初級翻訳・銀河鉄道の夜 第11話

宮沢 賢治

本当に、その透き通ったきれいな風は、バラの香りでいっぱいでした。

「いかがですか。こんなリンゴは初めてでしょう。」
向こうの席の灯台守が、いつのまにか黄金色と赤色で美しく彩られた大きなリンゴを、落とさないように両手で膝の上にかかえていました。
「おや、どこから持ってきたのですか。立派ですね。ここら辺では、こんなリンゴができるのですか。」
青年は本当にびっくりした様子で、灯台守の両手に抱えられたリンゴの山を、目を細めたり首を傾げたりしながら、夢中になって眺めていました。
「いや、まあ、取ってください。どうか、遠慮せずに取ってください。」
青年はひとつ取って、ジョバンニたちの方を少し見ました。
「さあ、向こうの坊やたちも。どうですか、取ってください。」
ジョバンニは「坊や」と言われたので、少ししゃくにさわって黙っていましたが、カムパネルラは「ありがとう」と言いました。
すると青年は自分でリンゴを取って、ひとつずつ二人に渡してくれたので、ジョバンニも立ち上がって「ありがとう」と言いました。
灯台守はこれで両手が空いたので、今度は自分でひとつずつ、眠っている姉弟の膝の上にそっと置きました。
「どうもありがとうございます。どこでできるのですか、こんな立派なリンゴは。」
青年はリンゴをじっくりと見つめながら言いました。
「この辺りでももちろん農業はしますが、たいていは勝手に良いものができるような決まりになっているんです。農業だってそんなに苦労はしません。たいてい、自分の望む種さえ蒔けば、勝手にどんどん育つんですよ。」お米だって、太平洋のあたりでとれるもののように、殻もなくて粒が十倍も大きくて、とってもいい香りがするんですよ。
けれども、あなたがたがこれから行く先では、もう農業なんてありません。
リンゴもお菓子も、食べたあとのカスなんて少しも残りませんから、みんな一人ひとりの体から、それぞれ違ったいい香りになって、毛穴からふわりと消えていってしまうんですから。」

突然、男の子がパッチリと目をあけて言いました。
「ああ、ぼく、いまお母さんの夢を見ていたよ。
お母さんがね、立派な戸棚や本がたくさんある部屋にいて、ぼくの方を見て手を伸ばして、ニコニコニコニコ笑っていたんだ。
ぼくが『お母さん、リンゴを拾ってきてあげようか』って言ったら、目が覚めちゃった。
ああ、ここ、さっきの汽車の中だね。」

「そのリンゴなら、そこにありますよ。
このおじさんにいただいたんです。」青年が言いました。
「ありがとう、おじさん。
おや、かおる姉さんもまだ寝ているね。ぼく、起こしてあげよう。
ねえさん。
ごらん、リンゴをもらったよ。
起きてごらん。」

お姉さんは笑って目を覚まし、まぶしそうに両手を目に当ててから、リンゴを見ました。
男の子はまるでパイを食べるみたいに、もうリンゴを食べていました。
せっかく剥いたきれいな皮も、クルクルとコルク抜きのような形になって床へ落ちるまでの間に、スーッと灰色に光って蒸発してしまいました。
二人はリンゴを大切にポケットにしまいました。

「いま、どの辺りを走っているの?」ジョバンニが聞きました。
「ここだよ。」カムパネルラは、鷲の停車場の少し南を指さしました。
川下の向こう岸には青々と茂った大きな林が見え、その枝には熟して真っ赤に光る丸い実がいっぱいなっています。その林の真ん中には、高くて高い三角標が立っていて、森の中からはオーケストラやシロフォンに混じって、なんとも言えずきれいな音色が、とけるように、しみ込むように、風に乗って流れてくるのでした。
青年はゾクッとして、体を震わせるようにしました。
黙ってその調べを聞いていると、あたり一面に黄色や薄い緑の明るい野原や敷物が広がっているようで、また真っ白なロウのような霧が、太陽の面をかすめていくようにも思われました。

「まあ、あのカラス!」カムパネルラの隣の、かおると呼ばれた女の子が叫びました。
「カラスじゃない。みんなカササギだよ。」カムパネルラがまた何気なく叱るように言ったので、ジョバンニは思わず笑ってしまい、女の子は少し恥ずかしそうにしました。
確かに川原の青白い光の上に、黒い鳥がたくさんたくさん、いっぱいに列になって止まって、じっと川の微かな光を受けていたのです。
「カササギですねえ。頭の後ろのところに毛がピンと伸びていますから。」青年はフォローするように言いました。

向こうの青い森の中の三角標が、すっかり汽車の正面に来ました。
そのとき、汽車のずっと後ろの方から、あの聞き慣れた306番の賛美歌のメロディーが聞こえてきました。
かなりの人数で合唱しているようでした。
青年はサッと顔色が青ざめ、立って一度そちらへ行こうとしましたが、思い直してまた座りました。
かおるはハンカチを顔に当ててしまいました。
ジョバンニまで、なんだか鼻の奥がツンと変になりました。
けれども、いつのまにか、誰ともなくその歌は歌い出され、だんだんとはっきりと強くなっていきました。
思わずジョバンニもカムパネルラも一緒に歌い出しました。
そして青いオリーブの森が、見えない天の川の向こうにさめざめと光りながら、だんだん後ろの方へ去っていき、そこから流れてくる不思議な楽器の音も、もう汽車の響きや風の音にかき消されて、ずっとかすかになりました。

「あ、クジャクがいるよ。あ、クジャクがいるよ。」
「あの森は、琴の宿でしょう。あたし、きっとあの森の中には、昔の大きなオーケストラの人たちが集まっていらっしゃると思うわ。周りには青いクジャクやなんか、たくさんいると思うわ。」女の子が答えました。
ジョバンニは、その小さく小さくなって、いまはもう一つの緑色の貝ボタンのように見える森の上に、サッと青白く時々光って、そのクジャクが羽を広げたり閉じたりするのを見ました。
「そうだ、クジャクの声だってさっき聞こえた。」カムパネルラが女の子に言いました。
「ええ、30匹くらいは確かにいたわ。」女の子が答えました。
ジョバンニは急に、なんとも言えず悲しい気持ちがして、思わず「カムパネルラ、ここから飛び降りて遊んでいこうよ」と、怖い顔をして言おうとしたくらいでした。
ところがそのとき、ジョバンニは川下の遠い方に不思議なものを見ました。
それは確かに何か黒くてツルツルした細長いもので、あの見えない天の川の水の上に飛び出して、ちょっと弓のような形に進んで、また水の中にかくれたようでした。「おかしいな」と思ってじっと目をこらしていると、今度はもっと近くで、同じようなことが起きたみたいでした。
そのうち、あっちでもこっちでも、あの黒くてツルツルした不思議な生き物が水から飛び出して、円を描くように飛んでは、また頭から水の中へ潜っていくのがたくさん見えるようになりました。
みんな、まるで魚みたいに川上の方へ登っていくようです。
「まあ、あれは何かしら。
たあちゃん、見てごらんなさい。
まあ、たくさんいるわねえ。
あれ、何かしら。」
眠そうに目をこすっていた男の子は、びっくりしたみたいに立ち上がりました。
「なんだろう。」青年も立ち上がりました。
「まあ、おかしな魚だわ、あれは何かしら。

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