大修験師は「これで厄鬼を追い払った」と言い放ち、ようやく法皇を医者たちの手に委ねました。
ここから、いよいよ本当の治療が始まります。
侍医長が十人ほどの医官を連れて部屋に入ってきました。
まず腕から一ヴァース(約一合五勺)の血を抜き(瀉血)、肩に傷をつけて吸いガラスでさらに同量の血を絞り取ります。
さらに法皇の頭を剃り上げて、ユーカリの油に芥子(からし)とアラビアゴムを混ぜた刺激の強い膏薬(こうやく)を塗りつけ、馬銭子(マチン)の種と曼荼羅(チョウセンアサガオ)の葉を煮出した熱湯で、足に温湿布をしました。
これだけでも十分に命を縮めるような処置ですが、彼らは落ち着いた様子で、ようやく薬を飲ませることにしました。
侍医長がいちいち入念に毒見をしてから、医官たちに薬を渡します。
まず、檳榔子(びんろうじ)とタマリンドの果肉を煮詰めた汁に、鼈甲(べっこう)の粉末を混ぜた下剤を三カデックス(約三合)ほど飲ませます。続いて、吐き出させるための薬として、ヤクの糞とハーブの一種である芸香(うんこう)、銭苔(ぜにごけ)を練り合わせた丸薬を一ドラチューム(約十匁)、さらに咳止めとして、インド大麻の葉、落葉松茸(エプリコ)、金銀花(スイカズラ)の花を煮出した汁を、それぞれ二カデックス(約二合)ずつ飲ませました。
さらに、乾漆(ウルシ)とネムの木の樹皮の粉末をパパイヤの乳液で溶いた解熱剤を、一ポスラム(約五合)あまり……これだけのものを、休む間もなく次から次へと流し込むのです。
ここで少しだけ中断して様子を見ます。
しかし容態は一向に良くならないため、彼らは瀉血から解熱剤までの工程を、最初からもう一度繰り返しました。
法皇はわずか三時間の間に二ラゲーナ(八合強)もの血を抜かれ、その代わりに七ラゲーナ(二升八合)もの高貴な薬の煎じ汁を胃に流し込まれたことになります。
二回目の治療が終わる頃には、法皇は息も絶え絶えになり、まるで溺れかけているかのように苦しみ、もがくことしかできなくなっていました。医者たちは話し合った結果、ついに「最後の非常手段」をとることに決めました。
役人や大臣たちが、金色の刺繍が入った帯を締め、立派な飾りのついた帽子をかぶって部屋に入ってきました。彼らは、法皇が亡くなって次の代に生まれ変わるための「最後の手続き」を見届けるためにやってきたのです。
医者のリーダーは、カモシカの生き血やサルの脳みそ、大麻のしぼり汁、そしてショウノウという薬を混ぜ合わせた、とんでもない飲み物が入った大きな器をささげ持ちました。そして、きらびやかな模様が描かれた法皇のベッドへと近づいていきました。
法皇は恐怖で叫び声を上げ、必死に抵抗しました。しかし、力強い医者たちに左右から押さえつけられ、もう何も受け付けなくなっている喉の奥へと、無理やりその薬を流し込まれてしまったのです。
それからわずか五分後。ダライ・ラマは、見るにたえないほど苦しみ抜いた末に、息を引き取りました。
キリスト教の宣教師たちが残した数々の報告書の中でも、一六二八年にヨーロッパ人として初めてこの聖なる都に足を踏み入れたルイ・ドルヴィルの記録は、地理的にもとても貴重なものです。彼の記録は『支那図説』という本の中にまとめられています。
そこには、標高五千メートル近い、まるで地球のてっぺんのような不思議な場所に、大昔の文明がそのまま残っていると書かれています。周囲を長い廊下で囲まれた巨大な宮殿や、二万人もの学生が学ぶ三つの大きな大学があるという、光り輝く都・ラサ。そのあまりにも美しく、そして危険な香りのする記述は、読む人を夢心地にさせ、多くの探検家たちが命をかけてそこを目指すきっかけになったといいます。
「目の前には、なだらかで優しい小山が続いているだけでした。
茶色の平原が、まるでゆるい波のようにどこまでも広がっています。空気はしんと静まりかえり、人の気配はまったくありません。魔法にでもかけられたかのような沈黙の中で、まるで自然が四季の流れを止めてしまったかのようです。人間からも、季節からも見捨てられたような、不思議な景色でした。
山の向こうには、また何もない荒野が待っているのだろう。私はそう覚悟していました。
野性の馬が通ったあとのような、かすかな道をたどって山の頂上まで登りつめたときです。何の前触れもなく、いきなり目の前に現れた壮大な景色に、私は思わず息をのんで立ちすくみました。
荒野の中に現れたファンタジーの世界――その蜃気楼のような光景を目にした時の驚きを、どう言葉にすればいいのかわかりません。これほどまでに心が激しく揺さぶられた経験は、後にも先にも一度もありませんでした。
広大な平野の真ん中、切り立った岩山を背にして、雪のように白く輝く巨大な宮殿や、お寺や、お坊さんたちの住む建物が、乾燥した空気の中でくっきりと浮かび上がっています。
岩山のてっぺんには、大昔の巨大な帝国を思わせる立派なお寺があり、純金や黄色いタイルで飾られた屋根が、青銅の緑や柱の赤と混ざり合って、虹のような美しい光を空に放っています。
その下にある宮殿は、四角い大きな石が何段も積み上げられ、たくさんの窓が並ぶ壁は少し前の方に傾いています。それはまるで、古代エジプトの神殿のようなスタイルでした。
建物の正面だけでも二キロメートル以上もあり、岩山の南側をすべて覆い尽くしています。そこを中心に、たくさんのお堂や塔が、数えきれないほどの階段や廊下で縦横無尽につながっていました。それはまるで、四千年前に滅びた古代都市の宮殿が、そのまま目の前によみがえったかのような幻想的な眺めでした。
空高くそびえるヒマラヤ山脈のふもとに、チベットの都であり、一千万人もの信者たちが憧れる聖地『ラサ』があることは知っていました。しかし、モンブランの二倍もの高さがある険しい峠を越え、風雪にさらされた果てしない荒野の先に、これほどまでに荘厳で華麗な大都市が実在しているなんて、誰が想像できたでしょうか。
『ポタラ宮(玉の宮殿)』と呼ばれるこの大宮殿の壁の厚さは、並大抵のものではありません。大きな門や、稲妻のような形をした石の階段、そして迷路のように四方八方に通じている秘密の通路。それらを見ると、この巨大な宮殿は、王様の住まいであると同時に、敵を防ぐための頑丈な城でもあることがわかります。
不思議な生き物や模様が彫られたお寺の宝物や、黄金のハスの花の上に立つ、宝石をちりばめた巨大な純金の仏像。そうしたものを一つ一つ挙げなくても、ここがラマ教徒にとっての揺るぎない聖地であることは、一目見れば明らかでした」数えきれないほどたくさんのお寺から、お坊さんたちが唱えるお経の声が聞こえてきます。シンバルや太鼓の音に合わせて、その声は絶えることなく空に響きわたっています。イスラム教の聖地メッカを目指す巡礼者たちが、何百キロもの苦しい旅をしてきたのと同じように、ここでも熱心な信者たちが、およそ二キロもある長い参道を、一歩進むごとに額を地面に打ちつけながら、大仏殿に向かってはいつくばって進む姿が見られます。
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