初級翻訳・レ・ミゼラブル 第2話

レ・ミゼラブル

そして自分の身に危険を感じると、ついに国の外へと逃げ出し、さらには正式に国から追い出されてしまったのです。

彼ははじめベルギーの首都ブリュッセルに行き、それからイギリス海峡にあるジャージー島(ゼルセー)へ移り、最後にはガーンジー島(ゲルヌゼー)へと渡りました。
そのあいだ、1858年から1862年までの5年間にわたる、深い瞑想とさまざまな思いの中から生み出されたのが、この物語なのです。
彼は自分の頭の中にあるものを、すべてこの物語の中にぶつけました。

父親は熱心な共和党員(王様ではなくみんなで国を治めるべきだという人)で、国を追われた古い将軍であり、母親の代わりに育ててくれたのはお坊さんをやめて普通の人に戻った古い牧師でした。詩人としてはロマン主義運動の先頭に立ち、政治家としては民主派であり、自分の考えた理屈よりも心の中の熱い情熱を何よりも大切にする人――それがヴィクトル・ユーゴーでした。
そんな彼の頭の中に、もっとも鮮やかに浮かび上がってきたもの。それはまさに、社会の一番底で苦しみうめいている「レ・ミゼラブル(惨めなる人々)」であり、そうした人たちを作り出してしまった社会のダメな部分であり、彼らがその中で流されていく時代の大きな運命の波でした。
そして彼は、それらの人々を描くときに、自分の自由でとまるところを知らない想像力とアイデアに、一切のブレーキをかけませんでした。

こうしてできあがった物語について、まわりの景色や人々の集まりがとても細かく描かれているからこそ、のちの小説家ゾラの本当の原点だと言う人もいます。また、お話の展開がどこか夢のようであり、登場人物がステレオタイプ(決まりきった型にはまった人たち)だからこそ、完全にロマンティックな物語だと言う人もいます。あるいは、若いマリユスというキャラクターこそが作者自身なのだと言う人もいます。しかし、そんなふうにあれこれ言うことは、この物語が持つ価値を高くもしなければ、低くもしません。

作者は、何よりもまず「詩人」でした。それも、人生そのものをうたう詩人だったのです。
そしてこの物語は、1815年から1832年にかけての、フランスの壮大な叙事詩(じょじし:昔の英雄の冒険や歴史的な大きな出来事を詩のようにドラマチックに語る物語)なのです。
この物語の中では、ちょっと物わかりの悪い古いおじいさんであっても、人生を踏み外してしまった一人の売春婦であっても、みんな昔の物語に出てくる英雄のように、まばゆい光を放っています。
この輝きは、まさに作者自身が持つ輝きにほかならないのです。

大きな物語である叙事詩なのだから、登場人物たちが物語の中で生き続けられているのは、ある意味で作者の力によるものだということは、驚くことではありません。
また、この作品の中に作者の考えがそのままゴロゴロと登場してくることも、少しも不思議ではないのです。

ワーテルローにおけるナポレオンの負けを、作者は「神様が決めたこと」として描きました。
この翻訳をしている者(訳者)は今、ジャン・ヴァルジャンの心がたどった道すじを、作者ユーゴーの強い意志によるものだと言いたいのです。
作者は、人類を正しい方向へ導く神様の手は、「自由」と「正義」を指し示しているのだと説いています。
訳者である私もちょうど今、ジャン・ヴァルジャンをここまで導いた作者の本当の意図が何だったのかを語るべきなのかもしれません。
しかし、訳者はあえてそれをせず、頭のいい読者のみなさんの判断にすべてをお任せしたいのです。
そしてただ、作者が残した言葉をここに書き添えておくにとどめておきます。

それはつまり、こういうことです。
「この本のような性質を持つ翻訳の本も、『この地上から無知と悲惨がなくならない限りは』、おそらくきっと、何の役にも立たないということはないだろう。」

1917年 豊島与志雄

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