初級翻訳・サーカスの怪人 第22話

サーカスの怪人

青い自動車

怪老人は原っぱを出て大通りまでくると、そこを走っていたタクシーを呼び止めて乗り込みました。物陰に隠れてそれを見ていた三少年は、相手に逃げられてしまっては大変ですから、急いで大通りに飛び出しましたが、幸いすぐ後ろから空のタクシーが走ってきましたので、小林少年は手を挙げてそれを呼び止め、三人一緒に乗り込みました。

「ぼくはこういうものです。犯人を追跡しているのです。あの青い車を見失わないように、つけてください」

小林君はそう言って、運転手に名刺を渡しました。運転手は変な顔をしてその名刺を見ていましたが、びっくりしたように後ろを向いて小林君の顔を眺めました。

「じゃあ、あんたが明智探偵の有名な少年助手の小林さんかい。わかったよ。あの車、見失いはしないから安心しな。だが、あいつは大物かい?」

まだ若い元気な運転手は、目を輝かせて聞くのでした。

「うん、大物だよ。いまにわかるよ。頼むよ。相手に気づかれないようにね」

二十面相の車は青いボディ、小林君たちのは黒いボディ。その二台の自動車の追いかけっこが始まりました。東京の町で自動車を尾行するのは、決してやさしい仕事ではありません。たくさんの自動車が、向こうからもこちらからもすれすれになって走っているのです。ほかの自動車に間へ入られたら、向こうが見えなくなってしまいます。四つ角で赤信号が出たら、青になるまで止まっていなければなりません。その間に相手は遠く離れてしまいます。しかし、小林君たちの乗った車の運転手は、頭のいいすばしっこい青年でした。それに名探偵の助手と聞いてやる気満々になっていたので、じつにうまく運転して、けっして相手を見失いません。
執念深く青い車のあとを追い続けました。
二十分も走ると、小林君は、ハッとしました。
向こうに、見覚えのあるグランド・サーカスの大テントが見えてきたからです。
二十面相が笠原さんに化けて、その団長をつとめていたサーカスです。
かれは、もとの古巣へ戻って、いったい、何をしようというのでしょう。
青い車はサーカスの前で止まり、怪老人が降りていくのが見えました。
こちらの車は、相手に気づかれぬよう、ずっと手前に止めて、三人の少年も降りました。
怪老人は、テントの中へ入っていきました。
いよいよ変です。
サーカスには、まだ見物客がいるのです。
楽屋にも、たくさんのサーカス団員が出番を待っています。
二十面相はその大勢の中へ入っていって、どうするつもりなのでしょう。
小林少年はそれを見ると、ノロちゃんに、なにかささやきました。
すると、ノロちゃんは、大急ぎで町のほうへ走っていきました。
笠原邸にいる明智探偵に、電話でこのことを、知らせるためです。
あとに残った小林、井上の二少年は、怪老人の入っていったテントの裏口に近づき、そっと中をのぞいてみました。
もうそこには、怪老人の姿はありません。
ひとりのサーカス団員が、きょとんとした顔で立っていました。
小林君は、その団員のそばへ近づいていって、話しかけました。
「ぼくをおぼえていますか。明智探偵の助手の小林です。」
すると、若い団員は、にっこりして、
「おぼえているよ。で、なにか用事があるのかね。」
「いま、背中の曲がったおじいさんが、入っていったでしょう。」
「うん、入っていった。笠原団長からの使いだといってね。」
「あれは、たいへんなやつですよ。」
小林君はそういって、団員の耳に口を寄せ、しばらく、なにかささやいていました。
それを聞きおわると、団員は真っ青になってしまいました。
笠原団長が怪人二十面相だったと聞いて、腰を抜かさんばかりに驚いたのです。
「で、いま入っていったじいさんが、その二十面相だというのか。」
「そうです。まちがいありません。いま電話で知らせましたから、じきに警官隊が駆けつけてきます。それまで、逃がさないようにしておきたいのです。みんなに知らせないで、おもな人だけにそういって、あの老人のゆくえを探してください。どんな恐ろしい企みがあるかわかりませんからね。」
そこで団員は、楽屋へ入っていって、副団長格の空中曲芸師に、そのことを伝え、四、五人で、その辺を調べて回りましたが、怪老人の姿は、どこにもありません。
楽屋にいた大勢の者が、ひとりも老人を見ていないのです。
では、客席のほうへ紛れ込んだのかと、円形の馬場をひとまわりしてみましたが、見物席にもそれらしい姿は見えません。
怪老人はテントの裏口へ入ったかと思うと、そのまま消えてしまったのです。

大曲芸

怪老人が消えてから十分もたったころ、見物席に、恐ろしいざわめきが起こりました。
見物たちは、先を争って、大テントの外へ逃げ出そうとしています。
その混雑は、ひととおりではありません。
転んで、泣き叫ぶ子ども、悲鳴をあげる若い女の人、押しつぶされそうになって、入口を目指す人の群れ、沸きかえるような騒ぎです。
そんななかにも、見物席に踏みとどまっている勇敢な人たちもありました。
その人たちの目は、一斉に、大テントの天井を見つめています。
高い高い天井の空中曲芸のぶらんこ台に、ポックリと異様なものの姿が見えました。
あいつです。あの忌まわしい骸骨男です。
ぴったりと身についた黒いシャツとズボン、顔は骸骨そっくりの、あの怪物です。
二十面相は背中の曲がった老人から、得意の骸骨男に早変わりをしたのです。
骸骨の仮面と黒シャツは、いくつも用意してあって、サーカスの中の秘密の隠し場所にも、一組、隠してあったのでしょう。
空中では、骸骨男がぶらんこに乗って、勢いよく振りはじめました。
だんだん高く、しまいには、テントの天井につくほども激しく、そして、それが、いちばん高く上がったとき、パッとぶらんこを離れて、空中に踊り出しました。
下には網が張ってありません。
そのまま落ちれば命はないのです。
残っていた見物たちは、アッと声を立てて、手に汗を握りました。
しかし、骸骨男は落ちなかったのです。
天井に横たわっている丸太に飛びついていました。
そして、丸太から丸太へと、まるでサルのように身軽に飛び移っていきます。
とうとう、向こう側のぶらんこ台までたどりつきました。そのぶらんこ台からは、曲芸師が下へ降りるための長い綱が下がっています。骸骨男はその綱に飛びついたかと思うと、スウッと地面の近くまで滑り降りてきました。それから、その長い綱をぶらんこのように振り始めたのです。だんだんと勢いがついてきました。長い綱の振り子ですから、サアッ、サアッと円形の馬場を横切って、見物客の頭の上まで飛んできます。そして、向こうへ振ったときには、正面の楽屋の入口まで届くのです。サアッ、サアッ……まるで巨大な時計の振り子です。先に骸骨のぶら下がった振り子です。じつに見事な光景でした。怖いけれど、美しい光景でした。

その大振り子が、向こうの楽屋口に近づいたとき、骸骨男はまたしてもパッと手を離したではありませんか。骸骨男の黒い体は綱を離れて、矢のように飛びました。何かにぶつかったらおしまいです。しかし骸骨男はよほど曲芸の名人と見えて、宙をくるくると回りながら、楽屋の入口の白いカーテンの前にひょいと立ちました。

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