと向こうの地面を見つめています。
いっしょうけんめいに見つめているのです。
いったい何を見つめているのでしょうか。
すると、少年の見つめているあたりの地面がユラユラと動きだしたではありませんか。
地面があんなに動くわけはありません。
いったいどうしたというのでしょう。
ああ、わかりました。
マンホールの鉄のふたです。
あの丸いふたがジリッ、ジリッと下から持ちあがってくるのです。
そしてその下から現われたのは……あいつです。
あの、お面のような顔をした鉄人Qの姿です。
かれはまたしてもマンホールの中にかくれていたのです。
かれはあなから出て鉄のふたをもとのとおりにしめて、そのまま歩きだしました。
横町から横町へと人通りの少ない町をよってだんだん東の方へ、つまり東京湾の方へ歩いていくのです。
ごみ箱のかげにかくれていた少年はこっそり鉄人Qのあとをつけていきます。
「やっぱりそうだった。ふつうの人間にはマンホールの鉄のふたをひとりで動かすのはむずかしいが、あいつならできると思った。鉄の腕を持っているんだからな」
そうつぶやいた少年の顔を見ますと、それは少年探偵団のチンピラ別働隊の、ポケット小僧でした。
このお話ではポケット小僧ははじめて出てきましたが、ほかの事件ではたいへん活躍している、有名な小僧なのです。
十二歳ですが見たところ六つぐらいの大きさで、ポケットにはいるほど小さいというのでポケット小僧と呼ばれているのです。
ポケット小僧は今晩銀座に用事があって、その帰りに新橋の大通りを通りかかったとき玉宝堂の事件がおこったので、集まってきた人たちにまじってようすを見ていたのですが、みんなが帰ってしまってもポケット小僧だけは帰らないでごみ箱のかげにかくれてじっとしんぼうづよくマンホールを見はっていたのです。
小僧の考えはみごとにあたりました。
さすがは少年探偵団のチンピラ隊員です。
鉄人Qはポケット小僧につけられているとも知らず新橋に出て、川ぞいに浜離宮の方へ歩いていきます。
そのころはもう十時をすぎていましたから、あの辺は人通りも少なく町もうすぐらくて、鉄人のみょうな姿に気づくものもありません。
「よし、どこまでも尾行してあいつのすみかをつきとめてやろう」そして、少年探偵団とチンピラ隊の力であいつをつかまえてみせるぞっ。
」
 ポケット小僧は心の中で、そんなことをつぶやきながら、しゅうねんぶかく、尾行をつづけました。
大声で叫べば人が集まってきて、とらえてくれるかもしれませんが、それではおもしろくないと考えたのです。
ところが、浜離宮まで行かないうちに、ふしぎなことがおこりました。
そこは川づたいの道でしたが、その川岸の、石段のあるところへ、さしかかりました。
舟に荷物をつんだり、おろしたりするための石段です。
石段は川の水面までつづいていました。
鉄人Qは何を思ったのか、その石段をおりはじめたではありませんか。

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