手を引いてやろうとしても、ふりきって登ってしまうんだ。おかげで帰りは疲れ果ててしまって、ずっと眠りこけていてね。お母さんがえらく大変な思いをしたものさ。お前は石俵みたいに重たい子だったからな」
和子の想像の世界には、眠りこけた子をおぶって、何百、何千という石段を降りてくるお母さんの姿が浮かび上がってきました。
和子がまた、おじいさんと二人で留守番をするようになったのは、お母さんの一周忌を前にした、初夏の頃でした。
海員をやめて村へ帰ってきたお父さんでしたが、太平洋戦争中に培った経験を買われ、ふたたび海へ帰らねばならない時がきたのです。
「また船で一働きしてくるからね。和子、おじいさんと仲よくお留守番を頼むよ」
和子はひとり、胸をどきどきと高鳴らせていましたが、それも涙があふれ出るほどのことではありませんでした。お母さんと別れた悲しみに鍛えられた和子の心は、お父さんとの別れをむやみに悲しんではいけないと教えてくれていたからです。
「お父さん、心配などしないでね」
和子の短い別れの言葉に対して、お父さんはもっと短く、「ああ」と言って笑いながらうなずきました。
五
「お父さんの留守の間に、何かやって、あっと言わせてやろうじゃないか」
和子が学校から戻ると、おじいさんは待ち構えていたように相談を持ちかけてきました。おじいさんが今取り組んでいるのは、お父さんが始めかけていた養鶏の仕事でした。
まだひなは百羽ほどしかいませんが、おじいさんはすっかり元気になり、気持ちも若返ったようです。
昔、おじいさんもやはり海員で、内海航路の小さな船ながら、船長まで務めた人でした。和子が生まれる前年、おばあさんに先立たれたのをきっかけに陸へ上がり、隠居気分で孫の和子の子守をしたり、船乗り時代には縁の少なかった地面と触れ合うように山や畑を歩き回ったりしていましたが、今では養鶏に熱中しているのです。
おじいさんの出で立ちは、船乗り時代の黒いラシャの洋服でした。これを着て、和子の子守もしてくれたものです。
「おじいさん、ハイカラぶってそんな洋服を着ていても、もう腰が曲がりかけてるのに。そんな破けた洋服を着て『あっと言わせる』なんて、無理よ」
和子が笑い出すと、おじいさんは真剣な顔になりました。
「何を言う。これでもまだおじいさんは七十四歳じゃないか。人生は八十からと言うだろう。和子がそんなふうにひやかすなら、ひとつあっと言わせてやるからな。それができたら、和子もきっと喜ぶぞ。あの丸尾の畑に、ミカンを植えるのさ」
そう言って、おじいさんは丸尾の畑を杖で指しました。
「あそこは日当たりがよくてな、ミカンを育てるには最高の場所なんだ」「肥料には鶏のフンが使えるし、お父さんが帰ってくるまでに形にしておかないとな。何か一つ、お父さんが喜ぶようなことをしておかないと。そして、あっと驚かせてやろうじゃないか」
おじいさんのそんな意気込みを聞いているうちに、和子はふと、あることを思いつきました。それは、モモの畑を作ることでした。お母さんが亡くなってからというもの、和子は何かにつけて、お母さんを記念するものを持ちたいと願っていたのです。一番心に浮かんだのが、モモの木を植えることでした。それは「もも子」というお母さんの名前から思いついたアイデアでしたが、まだ実現できずにいたのです。
おじいさんがミカン畑を作ってお父さんを驚かせるのなら、自分もモモを植えて、お父さんをあっと驚かせてみたいと和子は考えました。
「おじいさん、ミカン畑には大賛成! そのかわりに、モモの木も植えてよ」
「ほほう、モモの木か。それは面白そうだな」
おじいさんがすぐに賛成してくれたので、和子は涙が出るほど嬉しくなりました。モモの花のピンク色と、ミカンの葉の青々とした色が、鮮やかなコントラストとなって丸尾の畑を包み込んでいる様子が、和子の目の前に浮かびました。モモの花はお母さんの優しさであり、ミカンの青さは、お父さんの強さのような気がしたのです。
そう想像すると、船の甲板から望遠鏡をのぞいているお父さんの姿が、ありありと思い浮かびました。その望遠鏡は、丸尾の畑へとまっすぐ向けられているのでした。
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