初級翻訳・かもめ 第14話

かもめ

……まあ、服くらいは新しく作ってあげられるかもしれないけれど、外国になんてとても無理よ。
……ううん、やっぱり今のところは、服だって無理だわ。
(きっぱりと)わたし、お金なんてないもの!

ソーリンが笑う。
アルカージナ 本当にないのよ!
ソーリン (口笛を鳴らしながら)なるほどね。
いや、ごめんごめん、許しておくれ。
お前の言うとおりなんだろうとも。
……お前は気前がよくて、太っ腹な女だからな。
アルカージナ (涙ぐみながら)だから、お金がないって言ってるでしょ!
ソーリン わたしにさえお金があればねえ、そりゃあすぐにでもぽーんとあの子に渡してやりたいところだけど、あいにくすってんてんで、五銭玉一つないんだから。
(笑いながら)わたしの年金なんて、残らず支配人に取り上げられちまって、畑仕事だの牧畜だの養蜂だのにつぎ込まれてしまう。
だから、わたしの手元に残るお金は、元も子もなくなっちまうのさ。
蜂は死ぬわ、牛はくたばるわ。
馬だって、わたしのために貸してくれたことなんしない……。
アルカージナ それはわたしだってお金がまったくないわけじゃないけれど、なんといっても女優だもの。
衣裳代だけで財産がすっかりすり減っちゃうわよ。
ソーリン お前はいい子だ、本当に可愛い女だよ。
……わたしはお前を尊敬している。
……そうともさ。
……だけど、わたしはなんだか……(よろめく)めまいがする。
(テーブルにつかまる)気分が悪くてたまらないんだ、とまあこういうわけさ。
アルカージナ (仰天して)ペトルーシャ! (必死に彼を支えながら)ペトルーシャ、しっかりして……(叫ぶ)誰か来て!
誰か早く来てよ!……

頭に包帯を巻いたトレープレフと、メドヴェージェンコが登場する。
アルカージナ 急に気分が悪くなられたのよ!
ソーリン いやなに、大したことはないさ……(ほほえみながら、水を飲む)もうすっかり治ったよ……とまあこういうわけだからさ。
トレープレフ (母親に向かって)そんなにびっくりしないでよ、ママ、危険なんてないから。
伯父さんは最近、こういうことがしょっちゅうあるんだ。
(伯父に向かって)伯父さん、少し横になるといいよ。
ソーリン うん、ほんのちょっぴりな。
……だが、とにかく町へは出かけるさ。
……少しひと休みしてから出発するよ……なにしろそういうことだからな……(杖にすがりながら歩き出す)
メドヴェージェンコ (腕を支えながら)じゃあ、こんななぞなぞはどうですか。
朝は四つ足、昼は二本足、夕方は三本足――なーんだ?
ソーリン (笑う)そのとおりだな。
そして、夜には仰向けになる、ってか。
いや、ありがとう、もう一人で歩けるよ……。
メドヴェージェンコ ほらまた、そんなに遠慮する!……(彼とソーリンが退場する)
アルカージナ ああ、びっくりした!
トレープレフ 伯父さんには、この田舎暮らしが毒なんだよ。
いつも退屈して、塞ぎ込んでいるんだから。
もしママが、気前よくぽーんと千五百か二千ばかり貸してあげたら、あの人はまる一年間、町で暮らすことができるのになあ。
アルカージナ わたしにお金なんてあるわけないでしょ!
わたしは女優であって、銀行家じゃないんだから。
(間)
トレープレフ ママ、包帯を替えてくれないかな。
ママは巻き方がうまいからさ。
アルカージナ (薬品戸棚からヨードホルムと包帯の箱を取り出しながら)お医者さんは遅いわね。
トレープレフ 十時ごろって言ってたのに、もうお昼じゃないか。
アルカージナ 座って。
(彼の頭から包帯をほどきながら)まるでおおきなターバンを巻いてるみたいねえ。
昨日、見知らぬよそ者が台所へやってきて、お前のことをいったい何人(なにじん)だって尋ねていたっけよ。
でも、ほとんどもう治っているみたいね。
あとはほんのちょっぴりだわ。
(彼の頭にキスをする)わたしがいなくなってから、またパチンとピストルを鳴らしたりしないだろうね?
トレープレフ そんなことしませんよ、ママ。
あのときは、あまりにも絶望しちまって、自分の感情をどうしても抑えきれなかったんだ。
もう二度あんなことはしないよ。
(母親の手にキスをする)ああ、この手――お母さんは、ほんとうに働き者だなあ。おぼえているわよ、ずっと昔のこと、お母さんがまだ国営の劇場に出ていたころ――僕はまだほんの子供だったけれど――アパートの中庭でけんかがあって、お店の洗濯女の人がひどく殴られたことがあったっけ。
ねえ、おぼえてますか? 気絶したその人を、みんなで抱き起こして……それからお母さんは、ずーっとその人のお見舞いに行って、お薬を持っていってあげたり、子供たちにお風呂桶で水浴びをさせてあげたりしましたよね。
あれ、おぼえてないのかなあ?
アルカージナ 忘れたわ。
(新しい包帯をぐるぐると巻いてやる)
トレープレフ うちと同じアパートに、あのころバレリーナの人が二人住んでいて……よくお母さんの部屋へ、コーヒーを飲みに来てたっけ……
アルカージナ それは、おぼえているわよ。
トレープレフ 二人とも、すっごく信心深い人たちだったなあ。
(ちょっと間があく)このごろね、あのころからの数日を過ごしていると、僕はまるで子供のころに戻ったみたいに、もっと甘えたいような気持ちで、ただただ一途にお母さんを愛しているんだ。
あなたのほかに、今じゃ僕には誰もいないんだよ。
ただね、どうしてお母さんは、あんな男にいつも引きずり回されたりするの? どうしてなのさ?
アルカージナ お前は、あの人のことがわかっていないんだよ。
ねえ、コンスタンチン。
あの人は、とっても人格が高くて立派な人なんだからね……
トレープレフ ところがさ、僕があの男に決闘を申し込もうとしているって人から聞いたとたん、その「人格者」の正体がたちまち変じて、ただの卑怯者になっちまったんだぜ。
今にすぐ出かけていくんだろう?
見苦しい逃げ出し方じゃないか!
アルカージナ ばかなこと言わないの! ここを発つように頼んだのは、このわたしなんだからね。
トレープレフ 人格が高くて立派な人だって? やっこさんのおかげで、このとおり母子げんかになりかけてるっていうのに、今ごろご本人は客間か庭のどこかで、僕たちのことをせせら笑っていることだろうよ……ニーナを大いにその気にさせて、彼こそ天才なんだってことを、徹底的にあの子の頭に叩き込もうと、大はしゃぎの真っ最中さ!
アルカージナ お前は、わたしに嫌がらせを言って楽しむのが趣味なんだね。
わたしはあの人のことを心から尊敬しているんだから、わたしの前じゃあの人の悪口なんて言わないでもらいたいね。
トレープレフ だけど、僕はこれっぽっちも尊敬してないね。
お母さんは、僕にまであの男を天才だと思わせたいんだろうけど、あいにく僕は嘘がつけない性質なもんでね、失礼だけど――あいつの書くものには虫酸が走るよ。
アルカージナ それこそが妬みってものよ。
才能もないくせに野心ばかり一人前の人間には、ほんものの天才の足を引っ張ってこき下ろすほかに道はないからねえ。

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