すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらく黙っていましたが、また思い切ったように言いました。
「先生、それは嘘でございます。先生は毎日あんなに上手に、みんなの病気を治していらっしゃるではありませんか」
「何のことだかさっぱりわからんね」
「だって先生、先生のおかげで、うさぎのおばあさんも治りましたし、たぬきのお父さんも治りましたし、あんな意地悪なみみずくまで治していただいたのに、この子だけ助けていただけないなんて、あまりに情けないことでございます」
「おいおい、それは何かの間違いだよ。俺はみみずくの病気なんて治した覚えはないからな。……もっとも、たぬきの子は昨夜来て、楽隊のまねごとをしていったがね。ははん」
ゴーシュは呆れて、その小さなねずみを見下ろして笑いました。
すると、野ねずみのお母さんは泣き出してしまいました。
「ああ、この子が病気になるなら、もっと早ければよかった。さっきまであんなにゴーゴーと音を鳴らしていらしたのに、いざ病気になると、ぴたっと音が止まって、あとはいくらお願いしても鳴らしてくださらないなんて。なんて不幸せな子供でしょう」
ゴーシュはびっくりして叫びました。
「何だと? 俺がチェロを弾けば、みみずくやうさぎの病気が治るって? どういうわけだ、それは!」
野ねずみは片手で目をこすりながら言いました。
「はい、このあたりの動物たちは、病気になるとみんな先生のおうちの床下に入って療養するのです」
「すると治るのか?」
「はい。体じゅうの血の巡りがとても良くなって、すごくいい気持ちになって、すぐに治る方もいれば、うちへ帰ってから治る方もいます」
「ああ、そうか。俺のチェロの音がゴーゴー響くと、それがマッサージの代わりになって、お前たちの病気が治るというのか。よし、わかったよ。やってやろう!」
ゴーシュは少しギウギウと糸を合わせてから、いきなり野ねずみの子供をつまみ上げ、チェロの穴から中へ入れてしまいました。
「わたしも一緒について行きます! どこの病院でもそうですから!」
お母さんの野ねずみは、気が狂ったみたいになってチェロに飛びつきました。
「お前さんも入るのかい?」
チェロ弾きはお母さんの野ねずみをチェロの穴からくぐらせようとしましたが、顔が半分しか入りません。
野ねずみはバタバタしながら、中の子供に向かって叫びました。
「お前、そこは大丈夫かい? 落ちるときはいつも教えたように、足をそろえてうまく落ちたのかい?」
「うん。うまく落ちたよ」
子供のねずみは、蚊のような小さな声でチェロの底から返事をしました。
「大丈夫さ。だから泣き声を出すなと言ったんだ」
ゴーシュはお母さんのねずみを下におろすと、弓をとって『何とかラプソディ』とかいう曲を、ゴーゴー、ガーガーと弾きました。
するとお母さんのねずみは、いかにも心配そうにその音の具合を聞いていましたが、とうとうこらえきれなくなった様子で言いました。
「もうたくさんです! どうか出してやってください!」
「なんだ、これでいいのか?」
ゴーシュはチェロを傾け、穴のところに手をあてて待っていると、間もなく子供のねずみが出てきました。ゴーシュは、だまって子供のねずみをチェロから下ろしてやりました。
見ると、子供のねずみは目をぎゅっとつぶったまま、ぶるぶるぶるぶると震えていました。
「どうだった?
いいかい。
気分はどうだい?」
すると、子供のねずみは返事もせずにしばらく目を閉じたまま震えていましたが、急にぴょんと起き上がって走りだしました。
「ああ、よくなった!
ありがとうございます!
ありがとうございます!」お母さんのねずみも一緒に走りだしましたが、すぐにゴーシュの前まで戻ってくると、何度も何度も頭を下げながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と十回も繰り返しました。
ゴーシュは、なんだか気の毒なような、不思議な気持ちになって、
「おい、お前たちはパンを食べるのか?」と聞きました。
すると野ねずみは、びっくりしたようにキョロキョロとあたりを見回してから、
「いいえ、パンといえば小麦粉をこねて蒸したものですよね。ふっくらと膨らんでいて、とてもおいしいものだと聞いております。でも、私たちのような者が戸棚に忍び込んだこともありませんし、ましてやこんなにお世話になったあとで、どうしてそんなものを盗んでこられましょうか」と答えました。
「いや、盗めと言ったんじゃない。ただ食べるのかと聞いたんだ。じゃあ食べるんだな。ちょっと待っていろ。そのお腹の悪い子供にやるからな」
ゴーシュはチェロを床に置くと、戸棚からパンをひとつまみちぎって野ねずみの前に置きました。
野ねずみはもう、うれしさで我を忘れたように泣いたり笑ったりおじぎをしたりしてから、宝物でも持つようにパンをくわえ、子供を先頭にして外へ出て行きました。
「ふう……ねずみと話すのも、なかなか疲れるな」ゴーシュは寝床へどっかりと倒れこむと、すぐにぐうぐうと眠ってしまいました。
それから六日目の晩のことでした。
金星音楽団のメンバーたちは、町の公会堂のホールの裏にある控室へ、みんな顔をほてらせながら楽器を抱えて、舞台のほうからぞろぞろと引きあげてきました。
見事に「第六交響曲」を弾き終えたのです。
ホールでは、拍手の音がまだ嵐のように鳴り響いています。
楽長はポケットに手を突っ込んで、「拍手なんてどうでもいい」というような顔でみんなの間を歩き回っていましたが、実はうれしさで胸がいっぱいでした。
みんなはタバコに火をつけたり、楽器をケースにしまったりしました。
ホールでは、拍手がさらにパチパチと高まっていきます。それどころか、ますます大きくなって、なんだか怖いような、手がつけられないほどの熱狂的な音になりました。
そこへ、胸に大きな白いリボンをつけた司会者が入ってきました。
「アンコールがかかっていますが、何か短い曲を聞かせてやってくれませんか?」
すると楽長は、キッと目をつり上げて答えました。
「いけませんな。あんな大曲のあとに何を演奏したって、こちらの気が済むわけがないんです」
「では楽長さん、出ていって少し挨拶だけでもしてください」
「だめだ。おい、ゴーシュ君、何か出て弾いてやってくれ」
「わたしがですか?」ゴーシュは呆気に取られました。
「君だよ、君だ!」バイオリンの首席奏者がいきなり顔を上げて言いました。
「さあ、行ってきなさい」楽長が言いました。
みんなはゴーシュに無理やりチェロを持たせ、扉を開けると、いきなり舞台へと押し出してしまいました。
ゴーシュが、あの穴の開いたチェロを持って困り果てながら舞台に出ると、観客たちは「それ見たことか」と言わんばかりに、さっきよりも激しく手を叩きました。
「わあー!」と叫ぶ声も聞こえた気がしました。
「どこまで人をばかにすれば気が済むんだ。よし、見ていろ。印度の虎狩りを弾いてやるからな」ゴーシュはすっかり落ち着きを取り戻して、舞台の真ん中へ出ました。
そして、あの猫がやってきたときのように、まるで怒った象のような勢いで「虎狩り」を弾き始めました。
すると、観客たちはシーンと静まり返って、一生懸命に聞き入っています。
コメント