火星後編
エアリーズ探検隊のハリソン隊長が、ロケットの先端についている小さな望遠鏡から、ふうっと目を離しました。
「あと長くて2週間だ。火星が地球から遠ざかっていくのは、ほんの70日間しかない。この期間に飛び立たないと、また1年半も待つことになるんだぞ。母なる地球が太陽をぐるっと回って、再び我々を捕まえてくれるまでな。おい、きみはここで凍えるような冬を過ごしたいか?」
探検隊の化学者であるディック・ジャービスが、書類から顔を上げ、ぶるっと身震いをしました。
「ごめんです。液体空気のタンクの中にいたほうがまだマシですよ。マイナス60度にもなる夜なんて、もうたくさんです」
隊長はつぶやきました。
「そうだな。初の火星探検を成功させるには、その前に出発しなきゃならん」
「帰還できれば、の話ですけどね。あんなおんぼろロケット、信用できませんよ。先週だって、予備機でスーリ砂漠の真ん中に放り出されたばかりだ。ロケットから歩いて帰ってくるなんて、なかなか新鮮な体験でしたけどね」
「それを思い出して言ったんだ。フィルムを回収してこないといけない。赤い火星から持ち帰るフィルムは、何より重要だからな。覚えてるだろ? 最初の月面写真に、世間のやつらがどれだけ群がったか。我々の写真だって、きっと大騒ぎになる。放送権だって売れる。科学委員会に利益を見せつければ、これからの活動も楽になるはずだ」
「私が興味あるのは、自分自身の儲けですよ。たとえば本ですね。探検記はいつも人気がある。『火星のデザート』なんてどうです? いいタイトルでしょう」
「ダサいな。料理本みたいだ。『火星の愛欲生活』とか、そんな刺激的なやつのほうが売れるぞ」
ジャービスは苦笑いしました。
「とにかく、地球に帰ったらガッポリ儲けさせてもらいますよ。二度とこんなところへ来るもんか。成層圏で飛んでいるほうがずっといい。地球という星に感謝しなきゃ。この乾ききった大地で苦労するなんて、もうこりごりだ」
「賭けてもいいが、おまえは再来年、またここに戻ってくるはずだ。友達に会いたいだろう? あのいたずら好きなダチョウにな」
隊長がニヤリと笑いました。
「トウィールのことですね? あのとき、見失いたくなかったな。本当にいい奴だった。あいつがいなかったら、夢怪獣のところから生還なんてできなかったでしょう。手押車のような生物との戦いもね。ちゃんとお礼を言う暇もなかったけれど」
「全くだ、あほな二人組だよ」
ハリソン隊長が目を細めて舷窓の外を見つめました。そこには、灰色の陰気なシンメリウム海が広がっています。
隊長は一息ついて言いました。
「太陽が昇るぞ。いいかジャービス、おまえとリロイで予備ロケットに乗り、フィルムを回収してこい」
「私とリロイですか? なぜプッツじゃないんです? 技術屋のプッツなら、ロケットが壊れても何とかして戻ってこられますよ」
隊長は船尾の方をあごでしゃくりました。そこからは、ガンガンと何かを叩く音や、荒々しい怒鳴り声が聞こえてきます。
「プッツはエアリーズ宇宙船の点検で手一杯なんだ。出発までに全ボルトをチェックしておかないと間に合わん。出航してから修理するんじゃ遅すぎるからな」
「もしリロイと私が墜落したらどうするんです? 予備機はあれが最後ですよ」
隊長は笑いながら、ぶっきらぼうに言いました。
「別なダチョウでも捕まえて、歩いて帰ってこい。トラブったら、このエアリーズ宇宙船で迎えに行ってやる。あのフィルムは重要なんだ。おい、リロイはどこだ?」
小柄で小粋な生物学者、リロイが現れました。不思議そうな顔をしています。
「君とジャービスで備品回収に行ってくれ。準備は万端だ、すぐに出発してくれ。半時間ごとに連絡を寄越せ。ちゃんと聞いているからな」
リロイの目がキラリと輝きました。
「着陸して標本採集をしてもいいですか?」
「お望みなら好きにしろ。このあたりの火星は、どうやら安全らしい」
ジャービスは少し震え、顔をしかめてつぶやきました。
「夢怪獣は別格ですけどね。まあ、あの道を行けば、トウィールの住処があるはずです。あいつなら、きっと近くに住んでいるに違いない。火星で出会った中で、一番大切な生物ですから」
ハリソン隊長は少し迷いましたが、言いました。
「トラブルに巻き込まれないなら許可する。見てこい。予備機には食料と水が積んである。2、3日は食いつなげるはずだ。だが、必ず連絡を入れろよ、おまえたち」
ジャービスとリロイはエアロックを通り、灰色の平原に出ました。薄い空気は朝日で少しだけ暖まっていましたが、それでも針のように肌や肺を刺し、二人は窒息しそうにあえぎました。一度座り込んで、体が薄い空気に慣れるのを待ちます。地上で何ヶ月もかけて訓練してきたことではありますが、リロイの顔は窒息のせいで青白く変わっています。ジャービスは自分の息がゼイゼイと鳴るのを聞いていました。しかし5分もすると不快感は消え、二人は立ち上がって小型予備ロケットに乗り込みました。それはエアリーズ宇宙船の黒い船体のわきに駐機してありました。
下向きのジェットから原子力噴射が轟音とともに放たれます。泥や小石の塊が砕け散り、ロケットの上昇とともに雲の中へと舞い上がりました。ハリソン隊長は、噴射の煙が南へ消えていくのを確認すると、自分の仕事に戻りました。
それから4日が経ち、ロケットが再び姿を現しました。ちょうど夕刻、太陽が水平線に沈み、急に明かりが海に落ちて暗くなったときのことです。予備機が南の空からパッと現れ、激しく噴き出すジェットに支えられながら、ふんわりと地上に降り立ちました。ジャービスとリロイがロケットから出てきて、あっという間に暗くなった闇の中、エアリーズ宇宙船の明かりに向かって歩き出しました。隊長は、戻ってきた二人の姿をじっと見つめました。ジャービスの服はぼろぼろで擦り切れていましたが、見た目はリロイよりはいくぶんマシでした。一方のリロイは、いつもの小粋な雰囲気を完全に失くしていました。小柄な生物学者であるリロイの顔は、夕空に浮かぶ月のように青白くなっていたのです。片腕は布で包帯が巻かれ、服はまさにぼろきれ同然でした。
しかし、ハリソン隊長が何よりも奇妙に思ったのは、リロイの目つきでした。小柄なフランス人と、辟易するような日々を何日も共に過ごしてきた隊長にとって、今の彼の様子はどうにも変でした。二人はひどく怯えていたのです。これはおかしい。リロイは決して臆病な男ではないからです。そうでなければ、科学委員会が第1次火星探検のメンバー4人の一人として彼を選ぶはずがありません。しかし、彼らの目に見える恐怖は、どんな表情よりも明白でした。どこか変に目が据わっており、夢を見ているのか現実なのか、恍惚とした人のような目をしていたのです。
「天国と地獄をいっぺんに見てきたようだな」
ハリソン隊長がつぶやきました。
彼が言ったことは、後に正しいと証明されることになります。隊長は無愛想を装いました。弱りきった二人が座り込んだとき、野太い声でこう出迎えたのです。
「二人とも、素晴らしい格好だな。なんだかふらついてるが、どういうことだ。
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