初級翻訳・桑の木物語 第2話

山本 周五郎

寝たと思ってちょっと離れると、いつの間にかもう土間へおりて下駄をしゃぶっているんだから、ほんとにこの子には手を焼くよ」
ハイハイを始める時期というのは、たいていの子から目が離せないものだ。
しかし、悠二郎の場合はとくべつだったらしい。
乳母が言うとおり、なにしろすばしっこいのと、桁外れなことばかりするので、まわりの人たちは落ち着く暇がなかった。
その中の一つに「梅干しの種」という有名な話がある。
それはまだやっとハイハイを始めたころのことだが、ちょっと油断しているすきに、自分の鼻の穴へ梅干しの種を押し込んでしまったのだ。
鼻の両方の穴へ、梅干しの種を一つずつ、自分でねじこんだのである。
そうして息が詰まったものだから、ひっくり返って手足をバタバタさせ、口から泡を吹いた。
「まったくあのときばかりは寿命が縮みましたね、いま思い出してもぞっとしますよ」
おつねはずっとのちになってからも、しばしばそう言って身ぶるいをした。
――とにかくものすごく慌てたらしい。いろいろと試して、ようやく鼻の穴に何か入っているのを見つけ、毛抜きを持ってきて、暴れるのを乳母に押さえさせながら取り出そうとしてみた。だが、その物はぬるぬる滑るし、鼻の入口よりはるかに大きいので、どうやってみても外へ出すことができない。そうしているうちに、悠二郎はぐったりと青ざめてしまった。
おつねは子どもを横抱きにし、はだしで家を飛び出すと、花川戸(はなかわど)の玄庵(げんあん)さんというお医者さんまで夢中で走った。
――玄庵先生、うちの悠坊が!
こう悲鳴をあげて駆け込んだとき、どういう拍子か悠二郎が「ハクション」とくしゃみをして、それから、ぎゃあと泣き出した。
――そのくしゃみで、片方の穴から種が飛び出してきたのである。
もちろん、残ったもう一つの種は、玄庵さんがきれいに取り出してくれた。
玄庵さんも、これにはあきれてものが言えないと言ったそうだ。
自分ではまったく当時の記憶がないし、ほかにもずいぶんひどい悪戯(いたずら)をしているが、さすがの悠二郎もこの話にだけは恥ずかしそうにした。
「気取ったってだめですよ。なにしろ鼻の穴へ梅干しの種なんですから」
こう言われると、悠二郎は絶対に頭が上がらないのであった。

祖父の虚木(きょぼく)老人は、その後もずっと「舟仙」へあらわれた。
だいたい十日に一度くらいの割合だろうか。舟仙へやって来ると、二階で芸人たちを呼んで賑やかに騒いだり、舟に乗って吉原(よしわら)や深川(ふかがわ)などの遊び場へ出かけたりした。
――だから、のちにおつねが女の子を生んだとき、老人は頼まれてその子の名づけ親になったくらいである。
そのとき悠二郎は四つになっていたが、「おみつ」と名づけられたその赤ん坊をめずらしがって、抱こうとしたり、鼻をつまんだり、口や耳へ指を入れたりするので、少しの間も油断ができなかったそうである。
祖父がしばしばやって来るのは、ひとつには孫のようすを見るつもりもあったらしい。
だが、悠二郎はそんな妙な「じじい」などにはまったく興味がなかったので、落ち着いて話をしたことなど一度もなかった。
――そんなことより遊ぶのでいそがしい。ごはんを食べるひまも惜しむくらいいそがしかったのだ。
なにしろ家が舟宿で、すぐそばに隅田川が流れていて、浅草寺(せんそうじ)が近いのだから、遊ぶ場所やことに事欠くことはなかった。
食事と寝るとき以外は、雨が降ろうと風が吹こうと、家の中で彼の姿を見ることはほとんどなかった。

悠二郎は五歳のときにはすでに、近所じゅうの「ガキ大将」だった。
体つきは痩せて小さかったが、知恵が回ることとすばしっこさは無敵で、たいてい年上の子とけんかをしても負けたことがなかった。――いつだって着物はかぎ裂きだらけ、手足は泥だらけで、体のどこかにひっかき傷やたんこぶを作っていない日はなかった。
そうして晩ごはんの膳に向かい、片方の目を紫色に腫らした顔で、せかせかをごはんをかき込みながら、こう言うのであった。
「ちきしょう、あの勝(かつ)んべの野郎、見てやがれ、あしたとっ捕まえたら……」
こうして花川戸から山の宿、今戸、橋場あたりにかけて、さらに川を越えて小梅から向島にかけて、「舟仙の悠ちゃん」の名前はすっかり有名になっていた。
子どもたちばかりではなく、その子どもたちの親たちにまで広く知れわたり、またそういう親たちが文句や苦情をもちこんでくるものだから、仙吉夫婦の交際もずいぶん広がっていった。
「おらあ昔は仲間うちから『頭が高い』なんて言われたもんだが、このごろは悠坊のおかげですっかり腰の低い人間になっちまったぜ」
「ねんがら年中あやまりっぱなしなんですものね。お客のみなさんもびっくりしているわ。親方の愛想がばかによくなったって――つまり、悠坊にしつけられたってわけね」
「よしてくれ、冗談じゃねえや。おめえにまでバカにされたらおしまいだな」
仙吉とおつねはよくこんなことを言い合っては、苦笑したり笑い合ったりしたものだった。

――こうして七歳になった年の秋、悠二郎はとつぜん生家である土井家へ引き取られることになったのである。二

あとで聞いた話によると、家に引き取ると言いだしたのも祖父だったらしい。
それも急に言いだしたことだったので、忠左衛門夫婦には反対する暇もなかった。
特に忠左衛門は、それまでに二度か三度、こっそりと悠二郎の様子を見に行っていた。
――あいつはもうだめだ、舟仙にくれてやるよりほかない。
こう言って妻に首を振ってみせたという。
どうあっても侍の家に入れるわけにはいかないから、お前も諦めてくれと言ったそうである。

生家へ連れて来られたとき、彼の格好は、まわりの目をとても引くものだった。
つい昨日まで川で泳いだり、トンボを追いかけたり、泥まみれになって喧嘩をしたりしていたのだ。
それが急にちゃんとした着物を着せられ、生まれて初めての袴をはかされ、腰にはこれまた生まれて初めての刀を差され、おまけに足袋まで履かされていた。
髪はもちろん武家風にきちんと結ばれていて、とにかく体じゅうが窮屈で息が苦しく、今にも目が回って倒れそうだった。
彼は真っ黒に日焼けして、目ばかりがぎょろぎょろと光っていた。
忠左衛門はちらりと見るなり、眉をしかめてそっぽを向いた。
かな女はさすがは母親である、彼のそのあさましい姿に胸を打たれ、抱きよせてぽろぽろと涙をこぼした。

――兄の松太郎はびっくりしてぽかんと口を開けたまま、座ったすこし後ろへと体を引いた。
悠二郎はすぐにそれを見抜いた。
――こいつは大したことねえな。
こう思って、ふんと鼻で笑って見下した。

祖父はほかにも、家扶(かふ)の渡辺老人や、七人の家士や、下男・女中たちにも彼を引き合わせた。
悠二郎は、彼らがみんな自分にとって組みしやすい相手だとすぐに見抜いた。
父親は少し苦手らしいし、家臣のなかにいる黒板権兵衛(くろいたごんべえ)という男も、髭なんかを生やして栗のような目をしているから、ちょっと油断ができないかもしれない。
――だがほかの連中はなっちゃいねえ、一筋縄ではいきそうなやつは一人もいやしねえ。

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