初級翻訳・「ケット」と「マット」 第4話

「ケット」と「マット」

そのため、今の青森や浪岡(なみおか)のあたりにまで、「狄掛(えみしかけ)」というお役人が置かれていたほどなのです。

寛文七年(かんぶんしなへん)、津軽の殿様である津軽信政(つがるのぶまさ)がまだ十五歳で、江戸の藩邸からはじめて自分の領地へやって来たときのことです。途中まで出迎えに来た家来たちの様子がとても素朴で、まるで蝦夷のようだったため、殿様は大いに驚き、ため息をついて和歌を詠んだ――ということが、津軽の人々自身によって書き残されているほどです。この地方は、かなり後になってもまだまだ「蝦夷」の雰囲気が濃く残っている場所でした。

しかし、今日では平野部は言うまでもなく、山の中に入ってみても、明らかに蝦夷の名残だと分かるような人たちはもういません。
もしかすると、里に住んだ人たちは早いうちに農民となって日本民族に溶け込み、山に住む人たちも「蝦夷」としては人々に忘れられて、ただ海岸にいた人たちだけが「蝦夷の子孫」として広く語り継がれることになったのでしょう。

だからといって、山のなかに蝦夷がまったく残らなかったわけではありません。
菅江真澄(すがえますみ)の旅行記である『美香弊乃誉路臂(みかかへの方臂)』によると、山の中で狩りをする「マタギ」たちには「山辞(やまことば)」という特別な言葉があって、その中には「蝦夷の言葉もとっても多い」と書かれています。
真澄は松前のほうへも渡ったことがあり、アイヌの言葉についてもかなり知っていたはずですから、その言うことにはとても信じる価値があります。
また、『秀酒企之温湯(しゅしゅきのゆ)』という本には、マタギが出会った女性に対してちょっとふざけたときの様子が書かれています。「〇〇をホロにして……」といった言葉が載せられており、「保呂(ほろ)とは大きいことを言う」と説明されていますが、これはきっとアイヌ語で「大きい」を意味する「ポロ」に違いありません。
マタギの歴史については、またいつか別の機会にくわしく説明したいと思いますが、彼らがもともと山のなかに取り残された蝦夷の血を引いていることは間違いありません。ただ、そのルーツが忘れられてしまっただけなのです。

そしてここに、越後(えちご)の山のなかで、かつて奥羽(おうう)のマタギたちと同じような暮らしをしていた「ケット」という人たちがいたことは、この二つを見比べると最高にワクワクする面白い事実なのです。

ちなみに言うと、昔エビス(蝦夷)が残っていた地方には、名前に「エビス」や「エビ」といった言葉がつく地名が各地にたくさんあります。
大阪の河内(かわち)のあたりにまで「エビ谷」という場所がありますが、ここには漢字でハッキリと「毛人谷(けびとだに)」と書かれています。
これはおそらく、昔よその土地から連れてこられて住まわされた人たち(俘囚=ふしゅう)がこもっていた場所なのでしょう。
奥羽地方には特にそうした地名がたくさんありますが、越後の国でも、西蒲原郡(にしかんばらぐん)の弥彦村(やひこむら)にある「※穴(えあな/※は虫偏に恵)」、中蒲原郡(なかかんばらぐん)の大形村(おおがたむら)にある「海老ガ獺(えびがだつ)」、南蒲原郡(みなみかんばらぐん)の中の島村(なかのしまむら)にある「海老島(えびしま)」、中頸城郡(ななくびきぐん)の八千浦村(やちうらむら)にある「夷浜(えびはま)」やその新田(しんでん)、南魚沼郡(みなみうおぬまぐん)の浦佐村(うらさむら)にある「鰕島(えびしま)」、南旭村(みなみあさひむら)の「鰕島新田(えびしましんでん)」、岩船郡(いわふねぐん)の金屋村(かなやむら)にある「海老江(えびえ)」などがあります。さらに、「ケット」や「マット」がいる中魚沼郡(なかうおぬまぐん)から西へつながる東頸城郡(ひがしくびきぐん)の山あいにも、ただ「海老」や「鰕池(えびいけ)」といった名前が見つかります。
これらはすべて、かつて毛人(けびと)と呼ばれた人たちが住んでいた名残を伝えているものなのでしょう。

四 「マット」の語義

ケットに対するマットは、言うまでもなく「真人(まひと)」という意味でしょう。
今でもちょうど、同じ郡の中に「真人村(まひとむら)」という村があります。
「マット」の「マ」は、「真人間(まにんげん)」「真事(まこと=真心)」「真ッ白(まっしろ)」「真菰(まこも)」「真菅(ますげ)」などの「マ」と同じで、その漢字のとおり「本当の」「真実の」という意味を持っています。
したがって、ここで言う「マット」とは、「ケット」の人たちがまわりの人たちからちょっと変わった異民族のように見られていたのに対して、自分たちは「普通の人間」、つまり「本当の日本人なのだ」と誇らしげに名乗った名前なのでしょう。

昔、天皇に仕える尊い身分を表す八つの姓(八色の姓=やくさのかばね)の一番上に「真人(まひと)」というものがありました。
これは天皇の御子(みこ)から枝分かれした家柄に与えられたもので、『新撰姓氏録(しんせんしょうろく)』という古い本では、特にこれを一番最初の巻に置いています。そのはじめの書き出しには、「真人はこれ、天皇の血を引く氏族の中の最上のものである。京の都のまわりの人たちを並べて集め、これをひとつの巻として、天皇の血筋のトップに置く」と述べられており、他の皇族の血を引く氏族たちとの間には、はっきりとした格別の違いがあることが認められているのです。

考えてみると、「ヒト」という言葉は、もともとは日本のはじめての神様である「天孫民族(てんそんみんぞく)」を意味していました。それがやがて、先住民族や日本にやってきて仲間になった外国の人たち(帰化民族)も一緒になって、みんなでひとつにまとまって作り上げた「日本民族」全体のことも意味するようになったのです。

そして、ふつうに「人間」というものを呼ぶときには、かつてはそれとはまた別の言葉があったように思われます。
ちょっとためしに、これを近所にあるほかの民族の言葉と比べてみましょう。アイヌの言葉では、人間(人類)のことを「クル」と言います。
「コロボックウングル」、「トイチセグル」、「メナシクル」、「シュムクル」、「チュプカグル」、「コタンコルクル」といった名前の最後につく「クル」がまさにそれです。

琉球(りゅうきゅう=今の沖縄)にも、昔はこれによく似た言葉がありました。
『混効験集(こんこうけんしゅう)』という本の中に、「大ころ、男の事か、こしあて大ころと云へば夫の事なり」と書かれていますが、ここに出てくる「コロ」こそがそれなのです。

朝鮮の古い言葉でも、「骨」という漢字をあてて「コル」と読み、一族やグループという意味で使っていました。
「王骨(おうこつ)」といえば、まさに「王族」のことです。
満州の言葉でも同じように、「イランコル」などの言葉があります。
モンゴルでも、日本人のことを「東の太陽が昇る所の人」という意味で「ナルングル」と呼ぶそうです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました