なみだをぬぐって近づくものに目をやると、そう、あの白ウサギがまたもどってきたんだ。おめかしして、白ヤギの手ぶくろを片手に、香る花束をもう片手に持っていてね。
まさにアリスはだれか助けてと言いたいところだったから、すがる思いで、通りがかりのウサギにおずおずと弱々しげに声をかけました。
「もし、よろしくて――」
びくっとしたウサギは、声がしたとおぼしき広間の天井をあおぐなり、はたと花束と白手ぶくろを落として、全速力でぴゅーっと暗がりに消え去っちゃった。アリスは花束と手ぶくろを拾い上げました。その花束がとてもいい香りだったので、ずっとくんくんとにおいをかぎながら、ひとりごとの続きを始めます。
「もう、もう! 今日はなんだか変なことばかり! でも昨日はみんな、いつもの通りだったのに。もしや、夜のうちにあたくしの身に何か起きたのかしら。待って。今朝起きたときのあたくしは、ちゃんといつものあたくしだったかしら? なんだかちょっと、ちがっていたような気がしないでもなくてよ。でも、もし今あたくしがあたくしでないのなら、いったいどなたなの? んもう、まったくややこしい!」
そこでアリスは、自分と同じ年頃の知り合いの子をみんな思い浮かべて、自分がそのうちの誰かになっていないか確かめてみました。
「あたくしがガートルードでないことはたしかね」とつぶやきます。「だってあの子の髪はあんなに長いまき毛だけど、あたくしはちっともまきがなくてよ。それときっとフローレンスでもないはず。だってあたくしは物知りっていうのに、あの子ときたら、ふん! 知らないにもほどがあってよ! それにあの子はあの子、あたくしはあたくし、だから……ああ、もう! なんてややこしいの! どうかしら、ちゃんと覚えていたことを覚えているかしら? ええと、4×5=12、4×6=13、4×7=14――ああ、もう! こんな調子じゃいつまでたっても20にならなくてよ! でも九九なんて大したことないんだから、次は地理を試してみるわ。ロンドンはフランスの都、ローマはヨークシアの都、それからパリは……ああ、もう! もう! どれもまちがいに決まっているわ! きっとフローレンスになっちゃったにちがいないのね。だったら『がんばるミツバチ』のお歌はどうかしら?」
アリスはひざの前に手を重ねて歌い始めましたが、声ががらがらでひっくり返ってしまい、それに歌詞もいつも通りではありませんでした。
びっくりだ わあにさん
しっぽがね ぴかーん!
ナイルがわ ざあぶざぶ
うろこにね びしゃーん!
キバだして にいんやり
ツメひろげ じゃきーん!
おいでませ さかなちゃん
にこにこ……がぶりっ!
「ぜんぜん歌詞がちがってよ」とかわいそうなアリスは目になみだをいっぱいにためながら思いました。「やっぱりあたくし、フローレンスにちがいないのね。だったらあたくし、あのせせこましい小屋にうつり住まなきゃいけないことになって、しかも遊ぶおもちゃもろくにないの、うわあん! お勉強も山もりよ! いやあ! あたくし心に決めたわ。もしあたくしがフローレンスなら、ここでじっとしててやるんだから! どなたかがのぞいて『上がりなさい!』なんて言ってもむだなんだから! あたくし上目で見てこう申し上げてやるの。『ところであたくし何者? まずそれにお答えになって。それから、それがあたくしのなりたい方なら上がりますけど、ちがうようでしたらほかのどなたかになるまで、ここでじっとしております』――でも、ああもう!」
アリスはいきなりわっと泣き出して言いました。
「そののぞいてくれるどなたかが、いてくださったらどんなにいいか! もううんざりよ、こんなところでひとりぼっちだなんて!」
こう言いつつ自分の手に目を落としてみるとびっくり、気づけばしゃべっているあいだにウサギさんの手ぶくろをはめていたのです。
「どうしてこんなことができてるの?」と思ってね、「また小さくなっているにちがいないわ」
起きあがってテーブルまで行って、背たけをはかってみると、だいたいしかわからないながらも、今はおよそ60センチで、大いそぎでちぢみつつありました。すぐにわけはわかりました。手に持っていた花束のせいなのです。あわてて手放すと、まさにそのときからちぢみはすっかりとまって、気がつくとただいまの背たけはたったの7センチ。
「今こそお庭よ!」と声をあげたアリスは、あわててあの小さなドアへもどったのですが、小さなドアにはまた鍵がかかっていて、ちっちゃな金の鍵も前と同じでガラスのテーブルの上。だから「今までで最悪!」と女の子は思うしかないのです。
「だってこんなにちっちゃくなったの初めてなのよ、初めて! 正直ひどすぎてよ、ひどすぎ!」
このしゅんかん、足がすべって、ぼちゃん! しょっぱい水に首までつかってしまいました。初めのうちは海に落ちたと思ったのですが、あとからここが地底だってことを思い出して、そのあとすぐにはっとしました。自分が3メートル近いときに泣いて作ったなみだまりなんだって。
「あんなに泣くんじゃなかった!」と言いながらアリスは水をかいて前に進もうとしてね、「罰が当たろうとしてるのよきっと、自分のなみだでおぼれろってね! 待って! そんなのけったいだわ、ぜったい! それにしても今日はけったいなことばっかり」
そのとき、とつぜん目の前すぐそばで、何かがばしゃんと池に飛び込みました。とりあえずセイウチかカバかと思ったものの、自分がとっても小さいことを思い出して、たちまちはっとしました。ただのハツカネズミが、自分と同じようにすべり落ちただけだったのです。「このネズミに声をかけてみようかしら」とアリスは考えました。
「何かお話ができるかもしれないわ。あのウサギはとんでもないことになっていたし、ここへ落ちてきてからというもの、あたくしだって変なことばかり。だから、あのネズミだって話ができないわけはないはずだわ」
とりあえずやってみることにしました。
そこで、こう切り出しました。
「ねえ、そこのネズミさん! この池からどうやって出たらいいか知っていますか? このあたりを泳ぎ回って、もうへとへとなの。ねえ、そこのネズミさん!」
ネズミは、何か問いかけるようにアリスをじっと見つめて、小さな瞳で合図をしたような気もしましたが、一言も返事はくれません。
「この子の言葉がわからないのかも」とアリスは考えました。
「たぶん外国のネズミなのね。ウィリアム征服王と一緒に海を渡ってきたのかしら!」(アリスの知っている歴史はうろ覚えなので、こんなふうにちぐはぐなことを考えてしまうのです)。
そこで、もう一度試してみました。
「吾猫兮何在?(ネコはどこにいるの?)」
これは、アリスが持っていた外国語の練習帳の最初のページに書いてあった言葉です。
するとネズミは、池のなかでいきなり飛び上がって、びくびくと震えだしました。
「あら、ごめんなさい!」とアリスはあわてて声を上げました。このかわいそうな生き物を怖がらせてしまったのではないかと心配になったのです。
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