初級翻訳・あひると猿 第1話

あひると猿

去年の夏、信州の沓掛(くつかけ)駅に近い、湯川の上流に沿った谷あいの星野温泉で、前後に二回、合わせて二週間ほどを毎日の面倒なこととは一切無縁にのんびりと過ごしました。これが体にも心にも、目に見えていい効果があったように思えたので、今年の夏もはりきって出かけていきました。

去年と同じ宿のベランダに出て、屋根のひさしにかかる厚朴(ほおのき)の大きな葉を見上げ、建物の前網に広がる池の静かな水面を見下ろしたとき、去年の夏の記憶が、ほんの二、三日前のことであるかのようにいきいきとよみがえってきました。
十か月以上の時間がその間に流れたとは、どうしても思えませんでした。
信州にいる自分というものが、東京にいる自分のほかに実ってもう一人いて、それがこの一年の間眠っていて、今ひょっこり目を覚ましたのだというような気がするのです。

このように、まわりのものはすべて去年とそっくりそのままのようですが、しばらく眺めていると、また少しずついろいろな違いが目につくようになってきます。
たとえば、池のほとりから水面におおいかぶさるように茂った見知らぬ木があることは知っていましたが、そこには去年は見なかった、珍しい十字形の白い花が咲いています。
それは、日比谷公園の一角に、イギリスから贈られたものだという説明の札をつけて植えてある「花水木(はなみずき)」という木と、少なくとも花だけは本当によく似ているようです。
しかし、植物図鑑で調べてみると、これは「やまぼうし」、別名「やまぐわ」(Cornus Kousa, Buerg.)というものにあたるらしいのです。
とにかく、わずかな季節の違いで、去年はなかったものが、今突然目の前に現れたように思われるのでした。

注意深くない私たち素人には、花のない見知らぬ樹木はだいたい針葉樹と広葉樹の二色くらいか、せいぜいで十種や二十種にしか見分けられないのに、花が咲いてみるとそこに何か新しい別のものが生まれたかのように感じるものらしいのです。
無理なたとえかもしれませんが、人間の個性も、やっぱり何かしらひと花咲かせてみないと、その存在がはっきりしない、あれと同じだというような気がするのです。

去年の七月にはあんなにたくさん池のまわりに遊びに来ていた鶺鴒(せきれい)が、今年の七月はさっぱり見当たりません。
そのかわりに、去年はたった一羽しかいなかったアヒルが、今年は十三羽に増えています。
カモのような羽の色をしたペアのほかに、真っ白なメスが一一羽、そしてその「白」が産んだ子どもが十羽です。
子どもたちは、七月に行ったときはまだ黄色の毛糸で作ったおもちゃのような格好で、羽などもほんの琴の爪くらいの大きさの、いわば形だけのものでした。
それでも時々背伸びをして、一人前らしく羽ばたきのまねっこをするのがとてもユニークでした。
まるで麦笛を吹くような声で「ピーピー」と鳴き立ててはベランダの前へやってきて、ごはんの残りや、せんべいの欠けらをねだるのです。

それからまた、池に入ったかと思うと、いそがしく水中にもぐり込んでは、底の泥をくちばしでつついて歩きます。
その水中を泳ぐ姿がなんとも面白くて愛らしく、地上では絶対に見られない、ヘンテコな小さな妖精の姿そのものです。
鳥のご先祖さまはハ虫類だそうですが、なるほど、どこかワニなどが水中を泳ぐ姿に似ているところがあるようです。

もっとも、親鳥がこんな格好をして水中を泳ぎ回ることは、一度も見たことがありません。
この点では、かえって子どものほうが親よりもいろいろできて有能だとも言えます。
親鳥なら、ただちょっと逆立ちをして、しっぽを空につき出しさえすればくちばしが自然に池の底に届くのですが、子どものほうはこうして全身を水に沈めないと目的が達成できないので、そうせざるを得ないからこの技をやるのでしょう。それにしても、水中にもぐっている時間を計ってみると、やっぱり子どものほうが圧倒的に長く、だいたい七秒か八秒ものあいだ水中にもぐって底を泳ぎ回るのに、親鳥のほうはせいぜい三、四秒くらいでもう頭を上げてしまいます。
これはきっと、子どもと親鳥とでは、体のつくり(生理的機能)にそれだけの違いがあるということなのだと思います。

カモの羽をした夫婦は、おしどりのようにいつもお互いに一メートル以内くらいの距離を保って仲よく泳いでいます。
一方で、白いお母さん鳥と十羽の子どもたちが、また別の一グループを作って動き回っています。
そして、この二つのグループの間には、いつも一定の「お互いを尊重する距離」がしっかり守られているように見えました。

ところが、ある日、その神ごとなルールを根底からぶち壊すような大事件が起きるのを、偶然にも目撃してしまったのです。
いつものように仲よく並んで泳いでいたペアのオスの方の鳥が、本当になんの前触れもなく、けたたましい羽音を立てて水面を走り出したかと思うと、そのまま水中に全身をめり込ませるようにもぐり込みました。
そして、まっしぐらに水中を、おそらく三メートル以上もものすごい勢いで突き進んでいき、静かに浮かんでいる白いおやこ鳥のそばにポンと浮かび上がったかと思うと、いきなりその首筋にかみついて、この弱々しい小柄なお母さん鳥の体を水中にグイッと押し沈めたのです。びっくりして見ていると、このいばりんぼうは、しばらくするとかわいそうな人質をパッと放してあげました。そして、まるで何事もなかったかのように、すーいすいと自分の奥さんのいる一メートル以内の場所へ戻っていきました。
やさしい奥さんも、この世には何一つ変わったことなんて起きなかったんだよと言わんばかりの落ち着いた顔で、この浮気な旦那さんを出迎えたのでした。
一方で、突然おそわれて解放された白いお母さん鳥も、ちょっとだけボサボサになった羽をくちばしでキレイに整えて、「ふぅ、びっくりした」とばかりに身なりを直すと、こちらもあっという間にショックから立ち直ったらしい十羽の子どもたちを引き連れて、おだやかに池の反対側へと泳いでいくのでした。
鳥たちの世界には、なんと離婚問題も慰謝料問題も起こらないのです。
著者(わたし)がここへやって来る前には、オスが二羽いたそうです。
そのうちの一羽が、もうやりたい放題の暴れん坊で、もう一羽をいじめてばかりいました。
そのたびに、今もいるカモ模様のメスが、人間でいう「まあまあ、落ち着いて」と仲裁に入る人のようにそばにトコトコと寄っていって、いつもとはちょっと違う、ひくーい声で鳴いていたそうですが、ある日突然、その暴れん坊のオスの姿が池から消えてしまったのだそうです。
おそらく、宿のキッチンの料理人さんに連れていかれてしまったのでしょう。ちょうどその日の夜、宿の本館はたくさんの軍人さんのお客さんで大にぎわいだったそうです。
そうして、そのときに池に取り残された気弱なほうのオスが、今ではこの池の王様になり、暴れん坊になり、あちこちにいい顔をするモテ男(ドンファン)になっているというわけです。

七月の終わりにいったん東京へ戻り、そこからちょうど二週間たって再びやってきて驚いたのは、アヒルの子どもたちの成長の早さでした。

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