初級翻訳・海底の魔術師 第2話

江戸川 乱歩

機械でも動いているときは生きているのですから、それが死にたえたようにじっとしているのは、なんとなくぶきみなものです。
ふたりがそこへはいって、二、三歩あるいたときです。
じつにふしぎなことがおこりました。
死んでいる機械の一部分が、ゴトゴト動きだしたのです。
ふたりはギョッとして立ちすくみました。
沈没して一か月もたった機械が動きだすはずがないからです。
しかし、じっと見ていますと、機械の一部がたしかに動いているではありませんか。
そのうちに、機械の一部が機関をはなれて、スーッとこちらへただよってくるように見えました。
機械のおばけのようなものです。
ふたりの潜水夫は、鉄かぶとの中で「ワーッ」とさけんでにげだしました。
両手で水をかきながら、死にものぐるいでにげだしました。
そのとき、ふたりははっきりと、ばけものの姿を見たのです。
それは、なんともいえないおそろしいかっこうをしていました。
生きている機械でした。
いや、機械のような生きものでした。
そいつには頭があり、両手があり、それからワニのようなしっぽがありました。
それがみんな、機械のように鉄でできているらしいのです。
黒い鉄の頭は、人間の倍ほどもありました。
ちょうど潜水服の鉄かぶとと同じぐらいの大きさです。
その顔に、大きくなぼんだ目がふたつ、海底のうすやみの中でもギラギラ光っていました。
口は耳までさけていて、するどい牙(きば)がはえていました。
その怪物は、ふとい鉄の棒のような両手で「こちらへおいで」というような手まねきをしていましたが、その鉄のゆびのさきには、ワシのようなするどいツメがはえていました。
胴体もしっぽも鉄でできているらしく、背中からしっぽにかけて、鳥のトサカのような、動物のタテガミのような、とんがったギザギザのものがずっとつづいていました。
人間とワニとのあいの子で、しかもそのからだが鉄でできているという、なんともいえない、いやらしい怪物でした。
ふたりの潜水夫は生きたここちもなく、船倉のやぶれ穴から外へにげだすと、かぶとの中の電話で、
「たいヘんだ。「早く、引き上げてくれ!」
 潜水夫たちは、作業船に向かってそう叫びました。
 二人の潜水夫が船に引き上げられ、海底の怪物について報告すると、現場は大騒ぎになりました。翌日には海上自衛隊まで出動して海底の大捜索が始まりましたが、沈没船の中をいくら探しても、怪物は二度と姿を現しませんでした。
 結局、最後には「二人の潜水夫が、海の底で幻でも見たのだろう」ということになってしまいました。
 潜水夫たちは、
「あれが幻であってたまるか。俺たちは、そいつの姿をはっきりと見たんだ。二人そろって、同じ幻を見るなんてことがあるものか!」
 と必死に言い張りましたが、誰も信用してくれませんでした。
 二人は「それなら、俺たちがもう一度潜って調べてやる」と言って沈没船の中をくまなく探しましたが、二度と怪物に出会うことはできませんでした。

鉄の人魚

 ちょうどその頃、潜水作業が行われていた近くの海岸にある大戸村で、不思議なことが起こっていました。
 大戸村は漁師ばかりが住む寂しい村でしたが、その村の漁師の息子に、真田一郎という少年がいました。
 お父さんは発動機付きの漁船を持っていて、村一番の漁の名人でした。
 一郎君は近くの町の中学校の一年生で、将来はお父さんよりも立派な漁師になって、遠洋漁業をやりたいと願っていました。
 そのために、専門の学校へ入れてもらう約束もちゃんとできているのです。
 そういう少年ですから、海が何よりも大好きでした。
 泳ぎも上手で、四キロくらいなら平気で泳げましたし、休みの日にはお父さんの船に乗って、漁のお手伝いに出るのが一番の楽しみでした。
 船に乗れない日や泳げないときには、学校から帰ると、村はずれの高い岩山の上から太平洋を眺めるのが日課のようになっていました。
 たった一人で岩山のてっぺんに腰を下ろし、膝の上に頬杖をついて、じっといつまでも海を眺めているのです。
 はるか向こうのアメリカ大陸まで無限に広がっている広大な海、なんと伸び伸びとした美しい景色でしょう。
 同じ海でも、その美しさは時によってびっくりするほど違って見えます。
 まるで鏡のような静かな凪(なぎ)のとき、海一面が泡立って煮えたぎるような嵐のとき、朝日や夕日に真っ赤に彩られた海、満月の光で銀色に輝く海。その一つひとつが、みんな魂もとろけるほどに美しいのです。
 その夕方も、一郎君は学校から帰って急ぎの宿題を済ませると、家を駆け出して岩山に登り、てっぺんに腰を下ろして、懐かしい巨大なお母さんのような海をじっと見つめていました。
 しばらくすると、大空にたなびいている長い雲が黄色くなり、やがてだんだん赤くなって、まるで色ガラスのような真っ赤な色になりました。それが広い海にまで染まり、見渡す限りの水が絵の具を溶かしたように美しく輝くのでした。
 振り返ると、たらいのように大きな真っ赤な太陽が、今まさに後ろの山に隠れようとしています。
 その時でした。
 一郎君はふと岩山の下の波打ち際を見下ろしましたが、そこの岩の上に、なんだか黒い妙なものがうごめいているのを発見し、ハッとして目を凝らしました。
 二十メートルも下の海岸ですから細かいことは分かりませんが、今まで一度も見たことのない不思議なものが、そこの岩の上にうずくまっているのです。
「あっ、黒い人魚だ!」
 一郎君は思わず声を上げました。
 そのものは、魚のしっぽの上に人間の体がついているような形をしていました。
 体は真っ黒でゴツゴツしていますが、その形は何かで見た人魚とよく似ていました。
 絵の人魚はウロコのある魚のしっぽの上に美しい裸の女の人がいて、長い黒髪を後ろに垂らしているものですが、今目の下にいる人魚は真っ黒で、なんだか鉄でできているように四角ばって頑丈に見えるのです。
 また、魚のようなしっぽも、ウロコが銀色に光っているのではなく、ワニのように硬く厳めしいしっぽのようでした。
 一郎君は、人魚なんて実際には存在するはずがないと信じていました。
 その、この世にいないはずの人魚が、しかも鉄のように厳めしい人魚が、今目の下の岩の上で動いているのを見たのですから、自分の目を疑わないではいられません。
 頭がどうかしたのではないかと恐ろしくなってきました。
 しかし、一郎君は勇気のある少年でした。
 恐ろしいものを見たからといって、びっくりして逃げ帰るような弱虫ではありませんでした。逃げるどころか、反対に、もっと近くからあの怪物の姿をはっきりと見届けようと決心したのです。
一郎君は、裏道をつたって岩山を駆け下りると、海岸にあるトンネルのような岩の陰から、そっと怪物をのぞき込みました。
怪物が腰を下ろしている岩は、すぐ目の先十メートルほどのところにあります。
太陽はすっかり沈み、空はネズミ色に、海はどす黒くなっていました。
岩が並ぶ波打ち際には、白い波が激しく打ち寄せています。
そこの一つの岩の上に、黒い鉄のような生き物が、向こうを向いてじっとしていました。
十メートルの近さで見る怪物は、ぞっとするほど恐ろしい姿でした。

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