ねえ、健ちゃんは今、目が見えなかったでしょう。お母さんが目隠しをしたからね。でも、目隠しをしなくても目が見えなくなったら、健ちゃんどうする?」
「そんなの、嫌だ!」
健ちゃんは目を激しくしばたたかせながら、しみじみとした様子でお母さんの顔を見上げました。
「健ちゃん、キャラメルをあげるって言っても見えないんだよ、ほら健ちゃん、おもちゃをあげるって言っても見えないんだよ。どんなおもちゃなのかもわからないの。健ちゃん、ごはんを食べようかってお茶碗を出されてもお茶碗が見えないの。忠ちゃんや実ちゃんが、『健ちゃん、遊ぼうかあ』って遊びにきても、その顔が見えないんだよ。あの山も見えないの。」
お母さんは観音山を指さしました。
健ちゃんもそれに釣られて振り返りました。
山の頂きの近くを、白い雲がゆっくりと流れていました。
「――それから、ほら、桟橋に汽船が来ても見に行けないんだよ。ものすごく大きな軍艦がいつだったか来たでしょう、ほら、沖で夜に電気をいっぱいつけて、たくさんたくさん並んでいたでしょう。あんなすごいものが来ても、健ちゃんには見えないの。――健ちゃんが道を歩いていて、恐ろしい恐ろしい、角の生えた大きな牛が猛スピードで走ってきても、健ちゃんは目が見えないから、角で突かれてしまうんだよ。血が出ちゃうんだぞ。恐ろしいよねえ。もし健ちゃんが目が見えなかったらどうする? 健ちゃん、目が見えないのと見えるの、どっちがいい?」
「悪い! 牛に突かれたら痛いもん!」
健ちゃんは右の人さし指で自分のおでこをツンと突き、まるで本当に牛に突かれたかのような痛そうな顔をしました。
お母さんもいっしょになって痛そうな顔をしました。
そして、
「痛いとも! 牛に突かれたら痛いんだよ!――そんなの、健ちゃんは目が見えないの好き? それとも嫌い?」
「嫌い!」
健ちゃんは眉を寄せ、顔をしかめて、きっぱりと答えました。
「嫌いだよねえ、目が見えないなんて本当にかわいそうだからねえ……。」お母さんは健ちゃんにうなずきながら、たもとからハンカチを取り出し、かわるがわる自分の目をおさえました。
「なあ健ちゃん、健ちゃんはお目めが見えて本当によかったねえ。
克ちゃんはお目めが見えないから、お母さんの顔も、健ちゃんの顔も見えないの。
克ちゃん、本当にかわいそうだなあ。」
「ん、ほんなら克ちゃん、牛に突かれるん?」
「そうよ。だからね、神戸に行くんだよ。神戸のお医者さんが痛い痛い目薬をさしてくれたら、お目めが見えるようになるんだ。健ちゃんはお目めが見えるから、目薬をさしに行かなくてもいいの。
克ちゃんは早く行って目薬をさして来ないと本当にかわいそうだからね、ねえ。」
お母さんはまた目を手でおさえ、そしてむせぶようなせきをして、鼻をかみました。
その普段とは違う様子を、健ちゃんはなんだか気味の悪いものを見るような目で眺めました。
「お母さん、健ちゃん、ほんならおばあちゃんのお家で待っとろか?
――おばあちゃん家の太郎さんと、秀子ちゃんと遊んで待っとろか?
――浜で遊んで待っとろか、よう。」
「…………」
「お母さん、健ちゃん泣かんと待っとるよ。
ねえお母さん、また今度、健ちゃんがめくらになったら神戸に行くんでしょう?
