七
彼の山沢さんに対する愛情は、相手が「あの山沢さんだから」という理由だけで無理やり抱いているものでもなければ、主人と召使いの間によくありがちな「まあ、めぐり合わせだから仕方がないか」というあきらめからくるものでも、もちろんありません。
彼自身がそれを自分でハッキリと自覚していたかどうかは分かりませんが、むずかしい言葉で言うなら、「自分の本当の価値をわかってくれる人のためにこそ、命を懸けて死ねる」という熱い心持が、彼と山沢さんの間には、春の山を包む霞のようにぼんやりと、しかししっかりと立ち込めていたのです。
彼の頑固さをちゃんと理解し、それをコントロールできるだけの強い意志を自分でも持ち、彼の「素晴らしい長所」に免じてその「困った欠点」を大きく広い心で許してくれた山沢さんという人に出会えたことは、彼にとって本当になんて幸運なことだったでしょう。
彼はよく、「自分をこんなふうに気持ちよく、存分に使ってくれる人間は、この広い世界中を探してもあの人以外には一人もいないんだ」としみじみと思っていました。
そして、もしその主人が亡くなったあとの自分の人生を想像すると、なんだか胸がすーっと寂しくなるような気持ちがしたのでした。
けれども、そんな心からの感謝の気持ちがいざ彼の唇から外へ言葉として出るときには、なぜかこうなってしまうのです。
「なにせあの旦那様だったからこそ、この俺がああやって使われてやったんだからな」
というふうに、自分の方がまるで主人の面倒を見てやったかのような言い方で発表してしまうのです。
そこが、どこまでいっても「三郎らしい」ところです。
少しも恥ずかしがることなく、愛すべき自分のプライド(自負)をまわりに堂々と見せびらかしてしまう――これこそが、彼が彼らしくある証拠であり、最高に輝いている瞬間なのでした。子供のころ、梁から下げた俵につかまり、和尚さんの杖を合図に真面目くさって「ボーン」と鳴らした彼は、このときもなお、あのころと同じような、単純で憎めない子供っぽさを心の中に持っていたのでした。
彼が山沢さんのもとへ出入りするようになってから二、三年後、たぶん明治七、八年ごろのことだったでしょう。
何か仕事の関係で、五、六里も山奥にある湖まで調査に行ったことがありました。
山沢さんと、下役が二人、そしてその下役のお供である三郎という、四人の旅のグループだったようです。
朝早く村を立ち、お昼ごろには目的地へ着く予定で歩いていきました。
そのころは、冬は今よりもずっと寒かったかわりに、夏の暑さはかなりしのぎやすかったようです。
八月ごろだったのに、お弁当やいろいろな荷物をたくさん背負いながら、三郎は「暑い」とも「苦しい」とも思いませんでした。
まだもったいなくて切り落とさずにいたちょんまげの上から、浅黄(うすい黄緑色)の手ぬぐいをかぶり、その上から笠をかぶった彼は、腰までの薄い布切れ(布子)一枚という軽い格好で、山沢さんのすぐそばをぴったりと山道歩いていきました。
二人の下役たちがどう思っているかなんて、三郎はまったく気にしません。
もしかすると、まだ働き始めてから日の浅い彼らに、自分がどれだけ主人から信頼されているかを見せつけて、感心させたかったのかもしれませんが、まるで本当の兄弟のように山沢さんのすぐそばにくっついて歩いたのでした。
彼はもちろん得意満面で、あとからその下役が山沢さんに、
「いったいあの男は何者でございますか、まったくもう……」
と愚痴を言ったとき、
「なあに、あいつかね。あいつはあんな奴じゃよ。だが、憎めない奴さ」
と山沢さんが笑ったなんてことについて、三郎はおそらく今でも知らないままでいるでしょう。
山々の峰に響き渡るような声で、ずーっと自分の手柄話を続けながら湖の見える村へ入ると、誰よりもまっさきに感動したのは三郎でした。
言葉では言い表せないほど、湖は広々としていました。
美しい。
本当に、この上なく美しい景色でした。
三方を緑の山々に囲まれ、そよ風に小さな波が立ちながら、五、六艘の小舟がプカプカと浮かび、岸辺の砂に「ヒタヒタ」と寄せる水の色を見て、三郎は思わず「ホーッ」と声をあげて首をかしげました。
山かげの涼しさとはまたひと味違う、すがすがしくて潤いのある空気が、小さな波のひだひだごとにどこからか送られてきては、開いた肌の毛穴に心地よくしみ込んでいきます。
彼は背負っていた荷物を、地面にドタバタとすべて下ろしてしまいました。
そして布子の胸元をはだけて、まるで雲助のような胸毛を、しおらしく風に震わせながら、目を細くして風に吹かれました。
すぐそばの、かなり長く突き出た船着場の石垣に、水が甘えるようにパチャパチャと当たる音が、彼の厚い耳の鼓膜をくすぐったい気持ちにさせました。
あまりの気持ちよさに、バカになってしまいそうだったというのは、きっと本当のことでしょう。
近所のボロい茶屋で、「ナマズの干物」というなかなかスゴいおかずをツマミに、持って来たおにぎりを食べると、いよいよ荷物をほどいて湖の深さを測ることになりました。
何マイルもあるような大湖の水深を調べるのに、せいぜい人間の足の立つところまでを、いい加減な物差しみたいなもので測ったなんて、私にはどうしても信じられません。
いくらまだちょんまげがあちこちに残っていた時代だとはいえ、あまりにもでのんきすぎます。
開墾事業に命をかけて頑張ったあの山沢さんのすることとは思えません。
けれども、当事者である三郎爺の力強い言い分によれば、「そのあとのことはどうだか知らないが、少なくともそのときだけは、絶対にそうやって測ったに違いないのだ」ということでした。
八
片手には先の方がフラフラするような物差しを突き、太い太い腰にロープ(細引)を結びつけた彼は、夏とはいえ急にヒヤリとする水の中で鳥肌を立てながら、「ザブザブ」とまるで馬が水浴びでもするような勢いで、どんどん深いほうへと進んでいきました。
底は、サラサラの細かい砂でした。
一歩踏み出すごとに足の甲が埋まり、まるで痒くなるような感覚で砂が足に這い上がってきます。
体は大きく、度胸も人一倍あるはずの彼でしたが、子どものころから水に親しんで育ったわけではなかったため、足元のグラグラする不安定さに、かなり不気味さを感じていたようです。
はじめの五、六歩はものすごい勢いで進んでいったものの、だんだんと歩くスピードが遅くなってきました。
細かい砂から、少し粗い砂粒、細かい砂利から小石へと、順番に水深が深くなっていき、お腹のあたりまで来て波が分かれるくらいの場所まで来ると、足下はすっかりゴツゴツした本物の石になってしまいました。
体が重いのでなんだか滑りそうな気がして、泳ぎのまったくできない三郎の顔は、だんだんマジメなものになっていきました。
水がとても綺麗なので、底が透けて見える中を、のろのろと足を運んでいきました。
「一歩進むごとに深くなっていくけれど、もっとずーっと先まで行けるだろう」と思っていた彼も、山沢さんも、予想外にすぐのところでストップしなければならないことにビックリしました。
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