初級翻訳・アワァビット 第1話

アワァビット

ぼいたちのくらしの気持ちは、まだ世界中がつながっているとはいえないところがあって、外国でおきたできごとを、まるでちがう星のできごとのように、どこか他人事として受け取ってしまいがちだ。

頭の中の考え方は、すでに世界じゅう共通のものになっているかもしれない。
けれど、本当のところ、ひとりひとりの毎日の心が、どこまで世界中の人たちのことを考えて生きているかというと、ときどきあやしいなと思うことがある。

この地球の上にある、いろいろな集団――国――が、いまどんなにつながり合っているのか。そして、どんな運命を背負いながら、昼も夜も、同じ太陽のまわりを回っているのか。
そういうことを、自分の胸でしっかりと実感している人は、まだまだ全然足りないのだ。

ここ最近、だんだんとみんなの注目を集めはじめている「ロシアの大いなる飢饉(ききん)」という問題に対しても、本当の意味で友達として力になり合うべき国々の思いやりは、ぼくはすごく鈍(にぶ)くなっていると感じている。

たしかに、ある国はまっさきに手をあげて、かっこよくたすけの活動をはじめた。
けれども、その本当の理由や気持ちを鋭く見抜く人たちはせっかくのめぐみものに対して、ちょっと苦い気持ちになってはいないだろうか。

また、別の国の一部分は、まるでなにも感じていないかのようにぼんやりしている。
耳をかすめていく、うわさ話。
――だけど、どうせ自分たちのおなかがいっぱいであればそれでいいんだし……もし何かが必要なら、ほかの誰かが何とかするだろう。
――そんなふうに、目をそらして、めんどくさそうに部屋の隅っこにかがみ込んでいるのだ。

何百年のむかしから続く、おそろしい古いしきたりや、さだめから抜け出せずにいる、いわゆるえらい政治家たちは、自分たちの心の優しさがからからに枯れていることに対して、何かと言いわけをみつけるかもしれない。
けれども、ぼくたち一般の人間、まっすぐな心で人間のくらしや、本当の人生というものをしっかりとつかもうとする者どうしが、おなじ地球に生きる人間として求められ、切実に願われている協力に対して、どうして冷たく「いやだ」と断ることができただろうか。

自分には貧しさがやってこないからといって、子どもみたいに何も知らなかった人々。
あるいは、いまのロシアの社会のあり方に不満があって、すこしの愛も感じられない人々。
どうか、ときどき外国の新聞や雑誌にのる、彼らの恐ろしい飢えのようすを見てほしい。

あのガリガリにやせ細ってガイコツのようになってしまったロシアの子どもたちが、道ばたで――おそらくこれも飢えが原因で――行き倒れて死んだウマのまわりに、ハエのように群がって、われ先にとそのお肉を奪い合っている写真を見たら、きっと一瞬で、意地悪な気持ちや、自分勝手な冷たさは、どこかへ消えてなくなってしまうはずだ。

どうしても、知らないふりなんてしきれないものがある。
なんとかしてあげたいと思わずにはいられなくなってくる。

もちろん、国として、ロシアがまわりから受けるべき厳しい意見はたくさんあるだろう。
けれども、何のために、何千万もの人間が、まるで世界中から見すてられて、ひとしずくの愛もない飢えの中で、犬死にをしなければならないのだろうか。

世界は、いまこそ本気にならなければいけない時なのだ。
人間の心の流れが、根っこからボロボロになってしまった遠くの友だちの上に、新しく、すこやかな「生きる意味」を見つけ出そうとしている。

どうしようもない不健康や食べ物の不足は、一秒でも早くなおして、おたがいに、最後のゴールへと進んでいくことが大切なのだ。

広くもないこの地球の上で、何千万という人間が飢えに苦しみ、まるで獣(けもの)のようになってしまっている姿は、どんなにたくさんの王宮を集めても決して償うことのできない、大きな恥ずかしい汚れではないだろうか。

〔一九二二年七月〕

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