初級翻訳・少年探偵団 第31話

少年探偵団

ああ、なんという用心ぶかさでしょう。
まんいちのばあいのために、彼はぬけ穴の中へ、こんな変装用の衣装をかくしておいたのです。
「おっと、わすれちゃいけない。
まず髪の毛の染料と顔のしわを落とさなくっちゃあ。」
 二十面相は、じょうだんのようにつぶやきながら、懐中から銀色のケースをとりだし、その中の揮発油をしみこませた綿をちぎって頭と顔をていねいにふきとるのです。
綿をちぎってはふき、ちぎってはふき、何度となくくりかえしているうちに、老人のしらが頭は、いつのまにか黒々とした頭髪となり、顔のしわもあとかたもなくとれて、若々しい青年にかわってしまいました。
「これでよしと、さあ、いよいよおまわりさんになるんだ。
泥棒がおまわりさんに早がわりとござあい。」
 二十面相は、きゅうくつな思いをして、やみの中の着がえをしながら、さもうれしくてたまらないというように、低く口笛さえはじめるのでした。
裏のあき家というのは、日本建ての商家でしたが、その奥座敷でも、ちょうど大鳥時計店の奥座敷と同じように、一枚の畳があげられ、床板がはずされ、その下に黒い土があらわれていました。
その土のまんなかに、ここには鉄板のふたなどなくて、ポッカリとぬけ穴の口が大きくひらいているのです。
ぬけ穴のまわりには、五名の制服警官が、あるいは床下に立ち、あるいは畳にこしかけ、あるいは座敷につっ立って、じっと見はりをつづけていました。
むろん電燈はつけず、いざというときの用意には、中のふたりが懐中電燈をたずさえているのです。
「明智さんがもう少し早く、このぬけ穴を発見してくれたら、塔をぬすみだした手下のやつも、ひっとらえることができたんだがなあ。」
 ひとりの警官が、ささやき声で、ざんねんそうにいいました。
「だが、二十面相さえとらえてしまえば、手下なんか一網打尽だよ。
それにぬすまれた塔はにせものだっていうじゃないか。
ともかく親玉さえつかまえてしまえば、こっちのもんだ。
ああ、早く出てこないかなあ。」
 べつの警官が、腕をさすりながら、待ちどおしそうに答えるのです。
たばこをすうのもえんりょして、じっと暗やみの中に待っている待ちどおしさ。
まるで時間が止まってしまったような感じです。
「おい、何か音がしたようだぜ。」
「エッ、どこに?」
 思わず懐中電燈をつかんで立ちあがったことが、いく度あったでしょう。
「なあんだ、ネズミじゃないか。」
 当の二十面相は、いつまでたっても、姿をあらわさないのでした。
しかし、おお、こんどこそは、人間です。
人間が穴の中からはいだしてくる物音です。
サラサラと土のくずれる音、ハッハッという息づかい、いよいよ二十面相がやってきたのです。
五名の警官はいっせいに立ちあがって、身がまえました。
二つの懐中電燈の丸い光が、左右からパッと穴の入り口を照らしました。
「おい、ぼくだよ、ぼくだよ。」
 意外にも、穴をはいだしてきた人物が、したしそうな声をかけるではありませんか。
それは怪盗ではなくて、ひとりの若い警官だったのです。
見知らぬ顔ですけれど、きっとこの区の警察署の警官なのでしょう。
「賊はどうしました。
逃げたんですか。」
 見はりをしていた警官のひとりが、ふしんそうにたずねました。
「いや、もうとらえました。
明智さんの手引きで、ぼくの署のものが、しゅびよく逮捕したのです。
あなたがたも早くあちらへ行ってください……。
ぼくはこのぬけ穴の検分をおおせつかったのです。
もしや同類がかくれてやしないかというのでね。
しかし、だれもいなかったですよ。」
 若い警官は、手錠をガチャガチャいわせながら、やっと穴をはいだして、五人の前に立ちました。
「なあんだ、もう逮捕したんだって?」
 こちらは、せっかく意気ごんだのにむだになったと知って、がっかりしてしまいました。
いや、がっかりしたというよりも、他署のものに手がらをうばわれて、すくなからず不平なのです。
「明智さんから、あなたがたに、もう見はりをしなくっていいから、早くこちらへ来てくださいということでしたよ……。」「ぼくはちょっと、署まで用事がありますから、これで失敬します。」
 若い警官はテキパキといって、暗やみの中を、グングンあき家の表口のほうへ歩いていきました。
とりのこされた五人の警官は、なんとなくふゆかいな気持で、きゅうに動く気にもなれず、
「なあんだ、つまらない。」
 などとつぶやきながら、ぐずぐずしていましたが、やがて、その中のひとりが、ハッと気づいたようにさけびました。
「おい、へんだぜ。
あの男、ぬけ穴の調査を命じられたといいながら、報告もしないで、署に帰るなんて、少しつじつまがあわないじゃないか。」
「そういえば、おかしいね。
あいつ穴の中をしらべるのに、懐中電燈もつけていなかったじゃないか。」
 警官たちは、なんとも形容のできない、みょうな不安におそわれはじめました。
「おい、二十面相というやつは、なんにだって化けるんだぜ。
いつかは国立博物館長にさえ化けたんだ。
もしや今のは……。」
「エッ、なんだって、それじゃ、あいつが二十面相だっていうのか。」
「おい、追っかけてみよう。
もしそうだったら、ぼくらは係長にあわす顔がないぜ。」
「よしッ、追っかけろ。
ちくしょう逃がすものか。」
 五人は、あわただしくあき家の入り口にかけだして、深夜の町を見わたしました。
「アッ、あすこを走っている。
ためしによんでみようじゃないか。」
 そこで一同声をそろえて、
「オーイ、オーイ。」とどなったのですが、それを聞きつけた相手は、ヒョイとふりかえったかと思うと、立ちどまるどころか、まえにも増した勢いで、いちもくさんに逃げだしたではありませんか。
「アッ、やっぱりそうだ。
あいつだ。
あいつが二十面相だっ。」
「ちくしょう、逃がすものか。」
 五人はやにわに走りだしました。
もう一時をすぎた真夜中です。
昼間はにぎやかな商店街も、廃墟のように静まりかえり、光といってはまばらに立ちならぶ街燈ばかり、人っ子ひとり通らないアスファルト道が、はるかにやみの中へ消えています。
その中を、逃げるひとりの警官、追いかける五人の警官、キツネにでもつままれたような奇妙な追跡がはじまりました。
若い警官は、おそろしく足が早いのです。
町かどに来るたび、あるいは右に、あるいは左に、めちゃくちゃに方角をかえて、追っ手をまこうとします。
そして、さしかかったのが、中央区内の、とある小公園の塀外でした。
右がわは公園のコンクリート塀、左がわはすぐ川に面している、さびしい場所です。
二十面相は、そこまで走ってきますと、ヒョイと立ちどまって、うしろをふりかえりましたが、五人のおまわりさんはまだ町かどの向こうがわを走っているとみえて、追っ手らしい姿はどこにも見えません。
それをたしかめたうえ、二十面相は何を思ったのか、いきなりそこにうずくまって、地面に手をかけ、ウンとりきみますと、さしわたし五十センチほどの丸い鉄板が、ふたをひらくように持ちあがり、その下に大きな黒い穴があきました。
水道のマンホールなのです。

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