初級翻訳・夕映えのむこうの国 第5話

キングスフォード アンナ

とうとう旅人は、できたてほやほやの町に辿り着きました。家々は全て初期イギリス様式で、住民は皆古代ギリシャ風に装っており、ルネサンスか、もしかするとゴシック様式の作法に則っていました。詩人は「ゴシックだな」と考え、恐らくそれで正解だったのでしょう。この町では、会話と言えば芸術談義で、沢山のすてきな物事に関して「甘さと軽妙さ」が話題になっていたのです。

皆が皆、自分はひとかどの芸術家であると主張していました。画家、音楽家、小説家、劇作家、詩人、朗読家、歌手、その他諸々と。グラティア(美の女神たち)やムーサ(芸術の女神たち)に奉仕しているようでいて、その実、彼らが崇拝していたのはパルナッソスの神々のイメージに過ぎなかったのです。と申しますのも、この小綺麗な町の外れでは残酷な虐待が行われていたのに、自称詩人たちは誰一人としてなんとかしようと声を上げなかったからです。

毎朝、太陽が顔を出す前に、あちこちの街路の上を延々と、柔和な眼をした雄牛やめそめそ泣く仔羊が、荒くれた家畜商人の叫びと笛に追われながら悲しく行進して――恐ろしいこの行進の先では、何の罪も無い生き物たちが斧やナイフで殺され、美食の信奉者たちの「甘さと軽妙さ」に必要な「卓上の愉悦」のために供されていたのです。

美しい朝ぼらけの前、東の空の家々の屋根の上にバラが咲き初める時、あちらこちらから重々しい斧の音が聞こえます。辛抱強い若い雌牛の膝を切り落としているのです――子どもを産んだことのないこれらの雌牛の目は、ヘーラーの目のようでした。この文化と芸術の町では、ヘーラーが残した古代ギリシャの歌の本が読まれない日、引用されない日は一日たりともありませんでしたのに。

しばらくして町の脇道を行ってみれば、鮮血がドブを流れ下るのを見ることができるでしょう。そして、血塗れの皮を積んだ荷車や、脳と血で一杯のバケツの群れが工場となめし革製作所に向かう姿を見ることができるはずです。若者たちは一日中屠殺場にいて、暴力的な死を振りまき、家畜の上に落ちる悲劇を目撃し、引っ切りなしに起こる哀れを誘う叫びを耳にして、血糊や湯気を上げる血だまりの上をぐちゃぐちゃと歩き回り、それらの臭いを吸って過ごすのです。

このむかつくような低俗な光景や音や臭いからわずか二キロメートルも離れていない所では、レースや宝石で飾られた潔癖性で上品な紳士淑女たちが、「フォアグラのアスピック」や「カツレツの温野菜添え」への感傷を語っている姿を見いだせるでしょう。あるいは死肉を指す別の、遠回しな言い方を使って。
そうしたものの正体を、ありのままの言葉で呼ぶことは、この町の「良家」の人々には許されないことでした。
詩人がこうした人々に真実を突きつけ、自分たちの習慣のせいでどれほど日常的に、同胞たちに道徳に反する行為を押し付けているかを説いたとき――つまり、彼らの目の前で屠殺場の光景をありありと描き出し、そこから生まれる苦痛と残酷さを余すところなく伝えたとき、彼らは耳を塞いで叫びました。「なんとひどい野人だ! あまりに下品で、洗練された社会には相応しくない!」
それは、彼らの言う「洗練」というのが上っ面だけの飾りにすぎず、内面の深さなど微塵も気にしていなかったからです。
存在そのものの美については――彼らにはそれを願う心も、崇敬する能力もなく、ひたすら美の形式や言葉、外見だけに熱中して終わっていました。
この人々の中では、感覚は刺激されても、心情や理性が活発に働くことはありませんでした。
ですから、彼らにあったのは社会を良くしようとする精神ではなく、ただの道楽者の精神だけだったのです。
詩人は、こうした人々のありさまに嘆き、怒りました。
真の詩人は、誰もが改革者だからです。
そこで詩人は公共の広場に乗り込み、声を大にして町の住人たちを叱責しました。
ところが、集まってきたのは物好きな好事家たちか、できるだけ苦労せずに利益を得たいという怠け者ばかりでした。
彼らもまた、「この男なら、もしかすると自分の望みを叶えてくれるかもしれない」という下心があっただけで、他の住民ときたら、話など聞こうともしませんでした。
彼らが群れをなして押し寄せる先は、手品師や、青磁について講演する者、あるいは古めかしい戯曲の難解なテキストを延々と講釈する者たちだったのです。
思うに、いつも懐中に忍ばせていたあの美しい鳥の、甘く優しい歌がなければ、失意の詩人は意気消沈して立ち直れなかったに違いありません。
その歌の内容は詳らかではありませんが、それは智慧の到来を確約し、完全なる日が近いことを告げるもので、地上のあらゆる国にとっての希望そのものでした。
なぜなら、人間が抱きうる美しく賢明な思想はすべて人類全体の遺産であり、いつの日か全人類が、犯すべからざる真実として共有するものへの兆しであり保証であるからです。
そして詩人とは、人間性という名の軍隊の前衛であり、まだ見ぬ情景を、義務と権利の山々を誰よりも先に見出し、宣言する存在なのです。
進軍と共に地平線の上に次々と現れる新たな地点を、新たな展望を。
今日、詩人が歌うソネットは、明日には議会でのスピーチの基調として花開き、昨日歌われていた詩は、今日の選挙演説や説教や市場で語られる散文の種となるのですから。
ああ、詩人よ。汝は何ゆえに世界を憂うのか。
避け難き未来を語り、自ら御神の預言にして契約たる詩人よ、汝が語る言葉は、いつの日か全人類がたどり着くべき未来なのだ! 汝、歌を歌え。全身全霊を込めて汝の幻を語るがいい。
たとえ今日、汝の言葉に耳を傾ける者がいなくとも、語られた言葉が失われることはないのだから。
真実の思想はすべて生きています。
そこには御神の精神が宿っているのだから、時が来ればそれは蘇り、また芽吹くのです。
汝、思想の人よ、汝こそが創造者であり、時代の開拓者なのです!

美しい鳥が歌ったのは、そんなことでした。
詩人はその歌に宥められ、励まされ、啓示の言葉を力強く語り続けました。
その声を聞こうとする者はほとんどおらず、多くの者たちから嘲笑され、時には散々になじり倒されることもありました。
それでも詩人は、語るべき真実を正しく伝えることにのみ心を砕き、できるだけ完全で、賢明で、価値のあるものにしようと努めました。
意見の表明を終えると、詩人は町の門を出て、再びひとりぼっちで荒れ野と森を巡る旅へと出ました。
しかし、今や大地には冬が訪れ、荒野は陰鬱で、雪に覆われた木々が青白い幽霊のように突っ立っていました。
北風が吹きさらしの田舎道で嘆き声を上げ、旅人はますます寒さに震え、弱っていったのです。
詩人は鳥に語りかけました。
「鳥よ、私と仲間たちが『夕映えのむこうの国』から旅立ったとき、王女は私たち一人ひとりに案内人を付けると約束したね。私たちがきちんと警告に耳を傾けていれば、安全に連れ帰ってくれるという案内人を。では、その案内人はどこにいるのだろう? ここまで一人ぼっちで歩いてきて、そんな案内人を見たことがないよ」

鳥は答えました。
「おお、詩人よ。汝が懐中に帯びてきた吾こそが、案内人にして監視者なのだ! 吾は汝の指導者、汝の天使、汝の内奥の光である。

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