だから健ちゃん、おばあちゃんのお家で待っとる。
――克ちゃんにキャラメルをあげようね。」
健ちゃんは顔からハンカチを離さないお母さんの膝をそっとすべり降り、寝かされても泣きもせず、いつの間にか眠っている克子ちゃんに顔を近づけていきました。
「克ちゃんよ、お兄ちゃんがキャラメルをあげるぞ。
二つあげるぞ、ほら、ほら、紙を取ってあげようか。克ちゃんはいい子だなあ。」
二
南を向いた小さな入り江にそって、村道が海と陸との境になって東西へとのび、段々畑の連なった広い丘を背負って四、五十軒の家が海に向かって並んでいます。
健ちゃんのおばあちゃん家はこの村の真ん中あたりにあり、切手やはがきなどを売っていました。
門のそばの板壁には、赤い四角い郵便箱がかかっています。
毎日お昼過ぎごろになると、郵便屋さんがその箱を開けに来ました。
健ちゃんがおばあちゃんのお家に来てから、もうかれこれ一月(ひとつき)になります。
健ちゃんはお母さんの手紙を持ってきてくれる郵便屋さんが大好きで、今日もその姿を見ると、一人で縁側に寝転んで絵本を見ていたのが急に起き上がり、かけだしていきました。
郵便屋さんは大きな鍵をガチャガチャさせて、箱の横腹を開けました。
郵便箱の口がちょうど健ちゃんの目の上の高さなので、背伸びをすると箱の中がよく見えます。
いつも手紙やはがきが重なり合っていました。
「郵便さん、健ちゃんに手紙来とるか?」
健ちゃんはきまってそう聞くのでした。
「来とらんがいの。」
「ほうよ、そんなにたくさん、みんなよその手紙か?」
「はあ、よその手紙じゃ。」
郵便さんは健ちゃんの話し方をまねて答え、箱の中からつかみ出した手紙やはがきを手のひらの上でそろえて黒いかばんの中にしまい、箱の中に細い紐で結んでぶら下がっているハンコを帳面に押して、ぱたんと蓋を閉めました。
「さよなら、健ちゃん。」
郵便さんは自転車に乗って走っていきました。
だんだん遠ざかる黒い後ろ姿が村はずれの藪のかげに隠れて見えなくなると、健ちゃんはくるりと左を向きました。
道路に向かって開け放された門までの間を、つま先に踵(かかと)をつけて小刻みに足を交差させました。
今朝おろしたての、鼻緒に赤い紙をよりこんである藁草履(わらぞうり)がうれしかったのです。
鬼ごっこするもん、よう、来い!
鬼ごっこするもん、よう、来い!
裏の荒神様(こうじんさま)の森で、仲間を呼び集める子供たちの声がします。
珍しく家で遊んでいた太郎と秀子が、おそろいの藁草履をつっかけて土間から裏口へかけだしていきました。
健ちゃんも急いであとを追いかけました。
よく太っていて顔は一つ年上の太郎よりも大きいのに、背は一つ年下の秀子と同じくらいしかありませんでした。
大きい頭をふりながら走ると、よたよたしていつでも秀子にさえ負けてしまいました。
健ちゃんはゆっくりと荒神様の石段を上がっていきました。
そこは、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、人夫としてこの村からかり出されて行った人たちが朝鮮から持って帰って植えたものだと伝えられている、三本のバベの木でこんもりとした森をつくり、空をおおって大きく広がった枝の下に荒神様の社がありました。
三本の親木は、そのどれもみな、健ちゃんたちが五人で手をつないでやっと抱えられるほどの大木でした。
社の前の広場で、五、六人の子供たちがじゃんけんをしていました。
つかまえ鬼です。
健ちゃんは初めてなのでじゃんけんなしで仲間入りをしましたが、すぐに鬼になってしまいました。
面白くて、はあはあ笑いながらみんなを追い回しました。
つかまえようとすると、くるりとかわされてしまいます。
今度こそやっとつかまえたと思うと、逆にやり返されてまた自分が鬼になるのです。
松の根方や、大小のバベの木を縫って、石の鳥居や灯籠(とうろう)のまわりをぐるぐる回りながら追いかけました。
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