二人とも月給を五円ずつもらって、日に二時間ほど教えていました。
僕は英語で地理や幾何学を教えていました。
幾何学の説明をする時、どうしても重なるはずの線が重ならなくて困ったことがありました。
ところが、複雑な図を太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上でピタリと重なってくれた時は嬉しかったものです。
二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備校(予備門)に通いました。
その頃、予備校の月謝は二十五銭でした。
二人は自分たちの月給を机の上にぐちゃぐちゃに混ぜて、そこから月謝の二十五銭と、食費の二円、それに銭湯代を少し引いて、残ったお金をポケットに入れては、蕎麦や汁粉や寿司を食べ歩いていました。
共同の財産が尽きると、二人ともまったく外に出なくなりました。
予備校へ行く途中、両国橋の上で、「お前が読んでいる西洋の小説には、美人が出てくるのか?」と中村が聞いたことがあります。
僕は「うん、出てくるよ」と答えました。
しかし、その小説が何というタイトルで、どんな美人が出てきたのかは、今ではすっかり覚えていません。
中村はその時から、小説などを読まない男でした。
中村がボート競技のチャンピオンになって勝った時、学校から少しお金をもらい、そのお金で本を買うことになりました。ある先生が、その本に「記念として贈る」という言葉を書き添えてくれました。
中村はその時、「俺は本なんていらないから、何でもお前の好きなものを買ってやるよ」と言ってくれました。
そうして、アーノルドの論文集とシェイクスピアの『ハムレット』を買ってくれました。
その本は、今でも持っています。
僕はその時、初めて『ハムレット』を読んでみました。
ちっとも分かりませんでした。
学校を出ると、中村はすぐ台湾へ行きました。
それきり一度も会わなかったのに、偶然、ロンドンの真ん中でバッタリと出くわしたのです。
ちょうど七年ほど前のことです。
その時の中村は、昔と少しも変わらない顔をしていました。そうして、お互いに金をたくさん持っていました。
自分は中村と一緒に、あちこちへ遊び歩いたものです。
中村も昔とは違って、「お前が読んでいる西洋の小説には美人が出てくるのか?」などとは聞いてきませんでした。
それどころか、向こうから西洋の美人の話をしてくれるようになったのです。
日本へ帰ってからは、また会わなくなってしまいました。
すると今年の1月の終わり、突然使いの者がやってきて、「話がしたいから、築地の新喜楽という料亭まで来い」と言ってきました。
正午までには来るようにという注文でしたが、時計を見るともう11時を過ぎています。
おまけに、その日に限って北風がものすごく強く吹いていました。
外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いです。
自分は、その日の午後にどうしても片付けなければならない用事がありました。
妻に電話をかけさせて、「明日では都合が悪いだろうか」と聞いてもらうと、「明日になると出発の準備や何かで、こっちも忙しいから……」と言いかけたところで、電話が切れてしまいました。
何度かけても、どうしてもつながりません。
「たぶん風のせいでしょうね」と言って、妻が寒い顔をして帰ってきました。
そんなわけで、結局会わずじまいになってしまったのです。
昔の中村は、満鉄の総裁になりました。
昔の自分は、小説家になりました。
満鉄の総裁とはどんな仕事をするものか、自分はまったく知りません。
中村も、自分の書いた小説をこれまで一度も読んだことはないでしょう。
クレイグ先生
クレイグ先生は、まるで燕(つばめ)のように、高いビルの四階の上に巣を構えています。
道端に立って見上げたところで、窓の姿さえ見えません。
下からだんだんと階段を昇っていくと、足の付け根が少し痛くなる頃に、ようやく先生の門の前にたどり着きます。
門といっても、扉や屋根があるような立派なものではありません。
幅が1メートルもない黒い戸に、真鍮(しんちゅう)のドアノッカーがぶら下がっているだけです。
しばらく門の前で一休みしてから、このノッカーの先をこつこつと戸板にぶつけると、中から開けてくれます。
開けてくれるのは、いつも決まって女の人です。
近眼のせいか、いつも眼鏡をかけていて、絶えず何かに驚いているような顔をしています。
年は50歳くらいですから、ずいぶん長い間世の中を見て暮らしてきたはずなのに、やっぱりまだ驚いているのです。
戸を叩くのが気の毒になるほど大きな目をして、「いらっしゃい」と声をかけてくれます。
中へ入ると、その女の人はすぐに消えてしまいます。
そして、その奥にある客間へ通されます――最初は客間だとも思いませんでしたが。
特別な飾りも何もない部屋です。
窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけ。
クレイグ先生は、たいていそこに陣取っています。
自分が部屋に入っていくのを見ると、「やあ」と言って手を差し出してきます。
握手をしろという合図なので、手を握ることは握りますが、相手は一度も握り返してくれたことがありません。
こっちもあまり握り心地が良いわけではないので、いっそやめてしまえばいいのにと思うのですが、それでもやっぱり「やあ」と言って、毛だらけで皺(しわ)だらけの、そして例によって消極的な手を差し出すのです。
習慣とは不思議なものです。
この手の持ち主は、自分の質問に答えてくれる先生です。
初めて会った時に「報酬はいくらですか?」と聞いたら、「そうさな」と少し窓の外を見てから、「一回7志(シリング)でどうだろう。高すぎるなら、もっと負けてもいいよ」と言われました。
それで自分は一回7志の割合で、月末に全額を払うことにしていたのですが、時によると先生の方から不意に催促を受けることがありました。
「君、少し金が入るから払って行ってくれないか」などと言われるのです。
自分はズボンのポケットから金貨を出して、むき出しのまま「へえ」と言って渡すと、先生は「やあ、すまん」と受け取りながら、例の消極的な手を広げて、少し手のひらの上で金貨を眺めたまま、やがてそれをズボンのポケットへ収めるのです。
困ったことに、先生は決して釣りを渡してはくれません。
余分な分を来月へ繰り越そうとすると、次の週にまた、「ちょっと書物を買いたいから」などと言って催促されることがあるのです。
先生はアイルランドの人で、言葉がすごく分かりにくいのです。
少し焦ってくると、東京の人が薩摩の人と喧嘩をした時くらい、何を言っているのか分からなくなります。
それでいて、とてもそそっかしくて、すぐに焦る人なので、自分は面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけをじっと見ていました。
その顔がまた、決して普通ではありません。
西洋人なので鼻は高いのですが、段があって、肉が厚すぎるのです。
そこは自分に少し似ているのですが、そんな鼻は一見したところ、すっきりとした良い感じはしません。
その代わり、顔のあちこちがむしゃくしゃしていて、何となく野性味があります。
髭(ひげ)などは、本当に気の毒なくらい黒白が混じって乱れ放題でした。
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