これもずっと後になってから、岩波書店の小林勇くんが、めでたい昔話として聞かせてくれたことなのだが、その頃、私の初めてのエッセイ集『冬の華』を岩波から出してもらえることになっていた。
当時はまだ気が小さかったので、小宮豊隆さんにすすめられ、そして上手におだてられて、やっと思い切って「本を出す」気になったわけだった。
ある日のこと、小宮さんが岩波書店の主人に、「中谷くんの本はまだ出来上がらないのかね。なるべく綺麗な本にして、彼が生きているうちに読ませて喜ばせてやりたいから、少し急いで作ってやってもらえないかね」と言ったことがあったそうである。
誰の目から見ても、私の命はあと半年くらいのものだと思われていたらしい。
それでも私の体は案外もちこたえて、その冬も無事に越すことができ、伊豆の伊東で二度目の夏を迎えることになった。
伊東の暑さには前の年の夏ですっかり懲りていたので、その夏は涼しい札幌で過ごすことに決め、今から思えばなんとも贅沢なことだが、北海道帝国大学の病院に入院することにしたのだ。
毎日ベッドの上でおとなしく横になっていて、できるだけ美味しいご馳走を食べ、お腹のレントゲン写真を撮っていた。
これで体重が少しずつでも増えていけば万々歳だというので、毎日の食事の量を詳しく記録し、一週間ごとに体重を正確に測ることになった。
ところが、なんとも心細いことに、体重は一週間ごとに正確に減っていったのだ。
初めのうちは、汽車の旅の疲れがまだ残っているせいだろうということだったが、三週間目も、四週間目も、まるで物理の実験のように正確に、一定の量ずつ体重が落ちていく。
このように数字ではっきりと、自分の生命の衰えが正確に見えてしまうのは、決して気分のいいものではない。
「どうもこれはいけないぞ」と、自分でも真剣にそう思い始めたのだった。
そんなどん底の悲しい境遇の最中に、岩波の小林くんから一通の手紙が届いた。
その手紙こそが、私の病気の治療にまったく新しい方向を切り開いてくれた、運命の転換点となったのである。
その手紙には、小林くんも原因不明の妙な病気でここ数ヶ月ずっと悩んでいたが、結局それが「肝臓ジストマ(寄生虫の一種)」であることがわかり、その治療をしたら見違えるほど元気になったと書いてあった。
そして、「あなたの病気も、どうも肝臓ジストマではないかという気がするから、一つ便(検体)を慶応義塾大学の小泉丹(こいずみまこと)さんのところへ送ってみたらどうか」とすすめてあったのだ。
そこでさっそく便を少し採取し、セロファンでしっかりと包んで乾かないようにし、飛行便で慶応病院あてに送ってみた。
当時は、東京と札幌の間に定期の航空路線があった時代である。
四、五日すると、さっそく返事が届いた。
なんと、大変な量の肝臓ジストマの卵が見つかったというのである。
これも後になって岩波さんから聞いた話なのだが、小泉さんも少しばかり面食らってしまい、「こりゃ大変だ、とにかく東京へ呼んでくれ。しかし、完全に治せるという自信をもって引き受けるわけにはいかないがね」と、大いに頭を悩ませて弱っていたそうである。
私への手紙には、さすがにそんな弱音は書いてなかったが、とにかく東京へ来いと熱心にすすめてあった。
それですぐに飛び起きて、東京へとやって来たのだった。
そして岩波さんと小林くんに連れられて、慶応病院へ小泉さんを訪ねた。
八月の終わりのとても暑い日で、小泉さんは教授室で猿股(下着)一枚の姿になりながら、本を読んでおられた。
よく話を詳しく聞いてみると、私たちはとんでもない恐ろしい虫にとりつかれていたことがわかった。
肝臓ジストマは、なんといっても内臓の奥深くにある肝臓の中に住みついているので、薬がなかなか効かず、これまで退治することは不可能とされていたそうである。
しかし、この頃になって「ファーディン」というアンチモン(金属の一種)を含んだ新しい注射の薬ができたので、その注射薬をうまく使えば退治することができるのだという。
現に、小林くんがその治療で治ったのだが、これは肝臓ジストマを完全に治療した日本での記念すべきナンバーワン(第一号)なのだそうだ。
「君はそのナンバーツウ(第二号)になるわけだが、とにかく『人間が死なないギリギリのところまで虫を攻撃して死なせる』という限界すれすれの強烈な注射をするので、今の君のその体ではちょっと無理かもしれないな。とにかく、この病院にまだ若いけれど武見という助手がいる。この男はまだ若いかなりの名医だから、よく体を診てもらって、それからどうするか決めよう」という話であった。
それだけでも十分にありがたくない(不安になる)話なのに、「このファーディンという薬はドイツのものでね、日本人には少し体への負担が強くて無理なんだ。前にもこの薬で患者を殺してしまった病院があったそうだよ」と、余計なこわい話までおまけしてくれた。
まったく、なんともぶっきらぼうで乱暴な医者もいたものである。もっともぼくの体では、最初からムリな話で、家に帰ってから岩波全書にある小泉さんの『寄生虫概論』っていう本を開いてみたら、肝臓ジストマのページには「退治する方法なし」って書いてあった。
これは一般向けのやさしい本だから仕方ないかと自分で自分を慰めて、あとで伊東で仲良くしていたお医者さんのところに行って、ぶ厚い専門の本を借りて調べてみた。
そこにはいろんな注射の薬のことが書いてあって、実際に治療した例も二、三のっていたけれど、結論はやっぱり「退治するのはむずかしい」というものだったので、すっかりがっかりしてしまった。
アンチモンという薬は毒薬で、それを虫を殺せるくらいまで肝臓の奥までしみ込ませようっていうんだから、あと半年の命だと言われているぼくの体では、もともとムリな相談だったんだ。
だけど終わってみれば、このファーディンという薬で、ぼくの肝臓ジストマはすっかりきれいに退治されちゃったんだから、西洋の医学もなかなかバカにはできないものだよね。
でも、このお話の初めに「科学の力で重い病気がケロッと治った」って書いたのは、このジストマ退治のことだけじゃないんだ。
それよりももっと、びっくりするような面白いお話があるんだよ。
十年前の武見(たけみ)さんは、もちろん今ほど有名じゃなかった。
だけど、一部の物知りな人たちの間では、そのすごい診察のしかたや治療の方法が、すでに認められていたんだ。
ぼくはもちろん会うのは初めてだし、名前すら聞いたことがなかった。
病気にもお医者さんにもすっかりスレちゃっていたぼくは、ちょっと失礼な話だけど、この若いお医者さんがいったいどんな風に診察するのか、はじめは面白半分で、ちょっと見ものだなという気持ちで診てもらうことにしたんだ。
ところが、その診察のやり方が、いままでのお医者さんとはちょっとちがうことに、すぐに気がついた。
胸をトントンとたたくにしても、聴診器をあてるにしても、お腹をさするにしても、ものすごく丁寧で、まるで何か隠れているものを探し出すような、鋭い目の光が感じられたんだ。
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