夜、子守の女の子であるバルカは、聞き取れないほどの小さな声で子守歌を歌いながら、赤ん坊の寝ているゆりかごをゆらしていました。
「ねんねんよー。
ねんねんよー。」
神棚の前には、ランプが緑色の光を灯しています。
壁から壁へと細いひもが張られていて、赤ん坊の服や大きなズボンなどが、うす暗くぶら下がっています。
ランプのつり下げられているすぐ上の天井が、丸く大きく緑色に光り輝いて、赤ん坊の服やズボンの影を、ゆりかごの上や、小さくうずくまっているバルカの肩の上に落としています。
ランプの火がゆれると、天井の丸い明るさやいろんなものの影が、まるで風に吹き飛ばされたみたいにゆらゆらと揺れます。
部屋の中は息が詰まるほど静かで、スープと靴のにおいがしています。
赤ん坊がヒイヒイと泣きます。
あまりにも泣きすぎて、もう声もガラガラになっているのに、それでもまだ泣きやみません。
いったい、いつになったら泣き足りるのでしょうか。
バルカは眠くて眠くてたまりません。
頭はだらりと垂れ下がり、首は突っ張って苦しくなり、まぶたも唇もピクリとも動きません。
顔はひからびて、石のようにカチカチにこわばっています。
頭が、まるでピンの頭くらいに小さくなってしまったような気がします。
「ねんねんよー。
ねんねんよー。」
バルカは途切れ途切れに歌いました。
まわりではコオロギがチルチルと鳴いています。
隣の部屋からは、ご主人とおかみさんのいびきが聞こえてきます。
ランプがゆらりと揺れました。
緑色の明るさとものの影があちこちに動き回り、バルカの動かない目の中に、そっとすべり込んできました。
すると、眠りかけているバルカの頭の中に、いろんな幻が浮かんできました。
――
空を、雲が赤ん坊のように泣きながら、バラバラになりながら飛んでいきます。
と、風が吹いてきて雲が消え、今度は、ドロドロにぬかるんだ広い道が見えてきました。
道の両側には、冷たい霧を通して丘が見えます。
突然、誰だか袋をしょった、影みたいな人が、グシャッとぬかるみで転びました。
「どうしたの?」とバルカが聞くと、
「眠るんだ。
眠るんだよ。」と答えます。
すると、電線にとまっているカラスが、赤ん坊のように泣き叫んで、眠ってしまったその人を起こそうとします。
「ねんねんよー。
ねんねんよー。」
バルカはまたつぶやくように歌います。
すると今度は、自分がまっ暗な、息の詰まるような家の中にいるのが見えてきました。
床の上にはお父さんが寝ています。
お父さんはとてもひどいぜんそくで、息をするのもやっとです。
もちろん言葉もしゃべれません。
ただ息をはき出すたびに、機械のような音がのどから漏れるばかりです。
「ぐる、るる。
ぐるるる。
ぐるるる。」
お母さんは、お父さんが死にかかっていることを知らせに、地主さまのところへ行きました。
さっき、もうずっと前に行ったのに、いつになったら帰ってくるのでしょうか。
バルカは横に寝ころんで、お父さんの「ぐるるる」という音を聞いていました。
誰かが、戸口に馬車をとめました。
地主さまのお屋敷からよこしてくださったお医者さまです。
お医者さまは家の中に入ってきました。
まっ暗なので姿は見えません。
その人がせきをするのと、戸がきしむ音だけが聞こえます。
「あかりをつけろよ。」
お医者さまが言います。
「うー、ぐるるる。
ぐるぐる。」とお父さんが答えます。
お母さんが帰ってきて、マッチを探し始めました。
「先生さま、すぐでございます。
すぐでございます。」
お母さんはそう言いながら、ろうそくをともして、表へとび出して、先生といっしょに戻ってきました。
「どんな具合だ。」お医者さまは病人をのぞきこんで聞きました。
「おい、おかみさん、お前たちは病人をほったらかしにしておいたんだな。」
「へえ、いや、先生さま、もうお迎えが来るんでさあ、どっちみちもう長いことはありません。」
「バカ。
おれが治してやるよ。」
「お願いしやすだ。
へえ、どうもありがとうございますだ。
でも、どうせ死ななきゃなんねえんだら、やっぱり死ななきゃなりません。」
「これは病院に入れなきゃだめだよ。」
お医者さまは、診察をすると言いました。
「今すぐ行くといいんだが、今夜はもうおそいな。
病院じゃみんな寝てるかもしれない。
まあいいだろう。
心配するな。
おれが今手紙を書いてやるからな。」
「あのう、先生さま。」と、お母さんが困ったように言いました。
「うちにや馬がないんで。」
「馬がない? うん、じゃあ一頭貸してもらうように地主にはなしてやろう。」
お医者さまは帰ります。
あかりは消されました。バルカは、ただお父さんの「ぐる、るる。」という音を聞いているばかりでした。
半時間ほどすると、家の戸口に馬車がやってきました。
こんどの馬車は、お父さんを病院へ連れていくためのものです。
こうして、お父さんは病院へ行ってしまいました。
夜が明けて、すっきりと晴れわたった朝がやってきました。
お母さんはお父さんのことが心配でしかたがないので、病院へと出かけていきました。
すると、赤ん坊がまた泣き出しています。
そのそばで、誰かが子守歌を歌っています。
「ねんねんよー。
ねんねんよー。」
しばらくして、お母さんが帰ってきました。
「ゆうべはあんなによかったのに……」
お母さんは、すすり泣きをしながらそうつぶやきました。
バルカは胸がいっぱいになり、森の中へ入っていくと、ひとりでしくしくと泣きました。
「お父さんは死んでしまったんだ。
ああ、お父さん……!」
「ごつん!」
と頭を強くぶたれて、バルカはハッと目がさめました。
目の前には、こわい親方が立っています。
「おい、いったいなにをしてやがるんだ!
坊やがこんなに泣いているじゃないか。
居眠りなんしてるやつがあるか!」
親方は、そう言うとまたピシャリとバルカの頬をなぐりつけました。
バルカはまた、うとうとしながらゆりかごを揺すり、子守歌を歌い始めます。
部屋の中の影たちはぶるぶるへんてこに震え動き、バルカに向かってまばたきをしてみせると、すぐにまたバルカの頭の中にすべりこんでいき、奇妙なまぼろしになりました。
――
また、ドロドロのぬかるみが見えてきました。
袋をしょった人が、グシャッと転んで、ぐうぐうと深く眠りこんでしまいます。
あぁ、あんなふうにゴロリと横になって眠れたなら……。
あぁ、眠い、眠い、眠い!
だけど、お母さんがやってきて、「早く、早く!」と急かします。
バルカはお母さんと一緒に、町へ仕事を探しに行くのです。
「どうぞ、一銭くだだい……。」
お母さんは、すれ違う人ごとに声をかけます。
「その子をこちらにおくれよ。」
なんだか聞いたことのあるような声がします。
「おい、その子をおくれつったら!」
「はっ!」と、バルカは飛び起きました。
今度は、おかみさんがすぐそばに立って、すごい目でにらみつけています。
「おまえ、寝ていたんだね。
このばか!」
バルカはだまってポツンと突っ立っています。
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