初級翻訳・かもめ 第15話

かもめ

まったく結構なお慰みだこと!
トレープレフ (皮肉っぽく)ほんものの天才だってさ!(怒りでカッとなって)こうなったらもう全部言っちゃうけどね、僕の才能だって、あんたがたの誰よりもずっと上なんだ!(頭の包帯を自分でむしりとる)あんたがたみたいに古い殻をかぶった連中が、いつまでも芸術の王座にどっしり居すわって、自分たちのやることだけが正しくて本物だと決めつけて、そのほかのものをみんな迫害して窒息させちまうんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか! 断じて認めないぞ、あんたも、あいつもだ!
アルカージナ デカダン(退廃的)ね……!
トレープレフ さっさと自分の古巣の劇場へ戻って、気の抜けたやくざなお芝居でもやってればいいんだよ!
アルカージナ お生憎様、そんな下品な芝居になんて出たことは一度もないよ!
もうわたしにかまわないでおくれ! お前ちゃんだって、まともな茶番劇ひとつ書けないくせにさ。
キーエフの田舎者め! ただの居候のくせに!
トレープレフ けちんぼめ!
アルカージナ 行く当てのない宿なしめ!

トレープレフは床に腰をおろして、声を殺して静かに泣く。
アルカージナ このいくじなし! (興奮して部屋の中をふらふらと歩きながら)泣くんじゃないよ。
泣かなくたっていいの……。
(もらい泣きしながら)いいんだからね……。
(息子の額や頬や頭に何度もキスをする)かわいいわたしの子、許しておくれよ。
……罪深いお母さんを許しておくれ。
不幸せなわたしをどうか許して……。
トレープレフ (母親をぎゅっと抱きしめて)僕の本当の気持ちがお母さんにわかったらなあ! 僕はもう何もかも、すっかり失くしてしまったんだ。
あの人は僕を愛してくれないし、僕はもう書く気になれない……未来の希望もみんな消えちまったよ……。
アルカージナ そんなに気を落とすんじゃないよ……。
……これから全部うまくいくから。
あの人は今すぐここを発っていくし、あの子だってきっとまたお前のことを好きになるわよ。
(息子の涙を優しく拭いてあげる)さあ、もうおしまい。
これで仲直りだからね。
トレープレフ (母親の手の甲にキスをして)うん、ママ。
アルカージナ (やさしい声で)あの人とも仲直りしてちょうだいね。
決闘なんて、そんなものいるわけないでしょ……?
ねえ、いいわね。
トレープレフ うん、わかったよ……。
……ただね、ママ、あの男と顔を合わせないですむようにしてほしいんだ。
想像しただけでも辛いんだよ……とても我慢できないんだ……(そこへトリゴーリンが本を読みながら登場する)ほら、来ちゃった。
僕、出ていくから……。
(手早く薬のビンを戸棚にしまう)包帯はあとで、お医者さんに巻き直してもらうよ……。
トリゴーリン (本のページをめくりながら探して)百二十一ページ……上から十一行目と十二行目。
……これだな。……(本を読みながら)「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」

トレープレフは、床に落ちていた包帯をひろいあげて、そのまま部屋から出ていった。
アルカージナ (時計をチラリと見て)そろそろ馬車が来るころだよ。
トリゴーリン (ひとりでにつぶやくように)もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね……。
アルカージナ あなたの荷づくりは、もうちゃんと言い終わってるんでしょうね?
トリゴーリン (もどかしそうに)ああ、もう……(考え込むように)この純粋な言葉のなかに、どうしてぼくはこんなにも悲しそうな響きを聞いてしまうんだろう。
どうしてぼくの胸は、こんなに切なく締めつけられるんだろう……「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」。(アルカージナに向かって)ねえ、もう一日だけ、ここに残ろうよ!

アルカージナは、首を横に振る。
トリゴーリン ねえ、残ろうよ!
アルカージナ あなたが何に心を奪われているのか、わたしにはちゃんとお見通しよ。
だけど、しっかり我慢しなきゃダメ。
あなた、ちょっと酔っぱらってるんだわ、目を覚ましてよ!
トリゴーリン 君こそ目を覚ましてくれよ。
ちゃんとした大人の分別を持ってさ、どうかこの問題をじっくりと見つめてみておくれよ、本当の親友としてさ。
……(彼女の手をぎゅっと握って)君は、人のためになんでもしてあげられる優しい人だ。
……だからぼくの親友になってくれ、そして、ぼくを行かせておくれよ……。
アルカージナ (すっかり興奮して)そんなに夢中になっちゃって、どうかしちゃったの!?
トリゴーリン どうしても引きつけられてしまうんだ! もしかすると、これこそがずっとぼくが探していたものなのかもしれない。
アルカージナ たかが田舎の女の子の恋なんかでしょ? あなたは本当に自分のことがわかってないわね!
トリゴーリン 人間っていうのは時々、歩きながら眠っていることがあるんだよ。
まさに今のぼくがそれさ。こうして君と話をしているっていうのに、心の中ではうとうと眠っていて、あの子の夢を見ているようなものなんだ……。
もうどうしようもないくらい甘い夢のなかに、すっかり心を奪われてしまったんだよ……。
だから、行かせておくれ。
アルカージナ (ふるえながら)やだ、絶対いや。
……わたしはただの普通の女だから、そんな難しい話はわからないわよ。
……いじめないでよ、ボリス……。
わたし、なんだか怖いよ……。
トリゴーリン その気になりさえすれば、君だってすごい女になれるんだよ。
未知のすてきな世界へ連れていってくれるような、若々しくて、うっとりするような、詩みたいな恋――この世の中でそれだけが、本当の幸せをくれるんだ! そんな恋を、ぼくはまだ一度も味わったことがないんだよ。
……若いころは、雑誌社に何度も通いつめたり、貧乏と戦ったりで、そんな余裕はなかったんだ。
それが今やっと、その恋が、ついにやってきて手招きしているんだよ。
……それを避けたほうがいいなんて言える理由が、どこにあるっていうんだい?
アルカージナ (カンカンに怒って)あなた、頭がおかしくなったのね!
トリゴーリン たとえそうだとしてもかまわないさ。
アルカージナ あなたたち、今日は示し合わせたみたいに、みんなでわたしをいじめる気なのね!(わーっと泣き出す)
トリゴーリン (自分の頭を抱え込んで)全然わかってくれない! まったくわかろうとしてくれないんだ!
アルカージナ ほんとにわたしって、そんなに歳を取っちゃって、みっともなくなっちゃったの? わたしの目の前で、ほかの女の話をそんなに大っぴらにできるなんて!(彼にしがみついてキスをする)ああ、やっぱりあなた、どうかしてるわ! わたしの大事な、大好きな人……。
あなたこそ――わたしの一生の最後のページなんだから!(その場にひざまずいて)わたしの喜びで、わたしの自慢で、わたしのありったけの幸せ……(彼のひざにしがみつく)たとえ一時間でもあなたに捨てられたら、わたしなんて生きていけないわ、気がおかしくなっちゃう。
わたしのかっこいい、輝いてる人、わたしの王さま……!
トリゴーリン だれか来るよ。

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