「母ちゃん、ぼくもう、さっきから迎えに来とったんやで」
いつもなら自然と笑みがこぼれてくる、きれいに澄んだその声が、今日はちょっぴり悲しそうでした。
ニコッと笑ってみせると、大吉はすぐに甘えるようにすり寄ってきて、
「母ちゃん、なかなか戻らんから、ぼく泣きそうになったわ」と言いました。
「そうかい」
「もう泣こうかと思ったら、ブブーって(バスの音が)鳴って、みたら母ちゃんが見えたんよ。
手ぇ振ったのに、母ちゃんこっち見なかったもん」
「そうかい。ごめんね。母ちゃんうっかりしとったわ。
あやうく『一本松』のバス停を忘れちゃって、ずっと先まで走りすぎるところだったよ」
「ふーん。なに、うっかりしとったん?」
それには答えずに包みを渡すと、それが何よりのお目当てだと言わぬばかりに、
「わあ、これ、ランドセルう? ちっちゃいなあ!」
「ちっちゃくないよ。背負ってごらん」
ちょうどぴったりのサイズでした。むしろ少し大きいくらいです。
大吉は一人でパッと駆け出しました。
「おばあちゃーん、ランドセルーー!」
ビューンと走っていきながら、自分の足がもどかしいと言わんばかりに、行く手にある我が家に向かって大声で叫びました。
肩を大きく揺らしながら走っていくその後ろ姿には、無心に明日へ向かって大きく伸びようとする、懸命なエネルギーが感じられたのです。その可愛らしい後ろ姿の行く手に待ち受けているものが、やはり戦争でしかないのだとしたら、人はいったい何のために子どもを産み、愛し、育てるのだろう。
砲弾に打たれ、体を引き裂かれて散っていく人の命というものを、惜しみ、悲しみ、引き止めることが、どうしてしてはならないことなのだろうか。
治安を維持するとは、人の命を大切に守ることではなく、人間の精神の自由さえも縛り付けるということなのだろうか……。
走り去る大吉の後ろ姿は、竹一や仁太や、正や吉次や、そしてあのとき同じバスを降りて公会堂へと歩いていった大勢の若者たちの後ろ姿に重なり合っていくように思えて、胸が暗くなった。
今年小学校に上がるばかりの子どもの母親でさえこう思うのだから、何十万、何百万もの日本の母親たちの心というものが、どこかのゴミ捨て場にゴミくずのように捨てられ、マッチ一本で灰にされているかのような思いがした。
「お馬にのったへいたいさん
てっぽうかついであるいてる
トットコ トットコあるいてる
へいたいさんは 大すきだ」
気張るあまり調子っぱずれになった歌声が、家の中から聞こえてくる。
敷居をまたぐと、ランドセルを背負った大吉を先頭にして、並木と八津がその後ろにつき従い、家の中をぐるぐる走り回っていた。
孫のそんな姿を、ただ嬉しそうに見つめているおばあちゃんに対して、なんとなくあてつけがましく、大石先生は不機嫌な口調で言った。
「ああ、もう、みんな兵隊さんが好きなんだね。
本当に。
おばあちゃんには、そんなことの恐ろしさがわからないのかしら。
女の子がいないからって……。
――でも、そんなことないと思うけど……」
そして、
「大吉っ!」と、きつい声で呼んだ。
口の中が渇いたような顔をして、大吉はその場にポツンと立ち尽くし、きょとんとしている。
ハタキと羽子板を鉄砲に見立ててやめずに歌い続け、走り回っている並木と八津のなかにあって、大吉の不安そうな気持ちを落ち着かせてやるように、いきなり背中に手を回すと、ランドセルはロボットのような硬い感触をさせながらも、急激な喜びでピョンと動いた。
長男であるがゆえに普段は滅多に受けることのない母親からの優しさに、満六歳の男の子はすっかり勝利感に酔いしれた。
にこっと笑って何か言おうとしたとき、並木と八津に見つかってしまった。
「わあっ!」
押し寄せてくる子どもたちを、同じように「わあッ」と叫び返しながら、まとめてぎゅっと抱きかかえ、
「こんな、かわいい子どもたちを、どうして殺してよいものか……わあっ、わあっ!」
調子をつけてゆさぶると、三つの小さな口は同じようにして、「わあっ、わああ」と声を合わせた。
そこにどんな大人の切実な気持ちがひそんでいるかを知るには、子どもたちはあまりにも幼すぎた。
春の徴兵適齢者たちは、報告書と照らし合わせられ、まるで品評会の菜っ葉や大根のようにその場で兵種が決められ、やがて年の瀬が迫るころ、出征を告げるカンコ(かんかんと鳴らす鐘や鉦の音)の見送りを受けて入営するのが古いころからの慣わしであった。
しかし、日ごとに広がっていく戦線の逼迫(ひっぱく)は、そのわずかな時間的ゆとりさえもなくし、入営はそのまままっすぐ戦線へとつながっていった。
船着き場の桟橋に建てられたアーチは、「歓送迎門」の額を掲げたまま、緑の杉の葉はすっかり焦げ茶色に変色してしまっていた。
兵士を見送り、そして迎えるどよめきは年中絶えることがなく、そのわずかなすきまを縫って、声なき「凱旋兵士」の四角く白い骨箱の姿もまた、潮風とともにこのアーチをくぐって戻ってきた。
日本じゅうの至る所に建てられたこの緑の門を、数えきれないほどたくさんの若者たちがくぐり続けた、終わりを知らないような昭和十六年。戦線が太平洋にまで広がったことで、カンコを鳴らす音はいっそう激しくなるばかりだった。
天皇の名によって宣戦布告された十二月八日のそのずっと前に、その年の入営者である仁太や吉次や磯吉たちは、もうすでに村にはいなかった。
出発の日、いくばくかの餞別(せんべつ)に添えて、大石先生はかつての日の集合写真をハガキの大きさに焼き直してもらい、彼らに贈った。
もう元の原板はなくなっていた。
竹一の分を除いてはみな失くしてしまっていたので、みんなとても喜んでくれた。
「からだを、大事にしてね」
そして、一層声をひそめて、
「名誉の戦死など、しなさんな。
どうか生きてもどってくるのよ」
すると、それを聞いた子どもたちはまるで写真に写っていた昔の小学生の頃のよう素直な顔になり、磯吉などはこっそりと涙ぐんでいた。
竹一はそっと横を向いて静かに頭を下げた。
吉次は黙ってうつむいた。
正はどこか影のある笑顔を見せて小さくうなずいた。
仁太だけが声を出して、
「先生、だいじょうぶだ、勝ってもどってくるから」と言った。
それすらも、仁太なりに声をひそめ、「もどってくる」というその言葉を、あたりをはばかるように言ったのだった。
無事にもどるなどということは、もう口にしてはならないことになっていたのだ。
しかし仁太は、本当にそう思っていたのだろうか。
まっすぐで嘘のつけない彼には、世間体を取り繕うことや、言葉の裏に別の意味を込めるようなことはできなかったからだ。
仁太とて、自分の命が惜しくないわけがなかった。
それを、仁太ほど正直に言葉にした者は、ほかにいなかったかもしれないのだから。彼はむかし、徴兵検査の係官の前で「甲種合格!」と告げられた瞬間、思わずこう叫んだそうだ。
「しもたァ!」
みんなが思わず吹き出し、その噂はその日のうちに村中に広がった。
しかし仁太は、不思議とげんこつをもらうこともなかったという。
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