初級翻訳・塩原多助一代記 第13話

塩原多助一代記

五八や、五八! ここへ来い」

五八「何でしょう」

角右衛門「早くここへ出て来い。どこへ行った?」

五八「私は『人殺し!』なんて叫び声が聞こえて、怖くて仕方がないから、あっちに下がっているんですよ」

角右衛門「今この娘さんが身投げしようとして、止めても聞かないんだ。ここへ来て手伝って押さえてくれ」

そう言われて五八が出てきました。

五八「なんだ、身投げするって? やめなさいよ。やめたほうがいい。こんな狭い溝に入ったって、死ねるもんじゃないですよ」

角右衛門「なに、お母さんに申し訳ないから身投げするんだそうだ」

五八「やめとけって。死んじまったら命がなくなるんだから」

角右衛門「その通りだ。娘さん、私は田舎者だが、この火事で焼け出されて、あちこち逃げ回り、包みを背負ったまま泊まる場所もないので、こうしてうろうろしている身だ。だが、貴女が死のうとするのを見かけて、そのまま見捨てていくわけにはいかない。貴女の家まで一緒に送ってあげよう」

娘「ありがとうございます。でも、私も焼け出されて家はないのです。赤坂の火事で焼け出され、深川櫓下の親類のところへ行っていたのですが、今晩の火事でそこも焼けてしまい、行くあてはございません」

角右衛門「仕様がない、困ったものだな。どうにか探せば、なんとかなるかもしれないだろう」

五八「そうですよ、どうにか探せばなんとかなるかもしれませんよ」

角右衛門「私らも馬喰町から焼け出され、小網町から高橋の方へ逃げて泊まる場所もないが、とにかくここは道端だから、まあ一緒においでなさい」

五八「ここは道端だから、まあ一緒に来なさい」

角右衛門「なんだ、同じことばかり言っているな」

そうして三人は連れ立って「山の宿」という場所へ行き、「山形屋」と名のつく宿屋に泊まりました。そこで段々と娘から事情を聞くと、こう言いました。

「私は三田の『三角(みすみ)』という引手茶屋の娘で、お梅と申します。おかくと申す母と二人で、深川櫓下の親類宅にいたのですが、また火事に遭ってしまいました。逃げる途中で母親とはぐれてしまい、さっきの男に包みを奪われました。中には金子もあり、大切な櫛や簪(かんざし)、衣類も入っています。あれを奪われたことを母が聞いたら、どんなに謝っても許してはくれません。ですから、どうしても身を投げますので、どうか見逃してください」

娘はただそう繰り返すばかりなので、角右衛門も困り果てました。

角右衛門「困ったものだな。とにかく探してみましょう」

他にどうしようもないので、当てもないことではありましたが、三田の三角へ尋ねに行くことにしました。しかし、若い娘を一人置いていくのは、何か間違いがあってはいけないと思い、五八を付き添わせておきました。角右衛門は出かけていき、三角から深川のあたりまで三日間探し回りましたが、まったく手掛かりはありません。鼻の穴を煤で黒くし、埃だらけになって帰ってきたのでした。五八「お帰んなさい、旦那さん。何か手掛かりはつかめましたかね?」

角右衛門「いや、さっぱりだ。どうにも困ったことになった。……姉さん、まあここへお座りなさい。あんたも知っての通り、今日で三日の間ずっと探し回っているんだが、なにしろ一面の焼け野原で尋ねるあてもなく、番所へ行って聞いても何も分からない。誠に困ったことだが、こんなことを言ってあんたを不安にさせたくはないんだ。これほどの大火事だから、私ら田舎者が見ても分かる通り、手分けして探しても見つからないはずはないんだが。何しろこの大火だ。お母様も私と同じで五十の坂を越したご年配だし、それに女性のことだ。万が一、焼け跡で逃げ惑って転んだところへ人が押し寄せたりして……いや、そんなことは考えたくもないが、もしも焼け死んでいたとしたら、あんたを一体どこへ連れて行けばいいのか。それが心配でならないんだ」

娘「御親切にありがとうございます。私のお母さんは、もしかすると焼け死んでしまったのかもしれません。でも、もし本当に焼け死んでいるのなら、私の身体は自由の身になれるわけですから、かえって好都合でございます」

角右衛門「馬鹿なことを言うもんじゃない! まだ若いのに、お母さんに小言を言われるのが辛いからといって『焼け死ねばいい』だなんて、どんな理由があってもそんなことを口にしてはいけないよ」

娘「いえ、あの人は本当の母親ではないのです。嘘の母親なんです。しかも、心根が曲がった人で、悪いことばかりしている人なんです。私は幼い頃から育てていただいたので仕方なく付いて回っていますが、折あるごとに『妾になれ』だの、それが嫌なら『女郎屋に売る』だのと無理難題を押し付けてきます。それだけではありません。兄と呼んでいる男が一人いるのですが、私には義理の兄にあたるその男が、私のような者を捕まえては卑猥なことを言い寄ってくるのです。『たとえ義理でも兄弟の間にそんなことはできません』と突っぱねたら、私を憎むようになり、母親と二人して虐めるのです。四、五年前から逃げ出そうかとも思っていたのですが、行く当てもないので仕方なく悪党の親子のそばに食らいついていたのです。もし母親が火事で死んでしまったなら、どんなに辛い奉公でもして、私は今度こそ真っ当な人間になりたいと願っているのです」

角右衛門「そりゃあ大変なことだな。他に親類でも誰かいて、預けられる場所はないのかね?」

娘「私には、親も兄弟もいない身寄りのない子を助けて、幼い頃から育ててやったのだ、と母親が申しておりましたから、頼れるところなど何一つございません」

角右衛門「いくつくらいの時から育てられたんだ?」

娘「七歳のときから育てたのだと言っております」

角右衛門「でも、本当の親がいるんじゃないのか?」

娘「いるのでしょうが、どこにいるのかは私にはさっぱり分かりません」

角右衛門「こりゃ困ったな。実のお母さんの名前は何というんだ?」

娘「何という名前なのかも存じません」

角右衛門「それじゃあ探す手掛かりがないな。実のお父さんの名前も分からないか?」

娘「父の名前は、私が小さい頃に懐に抱かれて寝ていたとき、迷子にならないようにと口で教えられたことを、かすかに覚えています。本当か嘘かは知りませんが、『本郷春木町、味噌屋の裏にいる岸田宇之助の娘、おえい』と名乗れば迷子にならない、と教わったことが耳に残っているのです」

角右衛門「なんだって? 岸田宇之助の娘だと?……はてな。それなら、十三年前に保泉村の野原で賊にさらわれたという、岸田屋宇之助さんの娘、おえいさんか?」

娘「はい、そうです。なぜ貴方はご存じなのですか?」

角右衛門「これは驚いた! 五八、なんとまあ不思議なことだ!」

五八「本当ですね、驚きました。まさかおえいさん本人に出会うとは、不思議な縁ですね。そう考えると、今回の火事もまんざら悪いことばかりじゃなかったのかもしれませんね」

角右衛門「ああ。もう心配しなくていいぞ。あんたの実のお母さんは無事でいるから、必ず逢わせてやるからな」

娘「本当のお母さんに逢わせてくださるのですか?」

角右衛門「それにはいろいろと理由があるんだ。

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