初級翻訳・銀の匙 第3話

中 勘助

「でろれん祭文(さいもん)」という芸人は、貝を「ぶうぶう」と吹いて、金の棒みたいなものを「きんきん」鳴らしては「でろれん、でろれん」と言うので、私はちっとも面白いと思わなかったのですが、伯母さんが好きだったものだから、度々連れて行かれました。

あるとき、珍しく人形芝居が来たことがありました。桜が一面に咲いた草山に、絵草紙で見るお姫様のような人が鼓を持って踊っている絵看板が上がっていました。
私は大喜びでそこへ入ったのですが、突然「かちやん、かちやん」という恐ろしい音がして、顔も手足も真っ赤な奴が、ねじくれた襷(たすき)をかけて飛び出してきたので、びっくりしてわあわあ泣き出してしまいました。
後で聞けば、それは『千本桜』の狐忠信(きつねただのぶ)だったのだそうです。

気に入った見世物の一つは、ダチョウと人間の相撲でした。
ねじり鉢巻の男が剣道の胴をつけて、鳥が戦いを挑むときのように「ひょんひょん」跳ねながらかかっていくと、ダチョウが腹を立てて「ぱっぱっ」と蹴飛ばすのです。
あるときはダチョウの方が首根っこを押さえつけられて負けになり、あるときは男の方が蹴飛ばされて「参った、参った」と言って逃げ出すこともありました。
その間に、交代の男が隅っこでお弁当を食べていたところ、相手をなくしてぶらぶらしていたもう一羽のダチョウがこっそり寄っていき、いきなり弁当を呑み込もうとしたので、男はあわてて飛びのきました。
その様子があまりにおかしくて、見物人はどっと笑ったのでした。伯母さんは、
「ダチョウさんがお腹を空かせているのに、ご飯ももらえなくてかわいそうに」
と言って、涙をこぼしました。

七

私のような体が弱く病気がちな者が神田の真ん中に生まれたのは、まるで河童が砂漠で生まれるよりも不都合なことでした。
近所の子たちはみんな、神田っ子らしく元気でわんぱくな子ばかり。こんな意気地なしの私は相手にしてもらえないどころか、隙さえあれば意地悪をされる始末です。
中でも向かいの足袋屋の息子なんて、伯母さんがぼんやりしている隙に後ろからいきなり私の横っ面をひっぱたいては逃げていくので、私はすっかり怖じ気づいて、ますます引きこもりがちになってしまいました。

家にいるときは、通りに面した高い窓に乗せてもらい、格子につかまって、伯母さんが後ろから支えながら、馬や車など目に映るものの名前を教えて遊ばせてくれました。
筋向かいの米屋には、車に轢かれた足の不自由な鶏がいました。羽や尻尾がぼろぼろで、埃にまみれながら、いつ見ても片足を上げているのを、伯母さんは見るたびに「かわいそうに」と言うので、しまいには私までその鶏を見るのが嫌になってしまいました。

普段遊ぶのは、お仏壇のあるとても陰気な三畳の部屋で、夜はそこが寝室になり、時折は姉たちの勉強部屋にもなりました。
当時十二、三歳で小学校に通っていた二人の姉が、西洋の封筒のような形の包みから真っ黒なノートを出して、古い木机の上で手習いをしていたことを覚えています。
その机のひとつは長さが三尺(約90センチ)くらいで、引き出しが二つついたものでした。つまみが取れたあとの穴には、筆の軸に紙を巻いたものが差してありました。もうひとつは、子供の膝がやっと入るくらいの小さなもので、浅い引き出しがついていました。これらの机は、兄から姉へ、私から妹へと、何十年もの間、順々に譲り渡されることになっていたのです。

それを踏み台にして、庭に向かった窓の上へ上げてもらうと、黒塀のそばにある大きな躑躅(つつじ)の株が見えます。
夏になれば真っ赤な花が山盛りに咲いて、町中なのに時々蝶々が飛んできては蜜を吸っていきます。
そのあわただしく羽をはためかせる様子を面白く眺めていると、伯母さんは後ろから肩越しに顔を出して、「黒い蝶々は山里のお爺さんで、白いのや黄色いのはみんなお姫様だよ」と言います。
お姫様は可愛いけれど、山里のお爺さんが真っ黒な大きな羽を羽ばたかせて飛び回るのは恐ろしく感じました。

伯母さんはまた、草紙で丁寧に貼った皮籠から、いろいろな玩具を出して遊ばせてくれます。
たくさんの玩具の中で一番大事だったのは、表の溝から拾い上げた黒塗りの土で作られた小犬で、その顔がなんとなく私に優しいもののように思われました。
伯母さんはそれを「お犬様」と言って、空き箱などで作った小さなお宮の中に入れて、拝んでみせたりしました。
それから、あの不格好な丑紅(うしべに)の牛も大切でした。
これらは、世界にたった二人だけの仲良しのお友達なのです。

八

そのほか、刀、薙刀(なぎなた)、弓、鉄砲など、あらゆる戦いの道具も揃っていました。
伯母さんは私に烏帽子(えぼし)を被せたり、鎧通し(よろいどおし)を差させたりしてすっかり戦人の姿に仕立て上げると、自分も後ろ鉢巻をして、薙刀を抱えて長い廊下の両端に陣取り、戦いごっこを始めます。
支度が整えば、お互いに真剣な顔つきで身構えながら、そろそろと近づいていきます。
廊下の真ん中で出会うやいなや、私が、
「四王天(しおうてん)か!」
と声をかけます。
敵である伯母さんは、
「清正(きよまさ)か!」
と言い返します。
そして二人同時に、
「よいところであったな!」
と言い放つと同時に、「やあ、たかたかたかたか!」と口で拍子を取りながら、しばらくは勝負もつかない激しい打ち合いを演じます。
これは山崎合戦の場で、私は加藤清正、伯母さんは四王天但馬守という設定なのです。

そのうち二人は武器を捨てて組み合います。
大立ち回りの末、四王天は清正が加減を知らずにくたびれてきた頃を見計らって、
「しまったー!」
と、いかにも無念そうに言ってばったりと倒れます。
それを私が鼻高々と馬乗りになって押さえつけると、伯母さんは汗をだらだら流しながら下から、
「縄は許せ。首を斬れ」
と、どこまでも四王天になりきって迫ってきます。
そこで清正が脇差を抜いて、皺くちゃな首をごしごし斬る真似をするのを、四王天が顔をしかめて耐えながら目をつぶって、ぐにゃりと死んだふりをすれば、ひとまず勝負がつくことになっていました。
雨の日などには七、八回も同じことを繰り返して、しまいには四王天がひょろひょろになるまでやらせたものです。
伯母さんは「まあ、どうにもならん、どうにもならん」と泣き声を出しながらも、私が飽きて「やめよう」と言うまでは、いつまでも付き合ってくれました。
時々、伯母さんはあまりに疲れて、首を斬られてしまってもなかなか起き上がらないことがあります。
そうなると、「本当に死んじゃったんじゃないかしら」と思って、気味悪がりながら揺り起こしてみたりしたものでした。

九

明神様のお祭りの時は、場所柄もあって恐ろしいほどの賑わいです。町内の若い衆が軒並みに紅白の花を飾り、巴と日の丸の提灯を提げて歩きます。
家の軒にも花を飾って提灯を吊るすのが嬉しくてたまりません。
その日には、店に毛氈(もうせん)を敷き詰めて、獅子頭を飾る家もありました。でこでこの頭が二つ、恭しく棚の上に置かれ、巻紙を巻いた竹のような形の、どっしりと背の高い大きなお神酒徳利が供えられます。

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