初級翻訳・一寸法師 第33話

一寸法師

第一は養源寺の和尚、すなわち例の不具者ですが、これはもっとも凶悪無惨な気違いには相違ないけれど、彼が三千子の手足を公衆の前にさらしたこととか、山野夫人を脅迫したことなどから考えて、直接の犯人でないことは明白です。
第二は山野夫人です。この人は三千子の継母である上に、ここにあるショールその他の三千子の持ち物が彼女の部屋の押し入れに隠されていたり、不具者の脅迫に応じたりして、もっとも深い疑いをかけられていましたけれど、私はあとでお話しする別の人物を疑っていたために、小林君のように性急に断定することをしなかったわけです。それに今となっては、すでに夫人が(あることの)告白をしてしまいましたので、彼女の無実は明白になりました。
第三は三千子にとっては恋敵の小間使い・小松です。この女は事件のあった日から病気と称して一間に閉じこもり、数日後には家出をして今もって行方が分からないというようなことで、警察でも深くお疑いになっているようですが、私にはある理由から彼女の所在が分かっております。そして、決して犯人ではないということも。
第四は今、未決監に放り込まれている可哀想な北島春雄ですが、この男が犯人でないことは最初から分かっております。それは当日、外部から忍び込んだ形跡が皆無だったことのほかに、彼が犯人だとすれば凶行に石膏像なんかを使用するはずもなく、ピアノやゴミ箱のような手間のかかる方法によって死体を隠匿する理由もないわけですから」第五の嫌疑者である運転手の蕗屋は、事件の翌日に故郷へ帰ったことで多少疑われていましたが、彼は三千子の恋人であり、三千子を嫌っていた様子もなく、殺人の動機がありません。
そればかりか、私はこの男の居場所も突き止め、彼が犯人ではないことを確認することができたのです。
つまり、五人の嫌疑者のなかには、一人も真犯人がいないということが分かったのです」
明智はいつものように、思わせぶりな言い方をしました。
これが彼の探偵生活における、いわば唯一の楽しみなのです。
しかし、それが聞き手の好奇心を刺激した効果は絶大でした。
彼らはタバコを吸うことさえ忘れ、まるで小学生のように、滑らかに動く明智の唇ばかりを見つめていました。
「ところが、ここにもう一人、第六の嫌疑者が現れました。
それはたった今、私の部下が山野夫人と小林君のあとを尾けて、夫人の告白を聞いて確認することができたのです」明智は隅田堤での一部始終をかいつまんで話しました。「これは山野夫人の不思議な行動から、私も早く気づいてはいたのです。
しかし、貞淑な夫人の数々の人知れぬ心遣いは、夫人には誠にお気の毒なことですが、全く無駄であったのです。
山野氏は、決して実子殺しの罪人ではありません」
驚くべきことに、明智はそうしてすべての嫌疑者を、片っ端から否定してしまったのです。
「しかし、夫人が『山野氏が過って実子を殺したのだ』と信じたのは、決して無理ではなかったのです」明智は続けました。
「夫と妻の間にそんな誤解が生じるというのは、少し考えると変なことですが、山野氏が人一倍厳格な性格であること、夫人との間柄が一種特別の、例えば昔流の主従のような関係にあったこと、それから、今度の事件に対する山野氏の不思議な態度が、二人の間に妙な距離感を生んだことなども、この誤解の原因であったに違いありません。
すべての事情が、偶然にも山野氏を指さしているように見えたのです。
第一に、事件の当夜、山野氏は洋館の方で夜更かしをしました。
運転手の蕗屋を追いかけて行って、多額のお金を与えました。
そこから帰ると神経性の熱に襲われ、事件が発展するにつれて彼の病気は重くなっていきました。
家人を遠ざけて、口も利かない日が続きました。
それから、不具者が夫人に送った脅迫状のなかには、山野氏の名前が記されていたのです」
彼は台の上の例の焼残りの手紙を手に取り、それを手に入れた経緯や、文面などを説明しました。
聞き手は皆、意外そうな顔をしていました。
たった一人、安川国松だけが、明智の話も耳に入らずブルブルと震えていました。
紋三も最初は意外な感じがしました。
いよいよ間違いないと思っていた山野氏まで犯人でないとすると、もはや疑うべき人物は誰ひとり残っていないのです。
一体全体、明智は何を考えているのでしょうか。
彼は今夜、真犯人を引き渡すと公言しています。
では、その犯人はこの安川の家にいるのでしょうか。
まさか、あの人形師がその犯人ではあるまいな。
だが、そんなふうに色々と考えているうちに、ふとある驚くべき考えが、彼の頭をかすめました。
彼は驚きと喜びのために、顔が真っ赤になりました。
「あの写真だ。
明智があの写真を見て、つまらないおしゃべりをしていた。
あれだ。
あれをもっとよく考えて見ればよかったのだ」
それは以前、明智の机の上にあり、今はそこの台に乗せてある、山野の家族一同の写真でした。
明智がなぜあの写真を意味ありげに取り扱ったか、その理由が今こそ分かったのです。
それにしても、これはまあ、何という驚くべき事実でしょう。
「そこで、嫌疑者が一人もいなくなったわけですが、殺人行為があった以上、犯人がいないはずはありません」明智の説明は続きました。
「犯人は確かにいたのです。
ただ、それが余りに意想外な犯人であるために、誰ひとり、山野夫人すらも、気がつかなかったのです。
私は約束通り、今夜その犯人を引き渡します。
ですが、その前に、私が真犯人を発見するに至った経緯をかいつまんでお話ししておきたいと思うのです。
警察の方々には、多少参考にもなろうかと思いますので」
またしても明智の思わせぶりな態度でした。
田村検事はもどかしさに、ガタリと足を組み直しました。
「明智君、いやに気を持たせるじゃないか。
まずその犯人を明かしてからにしてくれ」
「さては」明智は愉快そうにニコニコして、「君にもまだ見当がつかないと見えるね。
しかし、まあ順序よく話させてくれ」
「どうも、君の話は小説的でいけない。
なるべく簡単に頼むよ」
磊落な田村氏は笑いながら、友人の冗談に応じました。
「私が最初、この事件にある不調和を見出したのは、この化粧品のクリームの瓶からです」明智は台の上の白いポンピアン・クリームの壺を取り上げました。
「音楽家が不協和音に敏感なように、探偵は事実の不調和に敏感であることが必要かも知れません。
往々にして些細な不調和の発見が、推理の出発点になるものなのです」「これは三千子の化粧台から持ってきたものですが、ご覧の通り、外の瓶には皆指紋がついているのに、このクリームだけは拭き取ったように、何の跡もありません。一番油がつきやすいクリームの瓶だというのに。

ところが、外側は注意深く拭き取ったにもかかわらず、千慮の一失というべきでしょうか、中のクリームの表面に、実にハッキリと指紋が残っているのです。そして、その指紋は外の瓶や、例の切断された腕の指紋とは、全く別人のものなのです。これは右の人差し指の指紋です。こちらの水白粉の同じ指のと比較しますと、不思議によく似てはいますが、肉眼で見たのでは区別がつかぬほどですが、レンズで見ればまるで別人の指紋であることが分かります。

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