初級翻訳・二十四の瞳 第38話

二十四の瞳

お母さんがそう言ったとき、大吉にはすぐにはその意味が飲み込めなかったが、だんだんとその本当の意味がわかってきた。
近頃では、村の柿の木も栗の木も、完全に熟れるまで実が残っていたことは一度もなかった。
みんな食べ物が足りなくて、待ちきれなかったのだ。
子どもたちはいつも野原に出ていき、茅花(つばめ)の花を食べ、イタドリの茎をかじり、スイバをしゃぶった。
土のついたサツマイモだって、そのままの状態で食べた。
みんなお腹には回虫がいるらしく、顔色もすこぶる悪かった。
そんな過酷な状況の中で病気になっても、村にはもうお医者さんは一人もいなかった。
よく効く薬もどこにもなかった。
お医者さんも、薬も、みんな戦争にとられてしまっていたのだから。おばあさんが亡くなったときには、村のお寺の善法寺(ぜんぽうじ)さんまでがお寺を出ていて留守だった。
まわりの村のお寺の和尚さんは、戦死者のお葬式で大忙しだったのだ。
戦争が終わる少しまえに帰ってきた善法寺さんは、戻ってくるとすぐに供養(くよう)にきてくれたけれど、今また続けて、八津(やつ)のためにそのお経をあげてもらうことになるなんて、どうして想像できただろうか。
おばあさんは死ぬまえに、自分の菩提寺(ぼだいじ)にお坊さんもいないことをくやしがっていたけれど、小さな八津は坊さんのことなんか考えたこともなかっただろうと思うと、大吉は、大きな声でお経をよむお坊さんまでがにくらしく思えてしまった。

お母さんの話では、八津が生まれたときにはお父さんはもう体のぐあいが少し悪くなりかけていて、船をおりてゆっくり体を休めるつもりだったという。
長年のあいだ世界の七つの海を渡り歩いたお父さんは、もうこれからは家に帰って休みたいと言い、八番目の港をわが家にみたてて、そのとき生まれた女の子に「八津」という名前をつけたのだった。
しかし、病気のお父さんは自分の家の港で病気を治すこともできず、みんなが希望をかけていた八津もまた、死んでしまった。

ものがすっかり足りなくて、八津の亡きがらをいれる箱をつくるにも、「まずは板の材料を持ってこないと作れない」と言われ、少しこわれかけていた昔のタンスの板でつくることになった。
お花までが、人間の日々のくらしの中から追い出されていた。
大吉は並木(なみき)と一緒に墓場へ行き、ジャノメ草やおしろい花をとってきて八津を飾ってあげた。
もとはお花もたくさん作っていたという庭なのに、大吉たちの覚えているかぎりでは、そこは大根やかぼちゃの畑になっていて、せまい軒先(のきさき)にまでかぼちゃが植えられ、屋根にまでつるが這(は)わせてあった。
八津が亡くなると、お母さんは泣きながら、軒(のき)のかぼちゃをひきちぎるようにして根っこから引き抜いた。
まだちゃんと育っていない小さな実が三つ四つ、長いつるに引きずられてぽろりと落ちてきた。
その中から丸いのを一つお盆にのせて仏壇に供えたのだが、赤痢(せきり)のうわさが立って誰もきてくれない、しずまりかえった通夜のまくらもとに座り、いつもの停電が終わったあと、お母さんはふと気がついたように、まくら刀として置いていた小さなゾーリンゲンの包丁を手に取り、いきなり、ぐさりとそのかぼちゃの横腹に突き立てたので、大吉たちはびっくりしてしまった。
そのゾーリンゲンはお父さんが買ってきてくれたものだった。
もしもお母さんが笑っていなかったなら、ふだんから「危ないから触るな」と教えられているゾーリンゲンなのだから、大吉たちは悲鳴をあげていたかもしれない。
しかし、お母さんは笑っていたのだ。
泣きはらした顔のその笑顔はまるで別の人間のようだったけれど、「なんでもない、なんでもないよ」と語りかけてくるような目の色が、大吉たちをひとめで安心させた。
「いいものを、八津にこしらえてやろうね。
こんなこと、お前たちは知らないだろ。
八津はとうとう知らないままでいなくなっちまった。
かぼちゃはまだ育ちきっていなくても食べるものだって、大吉たちはそう思っているだろう?
お母さんたちが子どものころはね、まだ育ちきらなかったかぼちゃは、子どものおもちゃだったんだよ。
ほら、ここが窓――」
かぼちゃの横腹は、四角くきりぬかれた。
「こっちは、丸窓にいたしましょう。
ちょっとむずかしいな。
大吉、手塩皿(てしおざら)を持ってきてちょうだい、型をとるからさ。
それとお盆もね。
中身を取り出すからさ」
大吉と並木は、目をまるくしてそのようすを見つめていた。
そうしてできたのは、かわいい提灯(ちょうちん)だった。
窓に紙をはり、底に釘をさすと、ろうそくを立てる台座もできた。
配給でもらったろうそくをともしてみると、それはいかにも、八津がよろこびそうな素敵な提灯だった。
かなしみを忘れて、大吉は思わず言った。
「お母さん、工作の点数をつけるなら、満点だね」

小さな棺(ひつぎ)ができあがると、その提灯は八津の顔のすぐそばに入れてあげた。
八津が生前にもって遊んでいた貝がらや紙人形も、そばに置いてあげた。
心の底から悲しみがきゅうっとおしよせてきて、大吉も並木も声をあげてめそめそと泣いた。
大吉は、おいおいと泣きながら、八津がずっとほしがっていた「知恵の輪(ちえのわ)」のことを思いだし、それを貸してあげなかった自分の不親切さを心の中で責めながら、いまあらためて、それを八津にあげようと思った。
胸のところで組みあわせた冷たい手にもたせようとしたけれど、その冷たくなった手はもう何も受け取ってはくれず、知恵の輪はすべり落ちて棺の底へと転がっていった。
並木も泣きながら、彼がやっぱり八津の目にふれないように大切にしまいこんであった大事な色紙(しきし)を持ってきて、折り紙でツルや奴さん(やっこさん)、風船などを折って棺の中にいれてあげた。
そんな小さな宝物たちといっしょに、八津は天国への旅路へと出発していったのだった。

こうした悲しい出来事が続いたあと、大石先生(おいしせんせい)は急に年をとったように老け込んでしまった。
白髪(しらが)さえもぐっと増えた。
もともと小さな体が、やせ細ったことでますます小さくなり、腰をかがめると、おばあさんそっくりに見えた。
子どもながらに大吉はどきっと胸がいたみ、こんどはお母さんがまたどうにかなってしまうのではないかと、本気で心配した。
人のいのちの尊さを、心の底からしみじみと感じられる年齢に、子どもたちもだんだんなってきたのだ。
「お母さんを、しっかり大事にしてあげるんだぞ――」
かつてお父さんが遺したその言葉が、いまの胸に深く生き返ってきた。
「お母さん、まきは僕がとってくるよ」
そう言って、並木といっしょに山へ出かけるようになった。
「お母さん、配給の品は、ぼくが学校の帰りにとってくるからね」
遠い配給所へ取りに行くのも、大吉のたいせつな仕事になった。
並木だって、負けてはいられなかった。「お母さん、水やこい、みんなぼくがくんであげる」
涙もろくなったお母さんは、
「きゅうにまあ、二人とも親孝行になったなあ」
と目を細めた。

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