こうした、物語の中にひっそりと隠れた語りのスタイルについては、私がアンデルセンのデンマーク語を訳していたときにも同じような感覚を抱きました(ラヴクラフトの作品にも同じことが言えるかもしれません)。
しかし、こうした「内気な若い独身男性特有の語り口」というものは、児童文学の翻訳においてはあまり重要視されてきませんでした。もしかすると、児童文学の明るい雰囲気とは少し相性が悪いと思われているからなのかもしれませんね。かつては矢川澄子さんのような素晴らしい挑戦もありましたが、今回の翻訳では、ただ爽やかなだけではない、独身男性ならではの言葉の奥深さにもっと踏み込んだものが作れないかと、あれこれ試行錯誤を重ねています。
また、近代西洋において、大人が子どもに文学作品を贈ることは、それほど珍しいことではありませんでした。
ルイス・キャロル以外にも、彼に近い時代の人々として、先ほど挙げたアンデルセンや、『ピーター・パン』のJ・M・バリー、『くまのプーさん』のA・A・ミルン、『ピーター・ラビット』のビアトリクス・ポターといった作家たちも、実際に交流のあった子どもたちのために原稿を書き、それがのちに素晴らしい作品として世に出ることになりました。
とりわけ、手書きの原稿を贈るという行為は、活字が印刷される文化が登場するずっと前から、そしてそれが広まった後でも、イギリスでは特に一つの文化として長く続いてきたものです。
教養のある大人たちは、社交の一環として、あるいは友情の証として、お互いのことを盛り込んだ詩や文章を自分の手で書き綴ってはプレゼントしたり、貸し借りして手元で書き写したりしたのです。
そうした心と心の交流から生まれた手書きの記録が、やがて物語の源泉となっていくのですが、もちろん個人的なやりとりと、世の中に向けて出版する作品とでは受け手が違いますから、物語もその変化に合わせて書き直されることになります。
キャロルも例外ではなく、『地底』から『不思議』へと書き換えられる過程で、個人的なものから社会的なものへと変化した様子が、本文や場面、さらには全体の構成にまで色濃く反映されていると言えるでしょう。
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こうした変化の中で最もわかりやすいのが、内輪の仲間内だけで通じるネタを、誰にでもわかるパブリックなものへ変更している点です。
草稿のネタは、どちらかというとキャロルやアリスたちといった、ごく狭い範囲でしか通じない内輪ネタが多いのですが、そこへ追記がなされることで、その範囲がイギリス(特にイングランド)全体へと広がっていきます(もっとも、広がったとはいえ、ある意味ではまだ内輪のままなのですが)。
たとえば、第3章の「コーカスレース」の場面。
もともと『地底』にあった小屋へ行くくだりは、実際にキャロルがアリスたちと出かけた際のエピソードが元になっていますが、『不思議』ではその部分をカットして、まったく別のシーンへと作り直しています。
このように〈現実の出来事〉を〈不思議な物語〉へと変えていくのは、全編を通じてよく見られるパターンです。アリスとの思い出を大切にするなら残すべき場面ですが、こうした選択をするのは、やはり一つの作品としてより高めようという意識があったからなのでしょう。
第2章に出てくるお友だちの話やラテン語の話も、アリスとの間では通じても、作品としては説明が足りないため、しっかりと補足されています。
もちろん、元の表現が拙くて訳しづらいと感じていたところがちゃんと直っているなど、キャロルの書き手としての意識を感じさせる、〈わかりにくい〉から〈わかりやすい〉へのごく自然な書き換えも行われています。
しかし、追記や加筆された部分を見ると、単に〈誰にでもわかるように〉というよりも、むしろ〈社会〉としてのイギリス特有の文化的要素が描き込まれていることに気づきます。
まるまる新しく書き足された第6章では、文化的なジョークが際立っています。イギリス流の召使い(ふくらはぎの美しいフットマン)とのやりとりや、子育てが苦手な貴族の存在、それからコショウばかり使いたがる〈味音痴〉の料理人(しかもその料理人が主人よりも偉そうにしている点)、さらには英語の慣用句から生まれたキャラクターなど、どれも当時のイギリスをどこか自虐的に茶化したものばかりで、そもそもこうしたネタは草稿にはほとんど見られなかったものです。
第9章の御前さまとのやりとりも、自己啓発書などが流行りだした時代ならではの要素と言えるでしょう。
アリスの研究者の間では有名ですが、キャロルは「変」という意味の形容詞を、そのニュアンスによってかなり使い分けています。たとえば「curious」は肯定的な含意の「変」(訳語では〈へんてこ〉)、そして「queer」は否定的なニュアンスの「変」(訳語では〈けったい〉)といった具合です。
ところが、「普通でない」「異常」を意味する「extraordinary」(訳語では〈とてつもない〉)という言葉は、草稿には一度も出てこず、初めて登場するのは、すべて新しく書き足された第6章と第7章だけなのです。
似た言葉の「out of the way」(訳語では〈とんでもない〉)は他の章にも登場しますが、あえて内輪ネタではない第6・7章だけに「extraordinary」という言葉を使うのは、裏を返せば「ordinary(普通)」というものを意識しているということであり、内輪の範囲が変わっていることも考えると、なかなか意味深なことなのです。
それに、第2章の「bathing machine(箱型の着替え部屋)」のくだりは、文学部の学生に読ませてもわからないほどですから、必ずしも「追記されたからといって、すべてがわかりやすくなっている」とは限らないのが、面白いところですね。そうした文化的な特殊性を強調する視点から見れば、お話のシンプルさや誰にでも伝わる普遍性という点では、むしろ『不思議の国のアリス』よりも、特定の子供に向けて直接語りかけた『地底の国のアリス』の方が優れているのかもしれません。
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とりわけ、書き足された部分で注目されるのは、『地底』から『不思議』へと物語が進化する過程で加えられた、言葉遊びや個性豊かなキャラクターたちです。
特によく取り上げられるのは、第7章のお茶会や、第9章・第10章に登場するウミガメのスープとグリフォンのエピソードですね。
ただし、後者は長すぎて少しうんざりしてしまうという学生もいますし、映像化される際にもこのシーンは短くまとめられたり、あっさりと流されてしまうことがよくあります。
アリス作品の大きな特徴である言葉遊びや風刺、そして一風変わったキャラクターたちの多くは、実は後から書き足されたものだったのです。つまり、その場の思いつきではなく、じっくりと考え抜かれたものだということは『地底』のあとがきでも触れましたが、単なる地下世界ではない「不思議の国」という独自の場所を作り上げようとする、キャロルの意識の変化があったからこそなのでしょう。
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