初級翻訳・銀の匙 第31話

中 勘助

いろいろな理由から、無邪気さや快活さ、普通の子供が持っているはずの幸福を多く失っていた「子供らしくない子供」が、本当の子供らしく楽しい時間を過ごせた場所。引っ込み思案で憂鬱な子供が、太陽の光の下でしか得られないような、自然についての子供らしい知識を蓄えた場所。そして、生まれ持ったある性質――それは兄からひどく評判の悪かった性質なのですが――を育て、のちの私という人間を形作った場所。それら様々な意味で、少林寺の境内は私にとって特別な場所なのです。

お寺はもともと旗本を檀家にしていて、江戸の地図にも載るほど立派なものでした。しかし、明治維新になってからは檀家の人々も散り散りになり、たまたまこの地に残った人もそのほとんどが零落してしまったため、お寺も自然と思わぬ窮乏に陥り、年を追うごとに荒れていくばかりでした。
それでも、幼い頃に伯母さんにおぶさって来た当時の面影はあちこちに残っていました。玄関の衝立(ついたて)に描かれた孔雀は今も誇らしげに豪華な尾を垂らし、咲き乱れる牡丹の花には、昔の夢に酔っているかのように幾羽もの蝶が舞っていました。
背の高いカナメモチの垣根を隔てて左手は庫裏(くり)になっており、そこから右へ曲がると内庭があって、花壇やいちご畑があり、切り残された老木があちこちに大きく暗い影を落としていました。
そこから鉤(かぎ)の手にまた右へ曲がると、西向きの本堂の庭の隅に槙(まき)の大木がありました。その岩の瘤(こぶ)のような根っこは庭の半分にまで広がり、縦横に伸び出した枝は、何百人もの旅の僧を休ませるような「緑の天幕」となり、私たちにとっては夕立の時の雨宿りや、夏の日の涼しい木陰となりました。
そこから一段低くなった崖ぎわの畑には大根や菜の花が咲き、カラスウリやヤブガラシが絡まり合ってぼうぼうになった茂みの中には古井戸があって、底の方からスイスイと蚊が湧き出てきたりしました。
槙の木のうしろから、クマザサが生えた土手の「犬の通り道」を北へ抜けると、そこは一面に栗の木が生えた墓地でした。栗の花や葉、イガに埋もれ、渋柿の汁で染まったような石塔の上には、よくヒルの仲間が這っていました。
貞ちゃんはひょうきんで気のいい子で、どんなことでも言いなりになって遊んでくれました。一方、それまでそうした外遊びをろくにしたことのない私は、必要な知識をまったく欠いていたため、そうした遊びに関しては貞ちゃんが先生となって、二人は仲良く遊んだのでした。

十二

春のころには、坂をひとつ越えた広い原っぱへ行って凧(たこ)を揚げます。
貞ちゃんのは「ヒゲだるま」、私のは「障子骨で作った金太郎」でした。
最初は糸目を調整されてこちらの思うがままだった凧も、高く上がるにつれて威張り出し、ついには一本の糸で、夢中で空を見上げている揚げ手の私を支配しはじめるのです。
凧はブーンと唸りながらユラユラと尻尾を振り、大空という海を泳いでいるように見えます。
風の勢いが強すぎて引きずられたり、何かが気に障ってクルクル回りだしたりすると、なんだか怖くなって、
「かんにんだー、かんにんだー」
と謝りながら、一生懸命に糸を繰り出して機嫌を直してもらいます。
恐ろしいのは、鳶(とび)の頭の息子の揚げる「八枚の童子格子」という凧でした。
籐(とう)の出っ張りが「うなり」となって胸がすくような音を響かせ、長い尻尾の先が力強く跳ね上がり、ピンと張った糸目のあたりでは、キラリキラリと「がんぎり(ギザギザの装飾)」が光っているのです。
下の町のいじめっ子が揚げる「般若(はんにゃ)」の二枚凧は、みんなに嫌われていました。
そいつは最初から喧嘩を売るつもりで、尻尾もつけずに「もってん(無手)」の状態で、ビービーといやらしい紙の音を鳴らしながら、こちらの凧を突き飛ばし続けてくるのです。
真ん中の糸目を詰められて、いっそう顔をしかめた般若の凧は、まるで気が狂ったようになって近所の凧に食ってかかり、新発明の錨(いかり)のようなギザギザで、あっという間に糸を噛み切ってしまうのでした。
私たちは、そんな喧嘩凧がいない時を見計らって揚げに行きます。
片手に重たい糸巻きを持ち、片手に糸目を手綱(たづな)のように持って歩いていくと、凧は競馬の馬のように勢いづいて、今にもビンビンと飛び出そうとします。
風の強い春の空に気負って上がっている凧の中で、うぬぼれかもしれませんが、私の障子骨の金太郎はひときわ目立って見えました。
なにもかも忘れて遊んでいるうちに、いつの間にか他の子たちはみんな帰ってしまい、暮れかかった原っぱの中に自分たちだけになっていました。
ふとそれに気がつくと急に心細くなり、あわてて糸をたぐるのですが、そんな時に限って風の張りが強くなっていて、焦れば焦るほどなかなか凧を下ろせません。
そのうちに日はどんどん沈んでいき、刻一刻と暗くなる空に、金太郎とだるまの目玉だけが光って見えるようになります。
お互いに心の中では「どうしよう」とわかっていながら、負け惜しみで平気なふりをして、「晩まで下ろせなかったらどうしようかしら」「すっかり糸を出しすぎたのがいけなかったなあ」などと思いながら、ようやく何とか下ろして糸を巻き終えると、それまで張り詰めていた胸がからりと軽くなり、思わず顔を見合わせて、
「わはははは」
と笑い合うのでした。そうして、
「僕、さっきどうしようかと思っちゃったよ」
などと本音を漏らしながら、
「誰にも内緒にしようね」
と固く約束し合って帰るのです。

十三

夏になると、毎日蝉取りに夢中になります。
粘り気のある黐(もち)でとると羽が汚れてしまうので、砂糖を入れる袋を竿の先に付けて、庭から墓場へと探し歩きます。
木がたくさんあるので、一回りするうちに嫌になるほど捕まえることができます。
アブラゼミはうるさいばかりで、見た目も良くないので捕まえても張り合いがありません。
ミンミンゼミは丸々と太っていて、鳴き声もひょうきんです。
ヒグラシは歌が面白いですし、それに素早いので、目の敵にして追い回します。
ツクツクボウシはなかなか手強いです。
鳴き声も立てずに袋の中で身をよじらせている蝉を見ると、少し可哀想になります。

また私たちは、その季節ごとに実がなる木から木へと、小鳥のように探し歩きます。
ボタン杏の花が蒼白く散ったあとに、豆ほどの実が日に日に膨らんでいくのを、もどかしく眺めているうち、いつの間にか雀の卵から鳩の卵くらいの大きさになり、みずみずしく黄色味を帯び、頬のように赤みをさして、しまいには枝がたわんで地面についてしまいます。
そうなると、お腹を壊さない限りは食べていいという許可が出るので、こっそりと暇さえあればちぎって、ボタン杏の渋みがなくなるまで食べます。
それでも食べきれないので、紫色に熟しすぎた実がぽたりぽたりと落ちます。
それをカラスが狙ってきて、憎たらしいことに尻を振ってつつき回るのです。

楽しみなのは栗の季節でした。
一人が竹竿を持ち、もう一人がザルを抱えて、鵜の目鷹の目で墓地を歩き回ります。
今にも露が垂れそうなほど大きく実った栗を見つけたときの嬉しさといったらありません。

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