初級翻訳・いたずら小僧日記 第4話

いたずら小僧日記

そして例の写真の本尊たちを一人ずつ訪問して歩いた。
一番最初に行ったのは「うぬぼれ鏡」君の家であった。
先生は店に堂々と構えていた。
ぼくは大人になってもあんな髭を生やしたくないと思った。
いくらカイザル髭がコレラ病みたいに流行ったって、彼では少しやりすぎだ。
それも太いのならまだしも、細いのが五六本ピンとトンボ返りをしているのは決して見ていいものではない。
「やあ、太郎さん、よく来たね。
もうすっかり具合いいのかい。
うむ、それはよかった」
と、猿真似みたいな男は一人で喋っている。
ぼくは少しの間話をした。
「お姉さんたちはどうですか。
最近は店の方がいすくて、大変ご無沙汰しちまった。
歌子さんは相変わらずピアノですか」
とこちらが返事もしないのによく喋る奴だ。
お歌さんがピアノで堪るものか。
お歌さんはぼくのお姉さんだ等と思っていると、先生は新しい襟飾りを出してきてぼくくれた。
ぼくは引き換えにポケットから写真を引っ張り出して渡した。
お姉さんたちの悪戯で、髭は鉛筆で二倍も引き伸ばされている。
「その写真はあなたに似ていますね」
と言うと、見る間に天気模様が変わって、
「太郎さん、これは君の悪戯だろう。
誰がこんなことをした?」
と今にも噛みつきそうな顔をした。
「多分神さまがやったんでしょうよ」
とぼくはフクロウみたいに馬鹿面をして答えた。
そして今にも雷が落ちそうだったから、一目散におっ走ってきた。
次に行ったのは雑貨店である。
ここにも若旦那がいる。
頭の毛の赤い、頬に赤痣のある人だ。
彼でもクラブ白粉の広告に出るつもりで運動をしているって、富子さんが言っていた。
「ご機嫌よう」
「やあ、太郎さん、ご機嫌よう。
よく来たね。
君は干し葡萄が好きだったね、さあお食べ」
とぼくにとりわけ干し葡萄を一掴みくれて、親の仇にでも会ったように喜んでいる。
美しいお姉さんが三人もあると、どこへ行っても評判がいい。
ぼくは帳場に座って葡萄を食べた。
そしてそろそろいい頃だと思って、写真を出して、藪睨みのようにして一心に眺めながら、
「どうもこの写真はあなたに似ていますよ」
と顔を見比べてやった。
「どれ」
と赤旦那は森川さんのところの書生のような返事をして手を出した。
「手を出す心は乞食の心」とぼくが言うと、奴さん本気にして手を引っ込めたから、ぼくはまた「引っ込む心は河童の心」と大きな声を出した。
店の者はみんな笑っていた。
「冗談は止して早く見せ給え」
と、止めればいいのに痣旦那はやたらと見たがるから、あまり焦らして虫でも出ると悪いと思って、ぼくは写真を渡してやった。
これもお姉さんたちの悪戯で、痣がたくさんこしらえてある。頭の毛は赤いインキで塗ってある。
裏面には「これでも申し込んだのよ」と書いてある。
赤旦那が青旦那に変色した頃は、ぼくは干し葡萄をもう一掴みもらって、外へ出て飛び跳ねていた。
片岡さんは弁護士である。
事務所は新町にある。
この人は度々家へ来るからぼくはよく知っている。
恐ろしく声の太い人だ。
事務所に入ったときは何だか胸がドキドキした。
おおよそ気後れがしたのであろう。
しかし道順だからどうしても寄らなければならない。
「こんにちは、こんにちは、何か見世物がありますか」
「何だ。
やあ、太郎さんか」
とバリストルは新聞を置いて、ぼくを見下ろした。
荒々しい仁王を微笑ませるのもひとえにお春姉さんの威光である。
「あの、お春姉さんがこうおっしゃいましたよ。
何て言うんです、今日片岡さんの事務所へ行くと、あんな怪物が見られますって」
