陸軍大将の川島君は、回向院(えこういん)というお寺にある、濡れ仏さまの石段の前に立ち、自分の軍隊を点検していました。
軍隊といっても、味方は保吉を含めてたった四人。
金ボタンの制服を着ている保吉以外は、みんな紺色の小さな模様が入った着物を着ています。
これはもちろん、今ある国技館のすぐそばの回向院ではありません。
まだ嵐の朝などには、有名な泥棒・鼠小僧の墓のあたりに銀杏の葉が山のように積もる、二昔前の回向院です。
昔ののどかな景色――江戸というよりも、江戸の端っこにある「本所」という当時の景色は、ずっと昔に消えてなくなってしまいました。
でも、鳩たちだけは今と変わりません。いや、もしかすると鳩も少し違っているのかもしれませんね。
その日も、濡れ仏さまの石段のまわりは、ほとんど鳩でいっぱいでした。
でも、どの鳩も今日見かける鳩ほど小ぎれいには見えませんでした。
「門前の土鳩を友や樒(しきみ)売り」――江戸時代の俳人が詠んだこの句は、必ずしもこの回向院のしきみ売りのことを指しているとは限りませんが、保吉はこの句を見るたびに、石段のまわりにごみごみと群がっていた鳩を、喉の奥で鳴き声を響かせながら、薄日の光の中で震えていた鳩たちを思い出さずにはいられないのです。
鑢屋(やすりや)の息子である川島君は、悠々と点検を終えると、着物の懐からナイフやパチンコ、ゴム鞠などと一緒に、一束のカードを取り出しました。
これは駄菓子屋で売っている「行軍将棋」のカードです。
川島君はみんなに一枚ずつカードを渡し、四人の部下を任命しました。
ここでその役職を発表すると、桶屋の息子の平松君は「陸軍少将」、巡査の息子の田宮君は「陸軍大尉」、小間物屋の息子の小栗君はただの「工兵」、そして堀川保吉は「地雷火」でした。
地雷火というのは、悪い役ではありません。工兵にさえ出会わなければ、大将をも捕まえられるすごい役なのです。
保吉はもちろん得意満面でした。
ところが、丸々と太った小栗君は、任命が終わるか終わらないかのうちに、「工兵」になることへの不満を訴え出ました。
「工兵なんてつまらないよ! ねえ、川島さん、僕も地雷火にしてよ!」
「お前はいつもすぐに捕まるじゃないか?」
川島君は真顔でたしなめました。
けれど小栗君は顔を真っ赤にしながら、少しもひるまずに言い返しました。
「嘘だよ! この前、大将を捕まえたのは僕じゃないか!」
「そうだったか? じゃあ次は大尉にしてやるよ。」
川島君はニヤリと笑うと、あっという間に小栗君を言いくるめてしまいました。
保吉は今でも、この少年の悪知恵の鋭さに驚かされます。
川島君は小学校を卒業する前に、熱病で亡くなってしまいました。
でも、もし死なずにいて、運良く教育を受けていたら、今はきっと若くて勢いのある市会議員か何かになっていたに違いありません。「開戦!」
この時、そう叫んだのは表門の前に陣取った、同じくらいの人数からなる敵軍です。
敵軍は今日も、弁護士さんの息子の松本くんを大将にしているようです。
紺色の飛白(かすり)の着物の胸元から赤いシャツをのぞかせ、髪をきれいに分けた松本くんは、開戦の合図を送るためか、学校の帽子を高く振り回しています。
「開戦!」
カードをしっかり握りしめた保吉は、川島くんの号令と同時に、誰よりも先へ向かって突撃しました。
その瞬間、静かに地面に群がっていた鳩たちが、すごい羽音を立てて大きな輪を描きながら空へ舞い上がりました。
それから――それからは、かつてない激しい戦いの始まりです。
硝煙(しょうえん)がみるみるうちに山のように立ちこめ、敵の砲弾が雨のように彼らのまわりに降り注ぎ、爆発します。
それでも味方は勇敢に、じりじりと敵の陣地へと迫っていきました。
もちろん、敵の「地雷火」が凄まじい火柱を上げると、たちまち味方の「少将」は粉々に砕け散ってしまいます。
けれど敵軍も「大佐」を失い、その次には保吉が一番恐れていた敵の「工兵」さえも失いました。
これを見た味方は、今まで以上に猛烈な攻撃を仕掛けました。
――もちろん、これはすべて事実ではありません。
ただ、保吉の空想の中に映し出された、回向院(えこういん)での激戦の光景です。
それでも彼は、落ち葉だけが明るく照らす、どこか寂しげな境内を駆け回りながら、硝煙の匂いや飛び交う砲火の光を、はっきりと感じていたのです。
いや、あるときは大地の底で爆発のチャンスをうかがう「地雷火」の気持ちさえ、自分の心の中に感じていました。
こうしたワクワクするような空想は、中学校に入るといつの間にか彼のもとを去ってしまいました。
今の彼は、戦いごっこの中に旅順港の激戦を見るどころか、むしろ現実の激戦の中にさえ、ただの戦いごっこを見てしまうような大人になってしまいました。
しかし、昔の記憶は幸いにも、彼を少年時代へと呼び戻してくれました。
彼はまず何よりも、当時のように空想の世界を楽しむ、この上ない喜びを味わわなければなりません。
――硝煙はみるみるうちに山のように立ちこめ、敵の砲弾が雨のように彼らのまわりに降り注ぎ、爆発します。
保吉はその中を真っ直ぐに、敵の大将へと飛びかかりました。
敵の大将は身をかわすと、一目散に陣地へ逃げ込もうとします。
保吉はそこへ追いすがりました。
と思ったその時、石に躓いたのか、仰向けにドサリと転んでしまいました。
同時に、勇ましい空想もシャボン玉のように消えてしまいました。
もう彼は、誇り高い「地雷火」ではありません。
顔は鼻血で真っ赤に汚れ、ズボンの膝には大きな穴が開き、帽子もどこかへ消えてしまった、ただの少年です。
彼はやっとの思いで立ち上がると、思わず大声で泣き出してしまいました。
敵味方の少年たちは、この騒ぎに、せっかくの激戦も中断して、保吉のまわりに集まってきたようです。
「やあ、ケガしちゃったのか?」と言う子もいれば、
「仰向けになりなよ」と言う子もいます。
「おいらのせいじゃないぞ!」と言い訳する子もいます。
でも、保吉は痛みよりも、言葉にできない悲しさのあまり、腕の中に顔を隠したまま、いっそう懸命に泣き続けました。
すると突然、耳元で嘲笑うような声がしました。陸軍大将の川島くんです。
「やーい、お母さんって泣いてやがる!」
川島くんの言葉は、たちまちのうちに、みんなの言葉を笑い声に変えてしまいました。
特に大声で笑い出したのは、「地雷火」になり損ねた小栗くんです。
「おかしいな。お母さんって泣いてやがる!」
けれど保吉は、泣いてはいたけれど、「お母さん」なんて言葉を口にした覚えはありません。
それを言ったと決めつけるのは、いつもの川島くんの意地悪です。
――そう思った彼は、悲しさに加えてさらにこみ上げてくる悔しさで胸がいっぱいになり、震えながら泣き続けました。
しかし、もう気の弱い彼に優しくしてくれる子なんて誰もいません。
それどころか、みんな口々に川島くんの言葉を真似しながら、バラバラにどこかへ走り去ってしまいました。
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