初級翻訳・塔上の奇術師 第2話

塔上の奇術師

その上にそそり立つ、とんがり帽子のような屋根のてっぺん。避雷針の鉄の柱の根元に、なにかがうごめいているのです。

「あらっ! 人間だわ。
どうして、あんな高いところへ登ったのでしょう」
「でも、まっ黒な羽根のようなものがヒラヒラしているわ。
人間かしら? なんだか大きなコウモリみたいよ」

スミ子ちゃんとトシ子ちゃんは口々にそう言って、じっと塔のてっぺんを見つめていました。
その怪しいものは、避雷針の鉄の柱をつかんでとんがり屋根を這い上がり、やがてその一番高いところで、スックと立ち上がりました。

巨大なコウモリです。
いや、コウモリのような人間です。
まっ黒なシャツを着て、幅の広い黒マントを羽織っています。
片手で鉄の柱を握り、もう片方の手を上げて、そのマントをヒラヒラさせているのです。
まるで、巨大なコウモリが羽ばたいているように見えます。
遠いので顔はよくわかりませんが、キツネの目のようにつり上がった黒メガネをかけています。
鼻の下には、黒い口ひげがピンとはねているようです。
そして頭には、黒いフサフサした髪の毛のあいだから、白い角が二本、ニョキッとはえているではありませんか……。

角のあるコウモリ男です。
あの古びた赤レンガの建物の中には、こんな恐ろしいコウモリ男が住んでいるのでしょうか。
三人ともしっかりした少女ですが、時計塔の上で羽ばたいている異様なコウモリ男を見ると、心の底からゾッとして震えずにはいられませんでした。

「早く帰りましょう。
あんなもの、見ちゃいけないわ。
ねえ、早く帰りましょうよ」
マユミさんが震える声で二人を促しました。
もちろん、スミ子ちゃんもトシ子ちゃんも、こんな気味の悪い場所にいる気はさらさらありません。

「帰りましょう」
「帰りましょう」
そうして三人は、急ぎ足で、先ほど通ってきた林の中へと引き返していくのでした。そのとき、はるか後ろの空から、
「け、け、け、け……」
 まるで怪鳥の鳴き声のような音が、かすかに聞こえてきました。あのこうもり男が、少女たちをあざ笑っていたのです。
「ワアッ、こわいッ……!」
 森下トシ子ちゃんが、もう我慢ができなくなって、悲鳴をあげました。そして三人は、なにか恐ろしいものに追いかけられているかのように、一目散に走りだしたのです。

宝石ばこ

 その日おうちに帰ると、スミ子ちゃんもトシ子ちゃんも、それぞれお父さんに時計塔のこうもり男の話をしました。しかし、そんな馬鹿なことがあるものかと、きっと避雷針の修理をしている電気屋さんか何かを、見間違えたのだろうと、取り合ってはくれませんでした。
 マユミさんも、明智探偵にその話をしました。明智探偵は、マユミさんが見間違いなどするはずはないと考え、すぐに友だちである警視庁の中村警部にこのことを知らせました。そこで翌日、中村警部は地元の警察署に時計屋敷を調べさせましたが、とくに怪しいこともなかったという報告が届きました。

 それから何事もなく、一月ほどが過ぎました。
 ある日のことです。淡谷スミ子ちゃんのお父さんである淡谷庄二郎さんは、ひとりの書生を連れて自動車で丸ノ内の三菱銀行へ行き、金庫から風呂敷に包まれた小さな箱を取り出して家に帰ってきました。それは非常に大事なものなので、いつも銀行の金庫に預けてあったのです。
 淡谷庄二郎さんは大きな会社の社長さんで、たいへんなお金持ちでしたが、たったひとつの道楽は宝石を集めることでした。いまでは何千万円という宝石を持っていますが、家に置いておくのは危ないので、三菱銀行の地下にある大きな金庫の中に預けてあるのです。
 今日は、ぜひ宝石を見せてほしいという二人の友だちが淡谷さんの家へ来ることになっていたので、わざわざ銀行へ取りに行ったのです。しかし、途中で盗まれては大変ですから、書生を連れて自分の自動車で宝石箱の包みを取り出してきたわけです。
 宝石を見たいというお客さんは、二人とも取引先の立派な会社の重役ですから、少しも心配はありません。晩にはご馳走をして、それから宝石を見せることになっていました。スミ子ちゃんも、お母さんと一緒にご馳走のテーブルにつくことになっていました。

 淡谷さんが宝石箱を持って自動車で帰ってからしばらくしたころ、スミ子ちゃんは近くの本屋さんへ本を受け取りに行き、帰ってきました。そして門をくぐって玄関のほうへ歩きながら、ふと屋根の上に目をやると、そこに恐ろしいものの姿が見えたのです。
 もう日が沈んで空は暗くなっていましたが、まだ真っ暗というわけではありませんから、屋根の上もぼんやりと見えます。その薄暗い二階の屋根のてっぺんに、黒いものがヌウッと立っていたのです。
 アッと思って立ち止まると、その怪しい姿はたちまち屋根の向こうに消えてしまいました。チラッと見ただけでしたが、スミ子ちゃんにはひと目でわかりました。それは一月ほど前、あの時計塔の屋根で黒いマントをヒラヒラさせていた、こうもり男とそっくりの姿だったではありませんか。
 屋根の向こうへ消えるときに、こうもりの羽根のようなマントがパッと翻るのが見えました。顔は暗くてよくわかりませんでしたが、黒い眼鏡をかけていたようですし、フサフサした髪の毛の間から二本の角が覗いていたように思われました。

 スミ子ちゃんは夢中で家の中に駆け込んで、お父さんやお母さんにそのことを知らせましたが、お父さんは、
「スミ子は本を読みすぎるんじゃないか。怖い小説なんか読んではいけないよ。ありもしない幻を見るようになるからね」
と言って、いっこうに本気にしてくださいませんでした。
「スミ子ちゃんは、このごろなんだかノイローゼ(神経衰弱)みたいね。顔色もよくないわ。あんまり本を読まないでね」
 お母さんも同じことをおっしゃるのです。

 まもなく二人の御客さまが見えて、食堂で晩ごはんが始まりました。スミ子ちゃんもそのテーブルにつきましたが、心配で心配で、美味しいご馳走も喉を通らないほどでした。
 晩ごはんが済むと、お客さまを洋室の書斎に通して、そこで宝石をお見せすることになりました。スミ子ちゃんも心配なものですから、お父さんのそばで、宝石箱が開かれるのをじっと見ていました。紫色のちりめんの風呂敷に包まれたものを取り出し、テーブルの上に置いてほどくと、中から四角い白ビロードの箱が現れました。
淡谷さんは鍵束を取り出し、その中から一本の鍵を選んでビロードの箱の錠を外し、ふたを開けました。
ビロードの箱の中には、さらにもう一つ、ピカピカと光る黄金の宝石箱が入っていました。
そして、それにもまた厳重に鍵がかけられているのです。
淡谷さんはその黄金の宝石箱を、まるで宝物でも扱うかのように両手でテーブルの上に取り出し、別の鍵を使ってふたを開けました。

「まあ、きれい!」

スミ子ちゃんは以前にも二、三度それを見たことがありましたが、見るたびに驚きの声を上げずにはいられませんでした。
黄金の宝石箱の中には黒いビロードの台座があり、そこに二十四個もの色とりどりの宝石がはめ込まれていたのです。

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