「帆を張れば、舟も行くようだ。帆柱には、何を掲げて……」
「赤だっ」とウィリアムは盾の中に向かって叫ぶ。
「白い帆が山影を横切って、岸へと近づいてくる。」「三本の帆柱の左右はどうなっているか分からないが、中央の帆柱の上に春風を受けてたなびいているのは、赤だ、赤だ、クララの舟だ」……舟は油のように平らな海を滑り、難なく岸へと近づいてくる。
船首で金色の髪を日に乱しながら伸び上がっているのは、言うまでもなくクララだ。
ここは南の国。空には濃い藍色が流れ、海にも同じく濃い藍色が流れ、その中に横たわる遠い山々もまた、濃い藍色を含んでいる。
ただ、春の波がちょろちょろと磯を洗う端っこだけが、果てしなく続く一条の白い布のように見えている。
丘の上ではオリーブの木が、深緑の葉を暖かな日差しに洗われて、その葉裏に百千の鳥を隠している。
庭には黄色い花、赤い花、紫の花、紅の花——あらゆる春の花が、あらゆる色を尽くして、咲いては乱れ、乱れては散り、散っては咲いて、冬を知らぬ空に向かって誇らしげに揺れている。
暖かい草の上に二人が座り、二人とも青い絹を敷いたような海面を、はるか下に見下ろしている。
二人ともまだら模様の大理石の欄干に身を預け、二人とも足を前に投げ出している。
二人の頭上から欄干を斜めに覆うように、リンゴの枝が花の蓋を差し掛けている。
花が散ると、ある時はクララの髪の毛にとまり、ある時はウィリアムの髪の毛にかかる。
またある時は、二人の頭と袖に、はらはらと一度にかかる。
枝から吊るした籠の中で、オウムが時折けたたましい声を上げる。
「南国の太陽が露に沈んでしまう前に」と、ウィリアムは熱い唇をクララの唇に重ねる。
二人の唇の間には、リンゴの花びらが一枚、濡れたまま挟まっている。
「この国の春は長いわよ」と、クララがたしなめるように言う。
ウィリアムは嬉しい声で「ドルエリ(愛しい人)!」と呼ぶ。
クララも同じように「ドルエリ!」と返す。
籠の中のオウムが「ドルエリ!」と鋭い声を立てる。
はるか下の春の海も「ドルエリ」と答える。
海の向こうの遠い山々も「ドルエリ」と答える。
丘を覆うすべてのオリーブの木と、庭に咲く黄色い花、赤い花、紫の花、紅の花——すべての春の花と、すべての春の命あるものが、皆一斉に「ドルエリ」と答える。
――これは盾の中の世界である。
そして、ウィリアムは盾そのものとなっている。
百年の齢を重ねることは、めでたくもあり、ありがたいことだ。
しかし、少し退屈でもある。
楽しみも多いだろうが、憂いもまた長い。
水っぽいビールを毎日浴びるように飲むより、舌を焼くような強いお酒を一滴味わうほうが、手間もかからず濃密だ。
百年を十で割り、十年を百で割って、余った半時に百年の苦楽を詰め込めば、百年の生を享けたのと同じことではないか。
巨大な泰山もカメラのレンズに収まり、気体の水素も冷やせば液体になる。
一生分の情けを「分」に縮め、懸命な甘美さを「点」に凝縮できるなら――だが、それが普通の人間にできることだろうか? ――この猛烈な経験を味わい尽くせた者は、古今東西、ウィリアムただ一人である。
(二月十八日)
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