チンセイは丁坊のそばにいる。
「チンセイさん。
もう一つの空魔艦は、ついてこないのかい」
「いや、一緒に来るはずだよ。
ほらほら、いま滑走をやっているよ」
丁坊は身体の自由がきかないから、外が見えない。
「もう一つの空魔艦は、なんという名前なの」
「ああ、あれかい、あれは『手の皮』というんだ」
「へえ、変な名前だね。
これが『足の骨』で、もう一つのが『手の皮』かい」
「足の骨」と「手の皮」の二機は、ぐんぐん高度をあげて、北の方にとんでゆく。
「チンセイさん」
と、また丁坊がよびかけた。
「なんだい、丁坊。
ちと黙っていろよ」
「だってチンセイさん。僕はこうして、いつまでたっても毛皮の袋の中に入れられたっきりだぜ。
いやになっちまうなあ。
チンセイさんから頼んで、僕を袋から出してくれないか。
僕はもう逃げやしないよ。
日本へ帰ることもあきらめている。
だけれど、こんな窮屈な袋の中にいれられているのはいやだ。
出して呉れればコックのことだって、ボーイの役目だってなんなりとするよ」
丁坊は熱心さを顔にあらわして、チンセイに頼んだ。
「そうだなあ」とチンセイはようやく本気になって、
「じゃあ一つ、機長の『笑い熊』さんに聞いてみてやろう」
「『笑い熊』だって?」
「ああそうだよ。
それが機長の名前なんだよ。
じゃおとなしくして、しばらく待っておれ、いいか」
チンセイは背広のポケットに両手を入れたまま立ちあがった。
難破船
丁坊は、チンセイの帰ってくる足音を、いまかいまかと待ちつづけた。
チンセイはうまく話をしてくれたかしら?「笑い熊」機長は、丁坊を自由にしてくれるかしら。
どやどやと、入りみだれた足音が近づいてきた。
チンセイ一人ではなさそうだ。
ではうまく行ったのかと思っていると、扉がガチャリと明いた。
真先に入ってきたのは、例の防毒面の怪人で、一番えらそうな人物――これこそ機長の「笑い熊」であると知られた。
そのうしろからチンセイや、主脳部の怪人たちがつづいた。
チンセイは「笑い熊」のうしろからとびだしてきて、丁坊のそばにすりよった。
「おい丁坊。
機長さんに話をしたところ、お前を自由にするまえに、一つ試験をするといっているぜ。
その代り、この試験に及第すれば、この空魔艦の一員にとりたててやるというのだ。
しっかりやれ」
丁坊は、うなずいた。
試験もよかろう。
とにかく早く自由にしてもらわねば、どうすることも出来やしない。
「笑い熊」が手をあげて合図すると怪人たちは太い針金でもって、丁坊の身体をぐるぐると捲いてしまった。
どうするのかと思っていると、「笑い熊」がチンセイをよんで、なにごとかを命令した。
それを聞いていたチンセイは、窓のそとをのぞいて、さっと顔色をかえた。
そして丁坊のそばによって、気の毒そうな声でいった。
「丁坊、いまから試験が始まるそうだ。
これからお前は、地上におろされるのだ。
そしてそれから先、どんな目に遭おうとも、黙って我慢していて、後にわれわれが迎えに行くまで待っているのだ、いいか」
地上におろされる?
どういう風におろされるのだ。
彼の身体は、いま針金でぐるぐる巻きにされている。
なんだか一向わからない。
「笑い熊」が、またさっと手をあげた。
すると怪人たちは、いきなり毛皮の袋に入った丁坊をだきあげて、窓の外に出した。
「呀ッ、――」
目がくらくらした。
はるかに何百メートル下の氷原が、きらきら光っている。
丁坊の身体は、そろそろと下る。
針金がだんだんのばされるのだ。
針金一本が丁坊の生命の綱だ。
おそろしい宙釣りとなった。
ぱたぱたと板のように硬い風が、丁坊の頬をなぐる。
そして身体はゴム毬のようにゆれる。
いまは遉の丁坊も生きた心持がない。
一体どうするのか。
このまま下すのだろうか。
どこへ下して、なにをさせようというのか。
このとき丁坊は、すこしずつ近づく下界を見た。
いま空魔艦は、だんだん高度を下げながら一つところをぐるぐる廻って飛んでいるようだ。
「おお、あれは何だ」
そのとき丁坊の眼に入ったものはなんであったか?
「船だ、船だ!」
それは船であった。
氷原の真只中に、氷にとざされて傾いている巨船であった。
ああ北極の難破船! あれが着陸地らしい。
なぜ丁坊は、そんなところへ、ただ一人で下ろされるのか!
いよいよ奇怪な空魔艦の行動であった。
吊り綱
空魔艦の上から、一本の綱でもって宙につりさげられた丁坊は、気が気ではない。
丁坊の身体こそは温い毛皮で手も足も出ないように包まれているけれど、顔はむきだしになっていて、氷のような風がびゅうびゅうと頬ぺたをうつ。
顔一面がこわばってしまって、すっかり感じがなくなり、まるで他人の顔のような気がするのであった。
下はまっしろに凍りついた氷原である。
ものの形らしいのは、氷上の難破船一つであった。
「あれはどこの国の船だろうかなあ」
もちろん檣には、どこの国の船だかを語る旗もあがっていず、太い帆げたも、たるんだ帆綱もまるで綿でつつんだように氷柱がついている。
丁坊をつりさげた綱は風にあおられて、いまにもぷつりと切れそうだ。
切れたが最後、いのちがない。
なにしろ氷上までは少なくとも七八百メートルはあるだろう。
綱が切れれば、身体は弾丸のように落ちていって、かたい氷にぶつかり、紙のように潰れてしまうであろう。
迫ってくるこわさに、ともすれば丁坊の気は遠くなりそうだ。めまいがする。
頭はずきんずきんと痛む。
「こりゃあ、もう生きてはいられないかもしれないぞ。
空魔艦の乗組員ってやつらは、なんてひどい連中なんだ」
丁坊は、曲がらない首を無理やり曲げて、上を見上げた。
空魔艦は、ゆうゆうと上空を飛んでいる。
「おや、また綱を送り出しているぞ」
丁坊が出てきた窓のところから、四、五人のマスクをつけた顔がのぞいている。
そして、にゅっと突き出された手が、しきりに綱を下へと下ろしている。
「いくら綱を長くしたって、とても氷の上までは届かないのになあ」
そう思っているうちに、丁坊の身体は急にものすごいスピードで、どーんと落下を始めた。
「わっ、綱が切れたんだ!」
丁坊は、びっくりして息が詰まった。
目を開けようとしても、しばらくは怖くて目が開かなかった。
いよいよもうおしまいだ。
「笑い熊」機長の大うそつきめ!
その数十秒の間は、丁坊が生生まれて初めて味わう、めちゃくちゃに恐ろしい時間だった。
だけど、「これでいよいよ自分は死ぬんだな」と覚悟が決まると、今度はなぜか急に気がラクになった。
そして変なことに、なんだか急にすごくおかしくなってきたんだ。
あはは、と声を出して笑い出したくなるような気持ちにさえなった。
「――おや、僕は気がおかしくなっちゃったのかな」
気が変になるなんて、なんて情けないことだろうと、丁坊は歯をくいしばって悔しがった。
「もうどうにでもなれ!
これ以上、自分にはどうすることもできないんだから」
丁坊はすべてを諦めて、それならばせめて日本人らしく、笑って死のうと思った。
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