千里眼じゃあるまいし!」
「じゃあ、ひとりで歩いていたのね?」
マヤ子は鼻でふんっと笑いました。
「ふん、どうだか!」
「なんです、ちゃんとおっしゃい!」
「だから、『どうだか』って言ってるでしょ! しつこいなあ!」
マヤ子はもう何を言われても一切返事をしようとしません。すました顔で、お肉の小間切れをフォークでツンツンといくつも突き刺しています。
沼間夫人は、食堂の壁にある電気時計と自分の腕時計を交互に見比べながら、
「いやだわ、いったいどうなっているのかしら……」「ほんとうに、なにかあったんじゃないかしら」
キャラコさんは思わず腰を半分浮かせて、
「あたし、行って見てましょうか?」
と尋ねました。
しかし夫人は、冷たい目でチラリと睨みつけながら、
「行くって、どこへ行くのよ?」
「そのあたりまで、ちょっと……」
沼間夫人は氷のように冷たい声で言いました。
「やめてくださいね。そんなに目立つようなことをしなくても、あなたに頼まなくても、探す方法なんていくらでもありますから」
キャラコさんは素直に「ごめんなさい」と謝りました。
そこへ、ようやく槇子が帰ってきました。
顔が真っ赤にほてっていたので、キャラコさんは槇子が風邪でもひいたのかと思いました。
フラフラとした足取りで三人の食卓の方へやってくると、不機嫌そうな顔をして椅子にドスンと腰を下ろし、ナプキンを乱暴に手に取りました。
沼間夫人は、安心したような、でも腹立たしいような、複雑な声で言いました。
「もっとちゃんとしてちょうだい! いったい今までどこにいたのよ?」
「傷病兵の慰問に行っていたんです」
マヤ子は意地の悪そうな上目遣いでジロジロと槇子の顔を眺めていましたが、突然、
「おい、なんか酒くさいぞ」
と、その秘密を暴き立てました。
「なにおォっ!」
「つまり、いままでケガをした兵隊さんたちとお酒を飲んでお祝いしていたってわけか。ヘッ、こいつはおもしろいな!」
それを聞いたキャラコさんはおかしくなって、思わず「ぷっ」と吹き出してしまいました。
すると槇子は、カッと鋭い目つきでキャラコさんの方を振り向き、
「おやっ、笑ったな!」
と、顔を青ざめさせながら、すごい目でにらみつけました。そして突然、
「生意気なんだよ、貧乏人がっ!」
と叫ぶやいなや、たったいまボーイさんが運んできたばかりの、熱いスープの入ったお皿をわしづかみにし、キャラコさんの顔めがけて投げつけたのです。
避ける暇もありませんでした。お皿はキャラコさんの胸にまともに当たり、あごから胸にかけて、スープがドップリとかかってしまいました。
グリーンピースの入ったドロドロのスープが、服の襟から胸の内側へと流れ込んできます。飛び上がるほど熱かったのですが、キャラコさんは奥歯をグッと噛みしめて必死にこらえました。
広い食堂の中には、まだ六、七組の客が残っていて、何事かとあっけにとられた顔でこちらをジッと見つめています。
キャラコさんは、長六閣下から「小さなことでみっといものを取り乱してはいけない」と教え込まれていました。
この服はキャラコさんにとって大切なものだったけれど、すぐにホテルのクリーニングに出せばそこまでひどくはならないはずだし、もともと自分が笑ってしまったのがいけないんだ、とすぐに思い直し、素直に槇子に謝りました。
「マキちゃん、ごめんなさい。あたしが笑ったりしたのが悪かったわ」
しかし槇子はそっぽを向いたままで、返事もしません。
マヤ子は面白そうに目の隅でジロジロとキャラコさんの顔を眺め、沼間夫人は眉一つ動かさず、自慢の白い手で優しくスプーンを動かして食事を続けています。
キャラコさんは、一刻も早く洗濯屋さんに駆けつけたいと思いましたが、食事の途中で席を立っていいものかと迷っていました。すると、いつの間にか後ろに秋作氏がやってきていて、そっと腕をとって椅子から立たせてくれました。
それを見た槇子は、今にも痙攣しそうなほどの恐ろしい顔になり、
「秋作、バカっ、バカっ!」
と叫びながら、二人めがけて食卓の上のものを手当たり次第に投げつけました。投げるものがなくなると、今度は自分の服をピリピリと引き裂き始めました。
「みんなして、あたしひとりをいじめるんだ……! よし、死んでやる、死んでやるから!」
二人が食堂を出てしばらく歩いてからも、槇子のキンキンと響く叫び声がずっと聞こえていました。
服を着替えて社交室へ降りていくと、そこにはワニ君の一団と、沼間夫人、越智氏、そして猪股氏がいました。入口に近いお気に入りの椅子には、『キャラコさんの恋人』が静かに座って新聞を読んでいます。
キャラコさんが部屋に入っていっても、誰も声をかけてくれません。
「ひどい目にあいましたね」と、ひとこと慰めてくれる人もいません。
みんな顔をそむけて、まるで知らないふりをしていました。
沼間夫人が、ついさっきまでみんなに自分の悪口を吹き込んでいたんだなと、キャラコさんはすぐに気づきましたが、そんなセコい想像をするのは自分の価値を下げることだと思い、気にしないことにしました。
すると、イヴォンヌさんが気の毒そうにそばへ寄ってきて、
「熱かった?」
と、そっとささやいてくれました。
キャラコさんは笑顔を見せ、イヴォンヌさんの手をそっと握り返して感謝の気持ちを伝えました。
それから、キャラコさんはイヴォンヌさんに言いました。
「このお部屋の中にね、手相見の名人いらっしゃるのよ。あなた、そういう占いのことってお好きだったかしら?」
イヴォンヌさんは面白がって、
「みなさん! このお部屋の中に、世界一の手相見の名人様がいらっしゃるんですって。みなさん、ご存知でした?」
と、大きな声で部屋中に知らせました。
そして、キャラコさんのほうを振り返って尋ねました。
「一体どなたがそうなの?」
キャラコさんは『恋人』の方を指さしながら言いました。
「あそこに座っていらっしゃる、あの山本さんっていう方よ」
それを聞いたイヴォンヌさんは、すぐに『恋人』のそばへパタパタと駆け寄り、こう尋ねました。
「あなた、世界一の手相見ですって? それ、本当なの?」
『恋人』は静かに、こう答えました。「先生がまだ生きていますから、私は世界で二番目です」
イヴォンヌさんは手をパタパタと打ち合わせながら、
「あら、そうなら、そんなところにじっと隠れていないで、こっちへ出てきてちょうだい! 見ていただきたい人がたくさんいるんだから」
と言いながら『恋人』の手をグイと引いて、社交室の真ん中へと連れ出しました。
『恋人』は、いつものようなおどおどした様子は少しもなく、手を引かれながら部屋の真ん中まで出てくると、はっきりとした強い声で言いました。
「どなたでも、どうぞ。……お望みなら、お亡くなりになる年月日まで残さずお話ししましょう」
『社交室』にいた一同は、まるで冷たい風でも吹いたかのようにゾクッと身震いし、お互いにチラチラと顔を見合わせました。
山本氏の声の響きの中には、何かこう、周りの人たちを縮み上がらせるような不思議な迫力があったのです。
みんな尻込みしてしまい、「私を占ってほしい」と名乗り出る者は誰ひとりいませんでした。
コメント