ぼくは「珍世界」の写真を三脚机の上に置いたが、もう少しで殴られるところだった。
珍世界だけあって事が荒い。
片岡さんは訴えるとか何とか言って怒っていた。
まだ方々へ行ったのだけれど、それを一々書いていると夜中までかかる。
また鮒のようにあくびが出始めたから、これで終わりにする。
夕飯までに写真をみんな配って帰ってきた。
ご飯のときに姉さんたちは次の週に舞踏会をしたいって、三人がかりでお母さんをおねだりしていた。
しかし招待状を出しても男は一人も来ないだろう。
来なくたって構わない。
ぼくが一人でごちそうを食べてやる。
お母さんの許可が出て、土曜日に舞踏会をするので、姉さんたちは蜜蜂のように忙しい。
ぼくも大層おとなしい。
疲れるくらいにお手伝いをしてやっても、邪魔になって仕様がないそうだから、ぼくは椅子に座って見物していると、しきりに呼び鈴が鳴った。
やたらに鳴らす。
一体誰が来たのだろうと思って飛んで行くと、田舎の伯母さんが来たのだ。
伯母さんは年に二度ずつ来て、一週間くらい泊まって帰る。
花さんは顔をしかめて、
「仕様のない伯母さんねえ、いつでも困る時に来るのだもの」
「また一週間はお泊まりでしょう。
すればきっと舞踏会にも出なさるわ。
あの昔の着物を着て」
「困るわねえ」
と三人がかりで困っている。
伯母さんは金持ちだけど、昔気質の人だそうだ。
その顔はまるで動物と共にノアの箱船から出たばかりという顔だそうだ。
日曜学校で教わったときに、動物はみんな二匹ずつ出て来たと聞いたが、伯母さんは老嬢だから一人で出て来たに相違ない。
なにしろ姉さんたちがしきりに困っているものだから、ぼくも困った人が来たと思って、大いに困っていた。
お茶が済んで伯母さんは一人で二階にいた。
ぼくはご機嫌うかがいに行って、少しお話ししたあと、本題に取りかかった。
「伯母さん、伯母さんは姉さんたちが可愛いですか、憎いですか」
「何を言うのだね、お前は。
姉さんたちやお前が可愛いばかりに遠いところをこうして来たんじゃないか」
「本当ですか?」
「お前はよっぽどおかしなことを訊く子だね」
「それじゃあ本当に可愛いなら、伯母さんは今からすぐに帰ってください。
姉さんたちは舞踏会があるので、伯母さんがいちゃ困るんですって、お友達に外聞が悪いのですって」
とさらにぼくは納得がいくように詳しく話してやった。
ぼくは伯母さんがあんなに怒るだろうとは思わなかった。
伯母さんは火のようになって、すぐさま鞄を抱えて、階下へ下りた。
そして車屋を呼んできてくれと言った。
お父さんもお母さんもびっくりして、しきりにお止めした。
姉さんたちも泣き声になって止めた。
しかし伯母さんは返事もしない。
一徹だから言い出したら決してあとへは引かない。
お歌さんは手を払い除けられた。
「もうお前の家の敷居はどんなことがあっても跨ぎません。
恩知らずの家へは、もうもうもう二度と再び来ませんから」
と伯母さんはこうもり傘で土を叩きながら、牛のようなことを言って、鞄を抱えたままで、さっさと行ってしまった。
「どうしたのだろう」
とお父さんが言った。
「どうしたのでしょうか」
とお母さんお父さんの顔を見た。
「本当にどうなさったんでしょうねえ」
と姉さんたちも口を出した。
そしてみんな少しの間顔を見合わせていた。
「本当にどうなさったんでしょうね」もないものだ。
ぼくはなかなか苦労した。
待ちに待った舞踏会の晩が来た。
お島はぼくによそ行きの洋服を着せて、髪を横になでつけるなよと言ったから、一発殴ってやった。

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