ああ、またすぐに会えるかと思うと、ほんとうに幸福だよ!(彼女はトリゴーリンの胸にすがりつく)僕はまた見られるんだ――この心を奪う目や、なんとも言えない美しくやさしいほほえみを……このやわらかな顔立ちを、天使みたいにピュアな表情を……僕の大事なひと……(長いキス)
――幕――
◯第三幕と第四幕のあいだに二年が経過。
第四幕
ソーリン家の客間の一つ。
いまはトレープレフが自分の仕事部屋として使っている。
右手と左手にドアがあり、それぞれ奥の部屋へとつながっている。
正面はテラスへ出られるガラス戸。
ふつうの客間用家具のほかに、右側の隅には書き物デスク、左側のドアの近くにはトルコ風の長椅子、そして本棚が置いてある。
窓や椅子のあちこちに本が無造作に積まれている。
――宵。
笠をかぶったランプが一つ、ぼんやりと灯っている。
部屋の中は薄暗い。
外では木々がざわめき、煙突の中で風がビュービューとうなっている。
夜回りの拍子木の音が聞こえる。
メドヴェージェンコとマーシャが入ってくる。
マーシャ (呼びかける)トレープレフさん! トレープレフさん!(あたりを見回しながら)だれもいないわ。おじい様なんて、しょっちゅう聞き耳を立ててばかりなんだもの。「コースチャはどこだ」「コースチャはどこにいるんだ」って……あの人がいないと、生きていられないのね……。
メドヴェージェンコ ひとりでいるのがこわいんだよ。(耳をすませる)それにしてもすごい天気だな! もう丸二日もこんな調子だ。
マーシャ (ランプの火を大きくしながら)湖には大きな波が立ってるわよ。
メドヴェージェンコ 庭はまっくらだ。あの庭の小劇場、そろそろ取り壊すよう言わなきゃいけないな。むき出しのままで不気味に立っている姿は、まるで骸骨みたいだ。幕も風でバタバタと音を立てているしね。ゆうべ僕がそのそばを通りかかったとき、なんだか中から誰かが泣いているような気がしたんだ。
マーシャ またそんなこと言って……(間)
メドヴェージェンコ おうちへ帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ (首を横に振る)いやよ、わたしここに泊まるんだから。
メドヴェージェンコ (お願いするように)頼むから帰ろうよ、マーシャ! 赤ん坊がきっとおなかをすかせているよ。
マーシャ 平気よ。マトリョーナがミルクを飲ませてくれるわ。(間)
メドヴェージェンコ かわいそうに、もう三日も母親の顔を見ていないんだからな。
マーシャ あなたも退屈な人になっちゃったわね。昔はすてきな哲学の一つも語ってくれたのに、いまじゃ「赤ん坊」「帰ろう」「赤ん坊」「帰ろう」って、まるでバカの一つ覚えみたい。
メドヴェージェンコ 帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ じゃあ、あなたひとりで帰ればいいでしょ。
メドヴェージェンコ お父さんが、僕には馬を出してくれないんだよ。
マーシャ 出してくださるわよ。「お願いします」って言えば、ちゃーんと貸してくれるわ。
メドヴェージェンコ じゃあ、頼んでみようかな。それじゃ、あしたは帰るだろう?
マーシャ (嗅ぎタバコをクンと嗅ぎながら)ええ、あしたはね。うるさいなあ……。
トレープレフとポリーナが入ってくる。
トレープレフは枕と毛布を、ポリーナはシーツを持っており、それらをトルコ風の長椅子の上に置く。
それからトレープレフは自分のデスクへ歩いていき、そこに腰を下ろす。
マーシャ それ、どうするの、お母さん?
ポリーナ ソーリンさんがね、コースチャの部屋に布団を敷いてあげてくれっておっしゃったんだよ。
マーシャ わたしがやるわ……(手際よく寝床をつくり始める)
ポリーナ (ため息をつきながら)年をとると、子どもも手のかかる赤ん坊と同じだねえ……(デスクに近づき、ひじをついて原稿をじっと眺める。間)
メドヴェージェンコ じゃあ、僕は行くよ。おやすみ、マーシャ。(妻の手の上に軽くキスをする)おやすみなさい、お母さん。(義理の母の手にもキスしようとする)
ポリーナ (少しイラッとした様子で)もういいから! さっさとお帰り。
メドヴェージェンコ おやすみ、トレープレフさん。
トレープレフは黙ったまま手だけを差し出す。
メドヴェージェンコは退出する。
ポリーナ (原稿を見つめながら)ねえ、コースチャ、あなたが本当に立派な作家になるなんて、だれひとり夢にも思っていなかったよ。いまではありがたいことに、いろんな雑誌から原稿料が届くようになったんだものね。(トレープレフの髪をなでながら)それにしても、男前がぐっと上がって……ねえ、かわいいコースチャ、いい子だからさ、うちのマーシャに、もう少し優しくしてやっておくれよ!……
マーシャ (布団を敷きながら)ママ、そっとしておいてあげてよ。
ポリーナ (トレープレフに向かって)あの子もね、本当になかなかのいい子なんですよ。
(間)女というものはね、コースチャ、優しい目で見てもらいさえすりゃ、ほかに何もいらないものなのさ。
わたしも身に覚えがあるからね。
トレープレフはデスクから立ち上がり、何も言わずに部屋を出ていく。
マーシャ ほら、怒らせちゃったじゃない。
余計なこと言うからよ!
ポリーナ わたしはお前が不憫でならないんだよ、マーシェンカ。
マーシャ ありがたい幸せだわ!
ポリーナ お前のことで、わたしはずっと胸を痛めてきたんだからね。
みんなすっかり見抜いているんだよ、みんなわかっているんだもの。
マーシャ そんなの、みんなばかげているわ。
望みのない恋なんて、小説の中だけの話よ。
くだらないわ。
ただ、よせばいいのよ――甘ったれた気持ちになって、待ちぼうけを食らうみたいに、ぼんやりと何かを期待している、そんな態度なんてね。
……心に恋が芽生えたなら、その場で摘み取って捨ててしまえばいいのよ。
うちの人を、ほかの郡へ転任させてくれるっていう話が出ているの。
そこへ引っ越してしまえばさ――きれいに忘れられるわ……胸の根っこからすっかり引き抜いてみせるわ。
ふた部屋ほど向こうから、切ないワルツの調べが聞こえてくる。
ポリーナ コースチャが弾いているわ。
気がめいっているのね。
マーシャ (音を立てずに、二回り三回りステップを踏んでワルツを舞いながら)肝腎なのはね、ママ、目の前に姿が見えないということなのよ。
うちのセミョーンがさっさと転任しさえすれば、あっちへ行って、ひと月で綺麗に忘れてみせるわ。
すべてはくだらないことよ。
左側のドアが開いて、ドールンとメドヴェージェンコが、車椅子のソーリンを押しながら入ってくる。
メドヴェージェンコ 我が家は今じゃ六人家族でしてね。
それなのに小麦粉が一つ(※訳注:十六キロ余り)七十コペイカもするんですよ。
ドールン それでキリキリ舞いさせられるわけだ。
メドヴェージェンコ あなたは笑っていればいいでしょうね。
お金が有り余っている人は気楽でいいや。
ドールン お金がだって? 開業して以来三十年間、いいかね君、昼も夜も自分の時間なんてなくて、ずっと落ち着かない生活を続けてきて、やっと蓄えた貯金が二千だぜ。
それもこのあいだの外国旅行ですべて使ってしまった。
僕はすっからかんの文無しさ。
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