他人に見られては困る手紙や書類、やり残した仕事、整理しておかなけらばならない私物もあるだろう。今夜のうちにそれらをきれいに片付けてから、また来なさい」
図書は本気でした。
それでは、どちらか一方が死ぬ覚悟というのは、ただの脅しではなかったのです。まさか本気だとは思っていなかった久之助は、急に体が引き締まるのを感じました。
絶対にこのことは誰にも言わないという約束を交わし、時間を決めて自分の家へ帰ると、久之助はすぐに身の回りの整理に取りかかりました。普段からきちんと気を配っているつもりでしたが、いざ片付けようと始めてみると予想以上に時間がかかり、すべてが終わったときにはすでに夜中の二時を過ぎていました。
――これでいつ死んでも、何の悔いもない。
そう心に誓って一眠りし、まだちょっと眠足りないような気はしましたが、井戸端に出て頭から冷たい水をざぶざぶとかぶりました。
約束の時間に行くと、図書は泥だらけのとんでもない格好をしていました。
「いまちょうど、田んぼの草を取ってきたところなんだよ」そう言って笑い、
「すぐに支度をしてくるから」
と家の中へ引っ込みましたが、少しすると着替えて戻ってきました。
「身の回りのものは、すっかり片付けてこられたか?」
「はい、残らずきれいに始末してまいりました」
「そうか、では中へ入るがいい」
「ですが、すぐにでもお手合わせをお願いしたいのですが」
「もう、わざわざ戦う必要はないさ」
図書はあっさりと言いました。
「昨夜は話し残したこともあるしな。今日はゆっくりしていきなさい、お昼ご飯をごちそうしてやるよ」
久之助はすっかり拍子抜けしたような気持ちになりながら、図書のあとをついて部屋に入り、あの固い丸いざぶとんに座りました。
庭の隅の木立からは、油ゼミがうるさく鳴きたてていました。
四
「自分の身も命も捧げると、口で言うのは実に簡単なことだ」
図書は力強い声ではっきりと続けました。
「殿さまのため、そしてこの藩のためにはいつでも死ぬ覚悟ができていると、口では誰もがそう言う。だが、毎日の当たり前の暮らしの中で、実際にその覚悟をいかして生きることは実に難しい。
昨夜、お前は命を捧げたと言った。その言葉に嘘はないだろうし、覚悟も確かなものに違いない。
だがな、お前は実際にはその覚悟をいかした暮らしをしていなかった……。他人に指摘されてから、慌てて片付けなければならないような私物を、部屋のあちこちにため込んでいた。自分が死んだあとに見つかったら恥ずかしいような物さえそのままにしておいて、ただ『いつでも死んでやります』と口先だけで覚悟を決めたところで、それは中身のないお経の文字と同じ、ただの口先だけの念仏にすぎない。そうではないのかね?」
久之助はぐっと頭を垂れました。
体中の毛穴から、一気に冷たい汗が噴き出すのを感じました。まるで、生きたまま皮をくるりと剥ぎ取られて、丸裸の肉をみんなに見せつけられているような、そんな痛烈な恥ずかしさと恐ろしさに包まれたのでした。「いま庭さきで、すぐ相手をしようとそこもとは云った、身のまわりをきれいに始末して、もう死んでも悔いはないという気持であろう、……それではじめて、『いつなんどきでも身命を捧げる』ということができるのだ。
さむらいの鍛錬は家常茶飯のうちにある、拭き掃除、箸の上げ下ろし、火桶への炭のつぎ方、寝ざま起きよう、日常|瑣末な事のなかに性根の鍛錬があるのだ、そしてその瑣末な事にゆだんがなければ、改めて覚悟せずとも奉公の大事をあやまることはないのだ」
一語一語を鋭い鑿で心臓へ彫りつけられるような感じだった。
久之助は頭を垂れ、両手でぎゅっと汗を握っていた。
……昼にはかねて聞いていた稗飯と菜汁の食事が出た、菜汁の中には大きな泥鰌がはいっていて、おそらくそれが「馳走」というのであろう、図書はそれをうまそうに頭からばりばりと喰べた。
久之助には稗飯というのがそもそも難物に思えたし、拇指ほどもある泥鰌のまる噛りはさらに閉口だった。
けれども喰べてみると稗飯は香ばしくてうまいし、味噌あじのしみた泥鰌の溶けるような肉味や、噛み砕く骨の荒々しさもなかなか悪くはなかった。
しかもぜんたいに云いようのない豊かな感じが溢れている、材料が粗末なだけ、それを大切に活かすつつましい心が籠っていて、どんな珍羞も及ばない豊かな深い味を創りだしているようだ。
――そうだ、これが食事というものだ。
汁椀の中の青々とした夏菜を見ながら、久之助は心からそう頷いた。
「これから折々お訪ね申したいと存じますが、お許し下さいましょうか」
食事のあとでそう訊くと、図書はにべもなく無用だと答え、節高な太い指の、大きな手を振った。
「もう会う必要はない」
そして大きな眼でぎろりと睨んだ。
久之助はその頃から性格が変りはじめた、はじめは周囲の者も気づかなかったが、なんとなく俊秀なところがぼやけ、挙措もしだいに精彩を失ってゆくので、――やっぱり二十で凡人の例か、とひとしきり蔭口が弘まった、しかしそれさえほんの僅かな期間で、暫くするとそんな蔭口さえ立たない平凡な存在になってしまった。
かれが二十三歳になったとき、しゅくん忠辰の申付けで、刀法修業のため江戸の柳生家へ入門した。
忠辰が小野次郎右衛門についてまなんだので、久之助には柳生を選んだのである。
これを忠辰に推挙したのは原田義平太であった。
……柳生家はそのとき対馬守宗在の代だった。
宗在は飛騨守宗冬の二男で、長男宗春が世を早めたため家督を継いだが、かれ自身もあまり健康には恵まれなかったようだ。
しかし父祖同様、将軍家宣に刀法を教授するほどだから、その道に達していたことは記すまでもないと思う。
……忠辰から特に頼まれてもいたし、自分の眼にもなかなか非凡な人がらにみえるので、宗在はそれとなく久之助のようすに注意を怠らなかったけれども、日が経つにつれて、非凡とみた自分の眼が疑わしくなってきた。
入門して一年というものは、自ら求めて拭き掃除をしたり、厨へおりて薪を割り、釜の下を焚き、水を汲むなどということばかりやった、二年めにはときおり道場へ出るようになったが、片隅に坐って他の人々の稽古を見るばかりで、自分ではいっかな木剣を執ろうとしない。
「……こちらへ出て稽古をしないか」という者があっても、
「……いやまだ迚も」
と答えるだけで立とうとしなかった、いちどならず宗在が促しても、やはりおなじように辞退するばかりだった。
――これはまなぶ意志がない、宗在はそう認めて、以来かれのことは殆んど忘れてしまったのであった。
柳生家にまる三年いて、久之助は長岡へ帰った。
辞去するとき宗在の前に出て、
「……おかげさまでこの上なき修業を仕りました、篤くおん礼を申上げます」
と述べたが、宗在はそのときはじめて、かれがまなぶべきものをまなんだということを、その眼光のなかにみつけたのである、宗在はひそかに舌を巻いた。
五
帰藩してみると、稽古町にかれのための道場が出来ていた。
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