初級翻訳・ちるちる・みちる 第7話

ちるちる・みちる

「あれ、あれが何よりの証拠じゃないか。見たまえ、水の底を……」
 木菟が言いました。
「なるほどな。けれど上をごらん、あれは何だい?」
「おお!」と蛙は驚きました。
 なんだか急に池の中が騒がしくなりました。魚たちがいつもの舞踏をはじめたのです。
 それをみると、もう飛び立つばかりにうれしくなり、何もかもすっかり忘れて、
 木菟が「ほう、ほう、ほろすけほ」と鳴き、
 蛙も「ガチガチガチガチ」と鳴きました。

鯛の子

 ある日、鯛の子が「お父様、しばらくお暇をいただきたいのです」とおそるおそる父の前に出て、お願いしました。
 そして心の中では、どうか聞き入れてくれるといいが、と願っていました。
 父鯛はそれを聞いて言いました。
「おお、お前は暇をもらって何をするつもりだ」
「はい、旅に出ようと思いまして」
「む、旅に」
「はい」
「どこへ、そしてまた、何をしに行く」
「はい。私はつくづく自分に知恵がないことを知りました」
「それで?」
「それで、これから広い世界をめぐって、もっともっと様々なことを見たり聞いたりしたいのです」
「それもよかろう。けれどお前は卑しくも魚族の王の、この父が世を去ったら後を継ぐべき尊厳ある身分だ。決して軽々しいことをしてはならない。よいか」
「はい」
「それがわかったら、すべてはお前の自由に任せる」
 生まれてはじめての鯛の子の旅! 従者も連れず、たった独りの旅でした。はじめの七日十日は何かと珍しくおもしろかったのですが、段々と日を追うごとに、たくさんの苦しいことや悲しいことが、到るところで待ち伏せ、取り囲み、そして攻め寄せてくるのでした。
「自分は鯛王の子だ。失敬なことをするな!」
 すると鮫が「おい、みんな、この気狂いを見てみろ」と笑い、
 鱶(ふか)が言いました。
「小僧! おめえ迷子か、どこから来たんだ。誰か探している者でもいるのか?」
 鯛の子はくやしくて火のように真っ赤になりました。
 けれどまた怖くて、氷のように硬ばってブルブルと震えておりました。もう旅なんて、こりごりでした。
そう思うと、自分の家が恋しくて、恋しくて、たまらなくなりました。
早く帰ろう。
早く帰ろう。
と、……。

父鯛
「おお、気がついたか」
ぱっちりと目をあけた、子どもの鯛。
「ここはどこですか」
「お前の家だよ」
「えっ。
あなた様はどなたですか」
「お前の父親だよ。
わからないのか」
「ああっ、お父様!」
「どうしたんだい、一体……。でもまあ、無事でよかったよ」
「私は、まるで生まれ変わったような気分です」
「おお。
それで、旅はどうだったんだい」
「はい」
と、子どもの鯛は、入り江で出会ったイワシやヒラメの親切から、沖で受けた大きな魚たちからのいじめまで、涙を交えながら詳しく語りました。
「それから帰る道すがら、急いで泳いでおりましたら、鼻の先に大きな真っ黒い山のようなものが、ふいと浮き上がってきたのです。
目がくらんで、体がゆらゆらと揺れました。
まったく突然の出来事です。
けれど、何が起きようと運命を天にゆだねようと、夢中になって逃げ出しました。
その後のことは、一切わかりません」
「無事に戻ってきて何よりだよ。
その黒い大きな山というのは、鯨だったんだ。
恐ろしいことだ、恐ろしいことだ。聞いただけでも背筋が凍るよ」
「お父様」
「なんだい」
「でも私は、良い経験をいたしました」
「あんな死ぬか生きるかの瀬戸際でかい」
「はい。
それだけではありません。
世界には、私たちが知らないことが数え切れないほどあります。
……小さな場所で、自分ひとり威張っていることの」
「えっ」
「愚かさが、しみじみと、初めてわかりました」

どうしてお酒飲みは、そのお酒をやめたのか

お酒飲みの中にも、ひどく恐ろしいお酒飲みがいました。
その家では、お酒のせいで一年の三百六十五日のうち、三百日くらいは必ず喧嘩をして過ごすことになっていました。
今日も今日とて、ぐでんぐでんに酔っ払って亭主が帰ってくると、奥さんが山狼のような恐ろしい顔をして怒鳴り散らしました。
何を言っても、亭主は死体のようにひっくり返って、もう正体も何もありません。
梁の上の煤まで舞い上がるような、ひどいイビキです。
奥さんも呆れ果てて、黙り込むのがいつものことでした。
不思議なこともあるものです。
それが今日は、何を思い出したのか、目が覚めると、めそめそとすすり泣きをしながら、どこかへ出かけて行ってしまいました。
やがてお酒飲みは、木が生い茂る裏山のお宮の前に現れました。
そして地面にひざまずいて言いました。
「神様、どうか聞いてください。
私はあなたもよくご存知の、お酒飲みです。
私がこうしてお酒ばかり飲んでいるせいで、家の暮らしは火の車です。
妻や子どもたちの着ているボロボロの服を見ると、『もうやめよう、もうやめよう』と思うのですが、またすぐに酒屋の店先を通って、あのいい匂いを嗅ぐと、理屈も何もかもどうでもよくなってしまうんです。
そして、店の中に飛び込んでしまうんです。
神様、どうして私はこんなに飲みたいんでしょう。
どうにかして、このお酒をやめることはできないものでしょうか」
神様は、お酒飲みの涙を見て言いました。
「そうか。
よくわかった。
俺は、お前がかわいそうでならない。
ただ、それだけだ」
「えっ、こんな紙くずのような人間でも、かわいそうに思ってくださるのですか」
「おお、そう思わなくてどうする」
「へえええええ」
喜んだのなんのって、お酒飲みは転がるように喜んで、その山から家へと駆け戻りました。
家に着いてみると、妻も子どもも誰もいません。
奥さんは奥さんで、子どもたちを連れて、亭主が出て行ったあとに入れ違いで、お宮へとやって来ていたのです。
まるで喧嘩でも売りに行くような勢いで。
「どういうことでしょう、神様。
うちのお酒飲みのことですがね。
もう呆れて物も言えません。
私があなたに、あのお酒をやめさせてほしいとお願いしたのは、百回や二百回ではありません。
それなのにやめるどころか、あの通りです。
今日は私に何か言われたのがよほど悔しかったと見えて、目が覚めると、しくしく泣きながらまた出て行ったんです。
きっと、酒屋に行ったに違いありません。
私はお酒を憎みます。
そのせいで、私たち家族は一年中、食べるものにも困っているんです。
神様、何か言ってやってくれませんか。
どうしてあなたは、あんなお酒の作り方なんてものを人間に教えたんですか。
私はあなたを恨みます!」と、喚き散らしました。
神様は、前と同じように答えました。
「そうか。
よくわかった。
俺は、お前たちがかわいそうでならない。
ただ、それだけだ」
「えっ。ただ、それだけですって?
じゃあ、お酒のほうはどうしてくださるんですか」
「それは俺の知ったことではない」
「まあ、この神様は!」
「なんだ」
「お酒のほうをどうしてくれるのかと、聞いているじゃありませんか」
「そんなことは悪魔に聞け!」
ぷりぷりと怒って、奥さんは帰りました。
帰りながら、奥さんは考えました。
「ええい、馬鹿らしくてやってられない。

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