野々宮はそう思わずにはいられなかった。
そして、その殺しがたいという事実が、すでに卓一による企みのような切なさを帯びていた。
悔しさであった。
完全に翻弄されているのだ。
そして、さらに燃え狂う憎しみの渦へと落ちずにいられなかった。
この憎しみの切なさをもってしても、なお人を殺すことができないというのだろうか。
なぜなら、殺したところで罰を受けるはずもないのだから。
なぜなら、彼自身もまた死ぬはずなのだから。
自殺という代償を賭けてすら、憎むべき相手を殺すことができないという恐れが不思議でならない。
人の理知とは、このようなものなのだろうか。
野々宮は落胆せずにいられなかった。
恐れとは何なのだろう。
何ごとを、何ものに向かって恐れているのか、自分でも分からない。
「あなたは、一日中、仕事に励んでおられるのかね」と、左門は野々宮に尋ねた。
「朝から夕方までなのです」野々宮は答えた。
「疲れた心に、夜と孤独ほど、耐えがたいものはありません。
それを恐れるあまり、突然この旅館の女中に向かって結婚を申し込むことすら、決して不可能ではないほどですね。
その冗談に、僕自身でさえ苦笑を覚えることはできますが、その苦笑にこもった切なさが、僕の喉を締め付けて、放してはくれないでしょう」
左門は野々宮を連れ出し、遊びに出かけた。
そこを出ると、あたりはすっかり夜になっていた。
野々宮は、サチ子のいる酒場へ左門を案内した。
まことに奇妙な世界であった。
そこで働く女たちが、同じ母国の人であるということさえ、不思議な感覚だった。
室内は、すでに夢の中だ。
そこで語られる言葉も、夢の中の思考そのものだった。
「ここにひとつの真心が、毎晩のように僕を待っています」野々宮は左門に言った。
「真心というものは、お墓の下へ眠りに行く道連れにはなれても、人間の生き生きとした生活の対象にはなりかねるようですね。
真心と愛し合っても、人は楽しくないのです。
人を傷つけるものには、むしろ不思議な愛情があります。
真心の愛情は、温帯のようなものですね。
しかし人は傷つけられ、踏みにじられたとき、極地の愛情とその温かさを知るようです。
いわば、労わられるよりも、傷つけられることのほうが、ゆたかなのですね。
温帯的な愛情は、恐らく墓が象徴しているのでしょう。
睡眠と休息こそが、その愛情のしるしなのです。
生命のみなぎるこの国で、人が愛と呼べるものは、恐らくそれではあり得ないでしょう。
悪魔の心が極地の愛をあらわしています。
絶頂や、混乱や、慟哭や、呻吟こそが、その愛情のしるしなのです。
これは奇妙な言葉ではないはずです。
現代の人々にとって、ボードレールやポーの世界は、むしろ健康的なものなのですね。
そして真心が、むしろ不健康なものなのです。
僕自身にとってさえ。
毎晩僕は、真心のそばで、居眠りと放心に耽るためにここへ訪れてくるのです」
「ここへ来る男たちは」と左門はサチ子に尋ねた。
「酒を求めてくるのだろうか。
娯楽を求めてくるのだろうか。
それとも、真実のものを探し求めてくるのだろうか」
この場所で語られた言葉が、太陽の下の国では通用するとは思えないのに。
また、この場所で起きたことが、太陽の下の国でも続いていくとは思えないのに。
すべてが夢の妖しさであった。
ここで語られた数々の言葉。
しかし、この電灯の妖しい光のない場所で、それを継続させることは、すでに甚だ無理ではないか。
ここに働く女たちを見て、左門は切ない気持ちになるのだった。
この室内の外の国では、常に裏切りを受けるために生きている女たち。
左門は思った。
その無知さが、すでに可憐だと。
「この室内で結ばれた愛が、長く続くものでしょうか」左門はそれを尋ねずにはいられなかった。
「そして、ここに働くような女性たちは、やがてそれぞれ各々の、平々凡々な家庭生活に満足することができるものかね」
「水商売の女たちは、わりと諦めがいいのです」左門の一途な質問にびっくりして、サチ子が答えた。
「男がひとりでないことを知っていますから。
本気で恋をする気はないのです。
そのくせ恋が始まると、無理にでも本気になりたがるのでしょう。
だから、男を騙していながら、自分も騙されやすいのですわ」
「騙されて、わりと諦めやすいのかね」サチ子の言葉が、左門には、知らない国の扉を開くようだった。
彼は尋ねずにはいられなかった。
「騙されても、嘆くことは少ないのかね。
また、死ぬことは」
「諦める人も、嘆く人も、人と場合によっていろいろなんです」
そう言って、単純な魂を持つその女は、まるで被告人のような尋問に、すでに退屈しきっていた。
サチ子の言葉は、すでに投げやりなものだった。
「本当に男が好きだったら、騙されたっていいでしょう。
売り飛ばされたとしても。
好きなら諦めていられるほど、女の心は単純なものなんですもの」
左門は、ただ呆気にとられるのだった。なんてことを言うのだろう。
しかし左門は気づくのだ。この言葉は、左門もずっと前から知っているような、ありふれたものに過ぎないはずだと。それがこのサチ子という人によって語られるとき、はじめて足を踏み入れた新しい国のように新鮮に聞こえるのだ。
左門は思った。なるほど、語られた言葉の意味自体は、自分もとっくに知っていた。しかし今、まさにその言葉が生きる国に、自分は足を踏み入れているのだ、と。
「売り飛ばされても、諦めていられるなんて」左門は驚きを隠せなかった。「そんな真実が、私の心には信じられない。なによりも、あなた自身、そんな真実を本当に信じることができるのかね?」
「好きなら、仕方がないでしょう」サチ子はあくびをするみたいに答えた。
左門は、なぜか救われたような気持ちになった。それほどまでに思いつめることができるのなら、世間の冷たい罵りなど、なんのそのだろう。後悔することすらなかった人生の空しさに、老いてなお、いくばくかの嘆きを感じていた左門だった。
なるほど、傷つき、裏切られ、悲しみ、泣くことが、必ずしも人の不幸とは限らないはずなのだ。騙されて悔いも感じないような恋なら――文子よ。老いた父を捨てることを怖れるな。人の冷たい罵りも怖れるな。そして、負けるな。生き生きと、お前の道を最後まで生き抜くがいい。捨てられた左門の一生のごときものは、文子が生き生きと歩む新しい国の犠牲としては、あまりに小さすぎるものだろう。
文子よ。悔いて、おののくな。何ものをも、汝の足の下に踏みにじれ。
左門の目は、涙でいっぱいになってしまった。かわいそうな女。しかしまた、左門は新たな絶望を、感じずにはいられなかった。世間を知らない文子。自分の心すら、おそらく知りかねているであろう文子よ。世間を知り、男を知り、そして自分の立場を知っているサチ子の場合とは違うのだ。荒波に耐え、己の道を生き抜くことができるとは、むしろ奇跡のようなことだった。どうして敗れずにいられよう。踏みにじられ、傷つけられて、どうして滅びずにいられよう。
「私のような老いぼれが、時々ここへ遊びに来ても、あなたは我慢してくださるかね」と、左門は生き生きとサチ子に言った。彼にはサチ子がいじらしく思えた。
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