料理がテーブルに運ばれ、店員さんが立ち去ったとき、二つ隣のテーブルで一人の男が食事をしているのが目に入りました。
その男は、こちらに左側の横顔を見せていました。
男の首の付け根あたりに、妙な赤茶色の盛り上がったものがあります。
あまりに大きく、力強く光っているので、最初は自分の見間違いかと思ってよく見てみましたが、間違いなく、それは大きな「こぶ」でした。
テカテカと光る拳くらいの大きさの肉の塊が、襟と耳の間で盛り上がっています。
その男の横顔や首回りの、赤黒く汚れて毛穴まで見える肌とはまるで違って、まるで洗いたての完熟トマトの皮のようにパンパンに張った、銅のような赤色に光っています。
その肉の塊は、男の意思なんて無視して、まるで本人とは別人のような意地悪な生き物みたいに、紺色のスーツの襟と短く刈った髪の間でふんぞり返っています。まるで、持ち主が眠っている間も、自分だけはこっそり起きてニヤニヤ笑っているような、醜くてしつこい寄生虫のようです。その姿を見ていると、三造はなぜか、ギリシャ悲劇に出てくる意地悪な神様たちのことを思い出しました。
こういう時、彼はいつも言葉では言い表せない不快感と不安に襲われ、「人間の自由な意志なんて、なんて範囲が狭いんだろう(あるいは、そんなものはないのかもしれない)」と思わずにはいられません。
私たちは、自分たちの意志とは関係なく、よくわからない何かの力で生まれてきます。
そして、同じように自分たちではどうすることもできない力によって、死んでいくのです。
実際、私たちは毎晩、自分の意思とは関係なく「眠り」という不思議な状態に引きずり込まれています。
……その時、ふと何の脈絡もなく、彼はローマ皇帝ヴィテリウスの話を思い出しました。
大食いだったその皇帝は、お腹がいっぱいになって食べられなくなるのが嫌で、満腹になるとわざと吐き出して胃を空っぽにし、また食卓に向かったという話です。
どうしてこんなバカげた話を思い出したのでしょう?
洋食屋の白い壁には大きな時計が掛かっていて、黄色い長い秒針が電灯の光を反射しながら、まるで不気味な生き物のようにクルクルと回っています。
命を容赦なく削り取っていくような冷たさで、休むことなく動き続けています。
その下では、中年のこぶ男がせっせと口を動かしており、それにつられて首の肉塊も少しずつ動いているような気がしました。
三造はすっかり食欲をなくして、料理を半分残したまま席を立ちました。
掘割沿いの道を、アパートに向かって帰っていきます。
家々にも街灯にも明かりが灯り始めましたが、まだ暮れきらない空の向こう側に、教会の尖塔や変わった形の屋根を持つ山の手の建物が、黒い影のように浮かび上がっています。
潮が満ちてきたのか、川岸に停まっている汚れた船の底に、ゴミがパシャパシャとぶつかっています。
水の上には、明かりと影が混ざり合った、どこか寒々しい光が漂っているようです。
そこから、ぼんやりとした影が立ち上り、音もなく消えていきます。
誰かが見えないところで自分をつけているような気配を感じながら、彼は一人で川岸を歩いていきました。
小学校四年生の時のことだったでしょうか。
肺の病気のように痩せていて、髪の長い担任の先生が、ある日ふとしたはずみで、地球の運命について話をしたことがありました。
どうやって地球が冷え切って、人類が滅びていくのか。そして、私たちの存在がいかに無意味なものかということを、その先生は、まるで意地悪な執念深さで何度も何度も、幼い三造たちに語り聞かせたのでした。あとから振り返ってみれば、それは明らかに、まだ幼い子供の心に恐怖を植え付けようとする、いじわるで残酷な目的によるものでした。先生は、何の防衛策も心の準備も与えないまま、その毒のような言葉を、三造の心に直接注射したのです。
三造は怖くてたまりませんでした。おそらく、顔を真っ青にしてその話を聞いていたに違いありません。
地球が冷えきってしまうことや、人類がいずれ滅びるという話なら、まだなんとか我慢できました。ところが先生は、そのあとには太陽までもが消えてしまうと言うのです。太陽も冷えて消え去り、真っ暗な宇宙空間を、誰にも見られることなく、冷たく黒い星々だけがただぐるぐると回っているだけの世界になる……。
それを想像すると、三造はたまらなくなりました。それでは、自分たちは一体何のために生きているのでしょう? 自分は死んでも、地球や宇宙はそのまま続いていくものだと信じているからこそ、一人の人間として安心して死んでいけるのです。
それなのに、今先生が言った通りなら、自分たちが生まれてきたことも、人間という存在も、宇宙という場所も、すべてに何の意味もないことになってしまいます。
本当に、自分は何のために生まれてきたんだろう? それからしばらくの間、十一歳の三造は、まるで神経衰弱のようになってしまいました。
父や、親戚の年上の大学生に、このことについて真剣に尋ねてみたこともあります。すると彼らはみんな笑いながら、それでも理論的には「まあ、そういうこともあるかもしれないね」と認めてしまうのです。
どうして、そんな話を聞いても怖くないんだろう? どうして笑っていられるんだろう? 「五千年や一万年先のことなんて、今すぐ起こるわけじゃないよ」なんて言って、どうして安心していられるんだろう? 三造にはそれが不思議でなりませんでした。
彼にとって、これは自分一人の命の問題ではなく、人間や宇宙に対する信頼の問題だったのです。だからこそ、何万年後のことだとしても、笑い飛ばすことなんてできなかったのです。
その頃、彼は一匹の犬を可愛がっていました。
もし地球が冷え切ってしまう時が来たら、自分は最後に氷の張り詰めた大地に穴を掘り、その犬と一緒に中に入って、抱き合って死のう。そんな光景を、夜ベッドの中でよく想像していました。
すると不思議なことに、恐怖は消え去り、犬の愛おしさとその体温が、心の中にぽかぽかと浮かび上がってくるのでした。
けれどたいていは、夜に布団に入って目を閉じると、人類がいなくなったあとの、無意味で真っ黒な、終わりのない時の流れを想像してしまい、恐ろしさに耐えきれず、「あっ!」と大きな声を出して飛び起きることがよくありました。そのたびに、彼は父に叱られたものです。
夜、電車通りの道を歩いていると、ふいにこの恐怖が襲ってくることがあります。
すると、今まで聞こえていた電車の音も聞こえなくなり、すれ違う人々の波も目に入らなくなって、まるで静まり返った世界の真ん中に、たった一人で取り残されたような気持ちになるのです。
その時、彼が踏んでいる地面は、いつもの平らな道ではなく、人々が死に絶えてしまった、冷え切った丸い惑星の表面なのだと感じてしまいます。
病弱で、ひねくれていて、神経衰弱気味の十一歳の少年は、「みんな滅びるんだ、みんな冷たくなるんだ、全部無意味なんだ」と考えながら、本当に恐ろしくて冷や汗を流しながら、しばらくその場に立ち尽くしてしまうのです。
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