イオ
グラント・カルソープがわめき散らした。
「まぬけ、たわけ、ばか、あほう!」
もっとひどい言葉がないかと頭をひねったが思いつかない。あまりの怒りに、彼は地面に山と積まれていた草の束を、思いっきり蹴り飛ばした。
実は、蹴り方が強すぎたのだ。
彼はまたしても忘れていた。イオの重力は、地球のたった3分の1しかないということを。
蹴った反動で、グラントの体はふわっと浮き上がり、4メートルもの長い弧を描いて飛んでいった。
ようやく地面に着地すると、目の前には4匹の「べらぼう」たちがニタニタと笑って立っていた。
彼らの顔は、子供のお祭りで売っている風船のマンガほど大きくはないけれど、それでも顔が左右にゆらゆらと揺れている。首は長さ1・5メートルもあり、細さはグラントの手首くらいしかない。
グラントはすっくと立ち上がると、怒りを爆発させた。
「行け、失せろ、出てけ、去れ! チョコレートはやらん、飴もやらんぞ。俺が欲しいのは強心草なんだ。お前らが持ってきた草じゃない。消えろ!」
べらぼうたちは、学名で『ルナエ・ジョビス・マグニカピテス』――つまり「木星の月のでか頭」と呼ばれる連中だ。彼らは後ずさりしながら、バツが悪そうにニタニタと笑っている。
どうやら彼らには、グラントが完全に馬鹿に見えているらしい。なぜ彼が怒っているのかもさっぱり理解できないようだ。ただ、飴がもらえないことだけは分かったらしく、ひどくがっかりした表情を見せた。
あまりの落胆ぶりに、べらぼうたちの親分は青白い不細工な顔でグラントを馬鹿笑いすると、一声荒々しく叫び、そのまま近くの光る石の木に頭を打ちつけてしまった。
仲間たちが、死んだ親分を無造作に拾い上げて去っていく姿は、まるで首を鎖でつないだ囚人たちが引きずられているように見えた。
グラントは額の汗をぬぐい、ふらふらと石の木で作った小屋へ向かった。
そのとき、ギラギラと光る小さな赤い目が二つ、目に留まった。
スリネズミだ。学名を『ムス・サピエンス』という。15センチほどの体が敷居を飛び越えていく。骨と皮ばかりの小さな腕は、まるで体温計のように細い。
グラントは怒ってその生き物を大声で叱りつけ、石をつかんで投げたが、惜しくも外れた。
スリネズミは茂みの端っこで、人間のような鼠の顔をグラントに向けた。何かわけのわからないことをチューチューと小声でつぶやくと、小さなこぶしを握りしめ、人間のように激しく怒って、コウモリのような皮膜をひらひらと羽ばたかせて消えていった。
まるで、黒いマントを羽織ったネズミのようだった。
石を投げるなんて、余計なことをしてしまった。あの小悪魔は、もう決してグラントを許さないだろう。小ざかしい知恵と小さな体で、これから残酷に悩ませてくるに違いない。
だが、スリネズミの仕返しも、べらぼうの自殺も、今さらどうってことはない。どちらもよくある光景だからだ。
それよりも、グラントは「白熱病」にかかったかのように頭がガンガンと痛んでいた。
掘立小屋に入って扉を閉めると、ペットのバカ猫を見下ろして怒鳴りつけた。
「オリバー、お前はいいやつだが、なんでスリネズミを見張らんのだ。何のためにここにいるんだ!」
バカ猫は力強い1本の後足で立ち上がると、2本の前足でグラントの両膝を引っ掻きながら、のんびりとこう答えた。
「黒のクイーンに赤のジャック。べらぼう10人で、バカがひとり」
その言葉の意味は簡単だ。最初のは、前にやったトランプのソリティアのマネ。2番目は、昨日べらぼうたちと打ち合わせた内容だ。
グラントはうわごとを口走りながら、痛む頭を抱えた。また白熱病だ、間違いない。
気付け薬を2錠飲みこんで、寝台の端にだるそうに腰かける。このまま白熱病のせいで意識を失ってしまうのではないかと不安になった。
木星の衛星イオなんていう、人が住める場所でこんな仕事に就いた自分の愚かさを呪う。このちっぽけな世界は、どこか狂っている。強心草が栽培できること以外、何一つ良いところがない。
地球の化学者たちは、この草から強力なアルカロイドを大量生産する。かつてはアヘンから作られていたものだ。医療にはとても貴重なものだが、そんなことがグラントに何の得になるというのか。
イオの赤道地域で1年を過ごして地球へ帰ったところで、頭がすっかりイカれてしまった俺に、高給なんて何の意味がある。
「来月、ジュノポリスから強心草を回収しに飛行機が来たら、それに乗って極都市まで帰るぞ」
彼は毒づいた。たとえニーラン製薬会社との契約がまだ1年残っていて、契約違反で報酬がもらえなくなったとしても、だ。
お金が何になるというのだろう。
このちっぽけな衛星は、何もかもが変だ。べらぼうも、バカ猫も、スリネズミも、そしてグラント・カルソープ自身も、みんなおかしい。
少なくとも、北極のジュノポリスと南極のヘラポリス、その2つの都市の外にいる者はみんな変人だ。極都市にいれば白熱病にはかからないが、緯度20度以内の場所はどこも、地球のカンボジアの密林よりずっとひどい場所だった。
グラントは地球のことを夢想して、気を紛らわせようとした。ほんの2年前まで、彼は地球で金持ちの有名な「猟人」として知られ、幸せだったのだ。
本当にそうだった。21歳になるまでに、タイタンで鷹刃(たかば)や線虫を狩り、金星では3つ目や1本足の怪獣を仕留めてきた。
しかし、2110年に起きた金恐慌で、グラントは一文無しになってしまったのだ。そして、まあ働くとしたら、生計を立てる手段として、これまでの惑星間での経験を活かすのが一番まともな選択に思われた。
実際、熱心に売り込んで、ニーラン製薬会社と契約を結ぶことに成功した。
それまでイオに来たことは一度もなかった。
この荒々しい小世界は、猟人(ハンター)にとって天国とはほど遠い場所だ。
馬鹿な「べらぼう」たちがうろつき、知能が高くて邪悪な小型のスリネズミが暗躍している。
強心草を収穫する以外に何の価値もないこの小さな衛星は、巨大な木星から吹き付ける熱風にさらされ、木星からわずか40万キロの距離に位置している。
もし一度でもこの星に来たことがあれば、こんな仕事なんて引き受けなかっただろうに、とグラントは惨めな気持ちで自問した。
彼は勝手に、イオもタイタンのように低温で、害のない場所だと想像していたのだ。
だが現実は違った。イオは赤熱する木星のせいで金星の熱帯地域と同じくらい暑く、しかも色々な種類の蒸し暑い光に6回もさらされる。
太陽光、木星光、木星と太陽が合わさった光、エウロパからの反射光、そして時折訪れる陰鬱な暗夜。
これらすべてが、イオの42時間周期の自転の中で繰り返される。
あまりにも日光が目まぐるしく変化する、狂気じみたサイクルだ。
くらくらする昼間、密林、掘立小屋の背後にそびえる馬鹿げた丘……そのすべてが憎らしくてたまらない。
今は木星と太陽の両方が照りつける昼間で、あらゆる時間帯の中で最悪だった。遠くの太陽が木星にさらなる熱を加え、気温を押し上げているからだ。
そして今、グラントの不快感にとどめを刺すように、白熱病の前兆が襲ってきた。
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