初級翻訳・牛をつないだ椿の木 第4話

新美 南吉

もう一方には、崖を少し削り取って、そこに新しい井戸ができていました。
そこまで来ると、行列が止まってしまいました。
先頭の海蔵さんが止まったからです。
学校帰りの小さい子供が二人、井戸から水を汲んで、ゴクゴクと音を立てながら、おいしい水を飲んでいました。
海蔵さんは、それをニコニコしながら見ていました。
「おれも、一杯飲んで行こうかな」
子供たちが飲み終わると、海蔵さんはそう言って、井戸のところへ行きました。
中をのぞくと、新しい井戸には、新しい清水がたっぷりと湧いていました。
ちょうどそのように、海蔵さんの心の中にも、喜びが湧き上がっていました。
海蔵さんは水を汲んで、うまそうに飲みました。
「わしはもう、思い残すことはないがや。こんな小さな仕事だけど、人のためになることを残すことができたからな」
と、海蔵さんは誰でもいいからつかまえて、そう言いたい気持ちでした。
しかし、そんなことは言わずに、ただニコニコしながら、町の方へ坂を登って行きました。
日本とロシアが、海の向こうで戦いを始めていました。
海蔵さんは海を渡って、その戦いの中へ向かっていくのでした。

七

ついに海蔵さんは、帰ってきませんでした。
勇ましく日露戦争の花となって散ったのです。
しかし、海蔵さんが残した仕事は、いまでも生きています。
椿の木陰には清水がいまでもコンコンと湧き、道に疲れた人々は、喉を潤して元気を取り戻し、また道を歩んでいくのであります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました