」
相変わらず天秤棒にしがみついたまま、おばあさんは豚小屋に背を向けて海のほうを眺めながら、すっかり落ち着き払っていました。
目の下には、同じように並んだ家々の黒い屋根瓦がモザイクのように集まっています。
そのところどころを縫うようにして、すももの白い花や、大きく枝を張った杏(あんず)の赤い花が咲いていました。
これひと固まりの集落を抱え込むようにして、左右に伸びている岬のかげには小さな漁船が浮かんでいて、波のない海面はまるで湖のように静かでした。
遠い四国のほうはふんわりとしたもやに包まれて、陸も空もぼんやりとかすんで見えました。
健ちゃんはまたおばあさんの前掛けを引っ張りました。
「おばあさん、何を見てるの、早く豚にご飯をあげてよ!」
「よしよし、そんなにせかさないでおくれ。」
おばあさんはやっと腰を上げました。
天秤棒を豚小屋の軒に立てかけ、豚のえさ桶を一つずつ持ってきました。
細長い小屋は四つに区切られていて、その一つ一つの入り口のところには、外側から与えられるように作られた長方形の食べ物用の桶がありました。おばあさんは汚れた柄杓(ひしゃく)を使って、順番にえさを流し込んでいきました。
豚たちは先を争って悲鳴を上げながら、キチガイのように食べ始めました。
顔中を桶の中に突っ込んで、泥芋(どろいも)みたいに汚しながら、夢中で食べています。
子どもを産んだばかりの親豚には、醤油粕や残りご飯ではなく、とくべつに麦飯を炊いてやるのでした。
その親豚は、子牛ほどの大きさもありました。
子豚たちが乳房にしがみついて離れないのを、親豚が力任せにふりほどいてもふりほどいても、子豚たちは「キュウキュウ」と鼻を鳴らして、またおっぱいに吸いついていくのでした。
桃色に透き通った、ころころした体を銀色の産毛に包まれた子豚たちは、親豚似つかわしくないほどきれいで、まるでビロード(珍しい布)で作られたおもちゃが生きているようでした。
親豚は五匹の子豚を乳房にぶら下げたまま、麦飯をうまそうに食べています。
健ちゃんはしゃがみこんで、板と板のすきまからじっと見つめました。
天井を向くような姿勢でおっぱいに吸いついている子豚が、可愛くてたまりませんでした。
健ちゃんは目を細くして、可愛い声をだしました。
「おばあさん、赤ちゃん豚は歯がないのに、おっぱいを飲むんだねえ。」
「そうとも、そうとも。健ちゃんだって歯がないときは、おっぱいを飲んでたんだよ。」
豚から目を離さないまま、健ちゃんは自分の口の中に指を入れて、ためすように歯をさわってみました。
前歯で自分の指を軽くかんでみます。
「おばあさん、豚が大きくなっても、歯は生えてこないの?」
健ちゃんはおばあさんをふり返り、大発見をしたように鼻の穴を大きく広げて尋ねました。
「大きくなったら歯は生えるよ。」
おばあさんの答えはとてもシンプルでした。みんなにごはんを分け終えたおばあさんも、健ちゃんのそばへやってきて小屋の板に片手をかけ、板の囲いの上から中をのぞき込みました。
「おばあさん、このねんねの豚さんたちは、大きくなったらどうするの?」
健ちゃんはまた鼻の穴をふくらませて、おばあさんの顔を下から見上げました。
「大きくなったらまたお金をもうけてくれるんだよ。
――健ちゃんだって、大きくなったら立派になって、お金をもうけておくれよ。」
「うん、健ちゃん大きくなったらお兄ちゃんになって、学校に行くんだ。
――おばあさん、豚さんは大きくなっても、どうして学校に行かないの?」
健ちゃんは立ち上がって、おばあさんの答えを待ちました。
「ええ、豚さんがかい、学校になんてかい。やれまあ、きょうとやの、きょうとやのう。
――健ちゃんのお父さんはね、小さいころは勉強がよくできてね、大学まで行ったんだけれど、今じゃ仕事がなくて、仕事がなくて、お金もうけができないんだよ。ええ、健ちゃん、お前もお父さんみたいになるんじゃないよ。
豚さんはね、学校に行かなくたってちゃんとお金をもうけてくれるんだからね。」
おばあさんは豚を見つめながらしゃがみ込みました。
健ちゃんはおばあさんの肩に手をかけて、うん、うん、とうなずいていました。
「おばあさん、犬も大きくなったらお金をもうけるの?」
「いいや、犬は糞(ふん)の役にも立たいや、鶏を追い回したりするくらいのもんさ。」
「ふーん、そんな犬は馬鹿だなあ。
――じゃあ、猫はお金をもうけるの?」
「猫かい? 猫はお金はもうけないけれど、ネズミを取ってくれるよ。」
「そんなのかしこいなあ。
――それじゃあ、うさぎは?」
健ちゃんはうさぎのように両方のひじをわきにつけて、手首をちょんと前に出し、もう豚には目もくれずにおばあさんと向き合いました。
しゃがんでいるおばあさんと、立っている健ちゃんの顔は並んで三十センチも離れていません。
健ちゃんは真剣な顔つきで、偉いものと馬鹿なものの区別をしていきました。
おばあさんは、むずかしそうに首をかしげ、考えながら答えました。
「うさぎか――ええと、そうだなあ。
うさぎは……うさぎはどうやらお金をもうけてくれるらしいねえ。」
「それじゃあかしこい!
じゃあ、亀は?」
「今度は亀かい。
ええと、亀はあ、――ん。
亀はのろまで、健ちゃんみたいにのろまだよ。」
健ちゃんはびっくりしました。
口をとがらせました。
「ええい、健ちゃんはのろまじゃないぞ、それじゃあかけっこしてみようか!」
くるりと方向を変えて、走りだしました。
ちんちくりんの丸い体をふり立てて、とっとと走りました。
ナスビやキュウリやトウモロコシの苗床(なえどこ)に麦わらが被せてある、その上をかまわずどんどん走り回りました。
おばあさんは、豚が小屋を破って飛び出したときのようにあわてました。
追いかけましたが、苗床を踏みつけないように、よけて走るのでなかなかつかまりません。
「こら、健ちゃん、やめておくれよ、健ちゃんはのろまじゃないから。
待ってくれ、待ってくれ!」
おばあさんは地面を見つめながら、着物をたくし上げて追いかけました。
健ちゃんは鬼ごっこをしているみたいでいい気持ちで走りました。
おもしろくてたまりません。
鬼が来んまに豆煎ってかーまそ。
健ちゃんはしゃがんで土をかきまぜ、きゃっきゃと笑いながらあたりじゅうを飛び回りました。
そのうち、一段高く土をもり上げた苗床につまずいて、とうとう転んでしまいました。
湿った土に顔を激しくぶつけて、すぐに起き上がれませんでした。
やっとおばあさんがやってきて抱き起こしました。
顔じゅう土だらけになって目も鼻もわかりません。
「ペッ、ペッ」とつばを吐きました。
「ほら見ろ、ほら見ろ。
走ったりしたら危ないんだよ。
泣くなよ、泣くなよ、お目々を開けなよ。」
おばあさんは片手で健ちゃんをひっかかえて頭を支え、もう一方の手で花のついた春菊をむしりとっては、口や鼻をぬぐってやりました。
春菊の強い香りが、健ちゃんの鼻の奥へと突き通るようにしみこんできました。
健ちゃんは土だらけの手を払いのけようとしました。
「くさいや、くさい野菜なんて好きじゃない。
初級翻訳・大根の葉 第7話
壺井 栄
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