初級翻訳・塩原多助一代記 第34話

塩原多助一代記

角右衛門「黙れ、早く行かぬか! 炭屋の下男に知り合いなどおらん。ぐずぐずしていると、障子越しに槍で突き殺すぞ!」

多助「はい、参ります。突き殺されては仕方ありません。ああ、ありがたい親心だ。本当はお父様だって会いたいけれど、義理堅い人だから、一度人に譲った子は我が子ではないと突き放しているのだ。堅物だから槍で殺すと言ったのだ。これからは槍で突き殺されたつもりで、死に物狂いで奉公します。どうぞご心配なく。寒くなりますからお体を大切に。私が立派になるまでお元気でいてください。さようなら」

多助は泣きながら門へ向かいました。門番に呼び止められ、泣き顔を怪しまれながらも、ようやく家へと帰っていくのでした。善右衛門「ああ、本当にお疲れさんだった。戸田様といえば七万八千石の大名だ、さぞかし立派な屋敷だったろう」

多助「あの屋敷へは、もう一生行くのはご免でございます。戸田様だけはもう勘弁してください。槍で突き殺すと言われましたから」

善右衛門「それは、お前がからかわれただけだろう」

多助「からかわれたのではございません。本当のことです。ですが、あの『槍で突き殺す』という言葉には、かえってありがたい親心を感じました。旦那様、槍で脇腹をグサリと刺される痛みは並大抵のものではございませんが、これからは常に槍で突かれているような気持ちで働けば、どんな苦しい奉公でもやり遂げられる気がいたします。ですから旦那様、私が常に槍で脇腹を突かれているものと思って、厳しくこき使ってください」

善右衛門「何を言っているのかさっぱり分からんよ」

多助「(心の中で)本当に感心なことだ」

こうして多助は、実の父親の厳しさの中にあった深い愛情をありがたく受け止めました。これより多助は命がけで山口屋での奉公に打ち込むようになります。さて、多助が金を貯めるための工夫を思いつくお話は、また次回にいたしましょう。

さて、物語は場面を変えて、沼田にある塩原の家での出来事です。屋敷内は大変な騒ぎとなっていました。馬が暴れ出し、丹三郎を噛み殺してしまった時には、名主の幸左衛門も、原丹治も、そしておかめも、何が何だか分からず慌てふためいていました。

これは決して馬が多助の恨みを晴らしたというわけではありません。馬は鼻先に光る刃物の輝きに驚いて暴れ出し、おえいを突き飛ばしたはずみに丹三郎を噛み殺すという、いわば天の悪しきいたずらによって、自然とそのような恐ろしい結果が引き起こされたのでした。

丹治は、我が可愛い息子を噛み殺されたことに逆上して庭へ飛び降りると、馬の脇腹へ刀を突き立ててグリグリと抉りました。さすがの猛馬もその場でバッタリと横倒しになり、その上に乗りかかって、丹治は力任せに無闇やたらに刀を突き刺しました。馬は悲しい声をあげて、ついに息絶えてしまいました。

その騒ぎの中、外から大勢の人の声が聞こえてきます。丹治も事態を悟り、こう言いました。

丹治「おかめ、もうこの家に留まっているわけにはいかない。特に、悪事の証拠となる艶書を太左衛門に持ち出されてしまったからには、必ず役所へ訴え出るに違いない。そうなれば逃げることもできなくなる。今のうちに身を隠さなければ」

おかめ「それなら旦那様、お邪魔でしょうけれど、私も一緒に連れて行ってくださいませ」

丹治「とにかく急いで逃げる支度をしろ」

そう命じましたが、差し当たり二人の死骸をどうするべきか困り果て、藁小屋の中に遺体を押し込みました。手元にあった着替えの衣類や百五六十両の金をかき集めて逃げる準備をしている間にも、門前には百姓たちが黒山のように押し寄せ、「名主も原親父も出てこい! 打ち殺してしまえ!」と大声で罵り立てていました。

表へ出ることもできない丹治とおかめは、一計を案じて藁小屋に火を放ちました。藁の小屋ですからすぐに燃え広がり、屋根裏を伝って母屋にまで火が移りました。炎が激しく燃え上がると、火事に慣れていない百姓たちは大パニックになり、丹治を追いかけるどころではなく、火を消すことに必死になりました。その騒ぎに紛れて、丹治とおかめの二人は生垣を破って逃げ出しました。

名主も逃げ場を失い、ようやくの思いで生垣を破って逃げ出そうとしたところ、普段から村人たちに憎まれていたため、百姓たちは手に手に鋤や鍬を握りしめ、「名主を殺せ!」と叫びながら、無茶苦茶に打ち殺してしまいました。

この事件はすぐに領主の耳にも入り、太左衛門が罷り出て立派に経緯を説明したことで、原丹治親子の悪事やおかめの不届きな行いが明るみに出ました。塩原の家は火事で焼失してしまい、一連の騒動はひとまずの結末を迎えました。太左衛門は塩原角右衛門の位牌を引き取り、線香の煙が絶えないようにと丁重に弔いました。

一方、逃げ出した丹治とおかめは、おえいと丹三郎の死骸を藁屋に残して火葬にした形となりましたが、茅葺き屋根の家だったために火は瞬く間に燃え広がり、母屋まで残らず焼き尽くしました。

その混乱に乗じて、丹治はおかめの手を取って須川へ出ると、大戸村、岩本村へと抜け、蛇平の方へ向かいました。そこは上州吾妻郡の「四万の山口」へ抜けるための間道で、猟師や木こりしか通らないような険しい道です。しかし、二人は捕まる恐怖から山中の険しさも顧みず、足の弱いおかめを連れて、ようやくの思いで山口へと辿り着きました。

この辺りをご存知の方には説明するまでもない温泉場ですが、大久保先生が分析されたところによると、上州一の効能を持つ温泉だそうです。二人はそこで田村という家に宿を取り、身を隠して暮らしていましたが、九月の末になるとチラチラと雪が降り始めました。

この辺りは翌年の三月頃まで雪が溶けず、その間は往来もできません。二人はそれを幸いと隠れ家にしていたのですが、因果なことに、その隠れ住む間に、おかめが子供を身ごもったのでした。三十九歳になってから子供を授かるとは、これも因果なものでしょうか。原丹治は困り果てましたが、まあ、盗んできた金がたっぷりありますから、贅沢な暮らしをして田村の家に厄介になっていたところ、翌年の九月二十九日に男の子が生まれました。四万太郎(しまんたろう)と名付けましたが、おかめは産後の回復が思わしくありません。ようやく十一月になって体調が戻ると、「こんな山の中にいつまでも居られるわけではありませんし、私たちが追われているという噂もほとんど消えたようですから、故郷が恋しいという言葉通り、二人で江戸へ出てどんな暮らしでもしようではありませんか。懐には金もあることですし」と、十一月五日にそこを出立することにしました。この日は少し空模様が悪かったのですが、中之条から村上村へ出て、男子山(おのこやま)の麓を通り、男子村という恐ろしい六里余りの道を越え、横堀という場所へ登ってくると、雪がちらつき始めました。

南の方には赤城山が一面に見え、後ろには男子山、子持山がそびえています。北に向かえば草津から四万の筆山、吾妻山、そして一面の榛名山へと続く難所です。

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