初級翻訳・魔法人形 第12話

江戸川 乱歩

明智探偵は事件の四日あとに大阪から帰ってきて、小林君から詳しい話を聞きました。
しかし、ルミちゃんが無事に帰ってきて、ともかく事件は一段落したのですから、怪老人がまた何か悪い企みをするまでは、手がかりをつかみようがないのです。
ところが、それから一か月ほどたったある日のこと、渋谷区の神山(かみやま)さんの家に、奇妙なことが起こっていました。
神山さんは、銀座の「宝玉堂(ほうぎょくどう)」という宝石商の社長で、渋谷駅から一キロほどの閑静な住宅街に、立派な西洋館の邸宅を持っていました。
神山さんには、中学一年生の進一(しんいち)君と、小学校五年生のサナエちゃんという、ふたりの子どもがいました。
そのふたりが、いまサナエちゃんの部屋で、なにか言い争っているのです。
「サナエの人形きちがい! そんなに人形ばっかり大事にしていると、いまにお前も人形になっちゃうぞ!」
 進一君が妹をからかいました。
「いいわよ、お兄ちゃんのいじわる! この人形たちがみんなあたしの味方だから、お兄ちゃんなんか、いくらいじめたって平気よ!」
 人形きちがいと言われるのも、もっともなことでした。
その部屋には壁いっぱいのガラス戸だながあって、その中にありとあらゆる人形が飾ってあるのです。
サナエちゃんは四つぐらいの頃から人形が好きでたまらなくなり、おねだりをして買ってもらった人形が、いつの間にかこんなにたまっていたのです。
お父さんやおじさんたちが旅行のおみやげにくださった、いろいろな地方の人形が、こけし人形をはじめとして、ウジャウジャと並んでいました。すこし大きいのでは、歌舞伎人形、なよなよとした姿のロマンス人形、目の青い西洋人形、船長のおじさんにもらったイタリアの大理石人形、京都で買ったかわいい三八(さんぱち)人形、ミルクを飲む人形、寝かすと「おぎゃあ」と泣く赤ちゃん人形。
さらに大きいものになると、文楽人形のおひめさま、サナエちゃんと同じくらいの大きさの西洋の少女人形、電気で動くロボット人形まで、数えきれないほどずらりと並んでいるのです。
サナエちゃんの人形好きは、学校でも近所でも大評判で、「人形むすめ」というあだなさえついていました。
お兄さんの進一君は、サナエちゃんがそんなにたくさん人形を持っているのがうらやましいのです。
でも、男の子が人形なんか集めるわけにはいきませんから、負けおしみで「人形きちがい」となんてからかうのです。
「お兄ちゃんだって、探偵きちがいだわ。
名探偵・明智小五郎の弟子だなんていばっているんだもの。
明智探偵に会ったこともないくせに!」
「なんだと? 生意気いうな。
明智先生には二度も会ってるよ。
話をしたこともあるんだぼくは。
少年探偵団の団員だからね。
団長の小林さんは明智先生の弟子だから、団員のぼくらだって弟子なんだよ。
ほら、このB・Dバッジを見ろ! これを持っているのが少年探偵団員の証拠じゃないか、ワーイ、ざまあみろ!」
 進一君はポケットから、ピカピカ光るB・Dバッジをひとにぎり取り出すと、ジャラジャラと音をさせながら、サナエちゃんの鼻の先へつきつけて見せるのでした。
そのとき、ドアが開いて女中さんが顔を出しました。
「サナエちゃん、玄関へへんな人が来ましたよ。
大きな美しい人形を売りに来たらしいのです。
それはすばらしい人形よ。
奥様がその人と話していらっしゃるの。
行ってごらんなさい」
 人形と聞くとサナエちゃんは、もう夢中です。
パッと椅子から飛び上がると、バタバタと玄関のほうへ駆け出していきました。
「本当に人形むすめだなあ! ぼく、たまげたよ」
 進一君にあきれたようにつぶやきましたが、そのくせ自分もじっとしていられなくなって、サナエちゃんのあとからノコノコとついていくのでした。

あやしい男

 行ってみますと、玄関のホールの板の間に、やせた背の高い男が、目もさめるような美しい女の人形をだいて立っていました。
おかあさんが、すみのほうからあきれたように見つめています。
男は黒い服を着ていました。
真ん中から分けた髪の毛が、気味の悪いほどまっ黒です。
高いわし鼻の下にぴんとはねた黒いひげが生えていて、ものを言うたびにそれがピクピク動くのです。
みょうにキラキラ光る目、さかだった眉毛。
ひたいには何本も横ジワがきざまれています。
若いのか年寄りなのか、見れば見るほどわからなくなるような、気味の悪い男です。
サナエちゃんが出てきたのを見ると、男はニヤニヤ笑いながら話しかけました。
「ああ、そこにおいでになったのはお嬢様ですね。
おじさんはちゃんと知っていますよ。
あなたは人形が大好きでしょう。
人形をどっさりお持ちですってね。
しかし、こんなりっぱな人形はありますまい。
え? どうです? ご覧なさい。
まるで生きているようじゃありませんか。
あなたのお姉さまにちょうどよろしいですよ。
この人形はね、ユリ子といいましてね、ひとつ踊らせてお目にかけましょうか」
 男は抱いていた人形を自分の前に立たせ、後ろから両手を人形の脇の下に入れて、踊りを踊らせるのでした。
人形は十五、六歳の美しい娘さんでした。
きれいな髪飾りをつけ、はでな友禅(ゆうぜん)の振袖に金ラン(きんらん)の帯をしめ、うっとりするようなかわいらしい顔をしていました。
その人形が、両手をしなやかに動かし、振袖をひらひらさせて踊っているのです。
本当に生きているようです。
踊りにあわせて顔も動き、こちらを見てにっこり笑ったように思われました。
サナエちゃんは、いつかお父さんに連れられて文楽の人形を見に行ったことがあります。
あの文楽の人形のおどりとよく似ているのです。
いや、それよりももっと生き生きして、まるで生きた人間が踊っているように見えるのです。
「おかあさま、あれ売りにきたの?」
 サナエちゃんは、もうほしくてたまらないという顔でおかあさんを見上げました。
「ええ、そうよ」
「あたし、ほしいわ。
こんなすばらしい人形、見たことないわ」
 すると男は早くもそれを聞きつけて、踊りの手を止めると、
「お嬢さま、お気にいりましたか? おかあさまにおねだりなさい。
きっと買ってくださいますよ。
こんなりっぱな人形が、たった一万円なのです」衣装だけでも、三万円の値打ちはありますよ。
奥さま、いかがですか。
お嬢さまがあんなにほしそうにしていらっしゃるじゃありませんか。
」
 十五、六歳の娘と同じ大きさで、本物の友禅の着物に、本物の金蘭の帯をしめているのですから、一万円とはおそろしく安い値段です。
「では、お父さまにおたのみしてあげましょう。
」
 おかあさんはそう言って奥へはいっていきましたが、すぐに戻ってきて、その人形を買い取ることにしました。
「お嬢さまのお部屋まで持ってまいりましょう。
そして、お嬢さまのお集めになった人形を拝見したいものでございます。
」
男はそう言ってまたニヤリと笑いました。
サナエちゃんは、人形が手に入ることになったのでもう夢中です。
気味の悪さも忘れて、その異様な男を案内して自分の部屋へと急ぐのでした。

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