初級翻訳・妖怪博士 第5話

妖怪博士

ここにもまた、おかしなからくりがあって、本棚の奥に秘密の部屋が作られていたのです。
博士はそのまっくらなせまい部屋にはいると、本棚のトビラをもとどおりにしめて、電気のスイッチをカチッと入れました。
なんてふしぎな部屋でしょう!
部屋のひとつのすみには、三十も四十もひきだしがついた大きな台があって、その上に床屋さんにあるような、すてきな鏡が立っています。
それから、四つの壁には、何十着あるかわからない洋服、和服、コートや帽子などが、古着屋さんのようにずらりとつるされていて、その下には、いろんな形の靴、ぞうり、下駄(げた)、雨傘などが、きれいに並べられているのです。
博士はそこにはいると、いきなり黒い衣のようなものをぬぎすて、シャツ一枚になって鏡の前のイスにすわりました。
すると、ここから本当におそろしい、ふしぎなことが始まったのです。
博士はまず、めがねをはずして台の上に置き、両手で白髪(しらが)のまじった髪の毛をつかむと、まるで帽子でもぬぐように、スルッと頭からはぎ取ってしまいました。
そして今度は、口ひげと三角形のアゴひげに手をかけ、これもメリメリと力任せにはがしてしまったのです。
ああ、なんてことでしょう!
博士は二重に変装をしていたのです。
さっきまでは、きたない乞食(こじき)のおじいさんに化けていて、その変装をとったかと思ったら、その下にまだ、かつらやつけひげが隠れていたのです。
それらをすべてとりさった今の姿こそ、まちがいなく本当の蛭田博士の姿でした。
見てみると、黒々とした髪の毛に、つやつやとした若い顔の肌。
お年寄りどころか、まだ三十才を少しすぎたばかりの、若い男性だったのです。
博士は鏡の下のひきだしをあちこち開けて、何かをさがしているようすでしたが、やがて、クシャクシャにみだれたおばあさんの白髪(しらが)のかつらをとりだして、手早く頭にかぶりました。
つぎには、絵の具のパレットがたくさん並んだひきだしを開け、絵筆を手に取ると、鏡をのぞき込みながら自分の顔に何かをかき始めました。
みるみるうちに、鏡の中の顔が、ものすごいたくさんのしわだらけのおばあさんの顔に変身していきます。
まゆ毛もまっ白にそめられ、歯のところどころには、まっ黒でうすい金属のカバーのようなものがはめられて、あっと言う間に歯のぬけたおばあさんの口ができあがりました。
顔のメイクが終わると、博士はイスから立ち上がり、壁にかかっている衣装の中から、西洋のおばあさんが着るような白っぽい上着と、ヒダがたくさんついたスカートを選んで手際よく着こみ、その上から大きな茶色のショールを肩にかけました。
足には靴下もはかず、そこに置いてあった不格好な木靴(きぐつ)をそのまま引っ掛けました。
そうしてできあがった変装は、西洋の昔ばなしに出てくる魔法使いのおばあさんそっくりでした。
おばあさんは、体を二つに折り曲げたように腰をかがめ、両手をうしろにまわして、歯のない口をモグモグさせながら、ヨチヨチと歩きはじめました。
その小部屋の本棚とは反対側に、小さなくぐり戸がついています。
おばあさんはそれをカギで開けると、その向こうの穴ぐらのようにまっくらな場所へ、入っていきました。
どうやらそこに地下へおりる秘密の階段があるらしく、おばあさんの姿は、コトン、コトンと、一段ずつ下へおりていくのが見えました。
さて、ところ変わってこちらは、泰二(たいじ)くんです。
アッと思った瞬間、足の下の床板がすっかり消えてしまったような気がして、体がスーッと宙に浮いたかと思うと、すべすべした、公園のすべり台のようなものの上に落っこちて、そのままものすごいスピードで下へすべっていきました。
やがて、ドシンとなにかかたいものにぶつかったと感じましたが、そこが穴ぐらの底でした。
おしりのあたりが少し痛かっただけで、体にけがはないので、すぐに立ちあがってまわりを見まわしました。
いま落ちてきた穴もすっかりふさがれてしまったらしく、そこは夜の闇(やみ)のようにまっくらです。
ただ、穴ぐらの真ん中あたりに石で作った囲炉裏(いろり)のようなものがあって、その中で少しばかりのたきぎが、チロチロと赤い舌を出して燃えています。
明るさといえば、ただその火の炎(ほのお)だけなのです。
でも、暗やみに目が慣れてくるにつれて、穴ぐらのようすがうっすらとわかってきました。
広さは八畳ほどもあるでしょうか。四方の壁はゴロゴロとした大きな石で積み上げられていて、地下室というよりも、太古のむかしの穴居生活(きょいせいかつ)の洞窟(どうくつ)といった感じです。
火の燃えている囲炉裏の上には三本の木の枝を組み合わせて三脚のようなものが立てられ、そこにヘンな鍋(なべ)がつりさげられています。
鍋の中に何が入っているのか、下の火であぶられてグツグツと煮えたぎり、白い湯気がもうもうと立ちのぼっています。
それから、囲炉裏のすぐそばに、大きな木のイスが一脚ぽつんと置かれているのでした。それは西洋のおとぎ話に出てくるような、ちょっと奇妙な形をした古めかしいイスでした。両方のひじ掛けはヘビの形に彫刻されていて、前から見ると、二匹のヘビが大きな口を開けて、今にもこちらへ飛びかかってきそうに思えるのです。
それが、いろりのかすかな赤い炎にてらされて、生きているかのようにもの恐ろしく見えます。
泰二君は、あんな陰気で気味の悪い穴ぐらが、東京の真ん中にあろうとは夢にも思いませんでした。
話に聞く、暗やみの地獄へでも落ち込んだような、なんともいえない気味の悪さです。
あまりにもありえない景色なので、ひょっとしたら、恐ろしい夢を見ているんじゃないかと疑いたくなるほどでした。
ところが、そうしてしばらく穴ぐらを見まわしているうちに、今度はいきなり背中につめたい水をかけられたように、心の底から震えあがるほど恐ろしいことが起こりました。
ふと見ると、向こうの暗やみの中に、ぼんやりと何かしらほの白いものの姿があらわれたのです。
泰二君は幽霊などは信じないのですが、なにせ場所がこんな気味の悪い穴ぐらのなかですから、もしや幽霊が出たのではないかと、ゾッと身もすくむ思いでした。
そのものは、やみの中を少しずつ、少しずつこちらへ近づいてきます。
近づくにしたがって、だんだんその姿がはっきり見えてきました。
足で歩いているようすですから、まさか幽霊ではありますまい。
しかし、これは幽霊などよりもいっそう恐ろしく、不気味な姿をしています。
銀色の針金のようなまっ白な白髪(しらが)がもじゃもじゃともつれ、肩のあたりまで垂れ下がっています。
その白髪の下に、うす黒いしわくちゃのおばあさんの顔が、歯のぬけた口を開けてニヤニヤと笑っているのです。
上半身をおおいかくした茶色の古いショール(肩かけ)の下から、ひだの多いスカートが垂れ下がり、足には先のとがった木靴をはいています。
西洋の妖婆(ようば)です。
魔法使いのおばあさんです。
さすがの泰二君もそれを見ると、「アッ」と声をあげて、思わず部屋のすみへと逃げこんでしまいました。
「オホホホ……、よく来たね。
いい子だから逃げるんじゃないよ。
おばあさんがおもしろいお話をしてあげるからね。

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