初級翻訳・妖怪博士 第26話

妖怪博士

この好敵手は、たがいにその心中の秘密を、手に取るように読みあっていたのです。
使いの運転手は、その場から警視庁に連行され、げんじゅうな取りしらべをうけましたが、ただ道で出あったきたないじいさんから、千円の謝礼をもらって、何も知らず手紙をとどけたのだということがわかりました。
かくして、名探偵と怪盗との知恵くらべのたたかいは、いよいよ本舞台にはいりました。
正体をあらわした二十面相は、つぎにはどんなおそろしい悪だくみをするでしょう。
ああ、なんだか、少年探偵団員たちの身のうえが、気づかわれるではありませんか。
前回のできごとがあってから数日後の、ある夕方のことでした。
少年探偵団員のひとり、小泉信雄という小学校六年生の少年が、学校からの帰り道、ただひとり、渋谷のある小さな公園の中を通りかかりました。
小泉君は学校の野球チームの選手だものですから、その練習のために、こんなに帰りがおそくなったのです。
ちょうど夕飯時なのと、もう人の顔も見わけられぬほど、うす暗くなっていますので、小さな公園の中はひじょうにさびしく、いつもは幼い子どもで、ウジャウジャしている、すべり台や砂場にも、人の影さえ見えません。
小泉君は、その公園が近道だものですから、毎日通りぬけるのですが、こんなにさびしいのははじめてでした。
あの大ぜいの子どもたちは、どこへかくれてしまったのだろうと、ふしぎに思われるほどでした。
ところが、公園の中ほどまで歩いていきますと、そこのブランコの前に、五歳ぐらいの、おかっぱの女の子が、つっ立ったまま、両手を目にあてて、シクシク泣いているのに出あいました。
人っ子ひとりいないうす暗がりの中で、おいてけぼりにでもあったように、さも、さびしそうに泣いている女の子を見ますと、なんだかかわいそうでたまりませんでした。
小泉君はツカツカとそのそばによって、女の子の肩に手をかけ、そのかわいらしい顔をのぞきこみながら、声をかけました。
「どうしたの? なぜ泣いているの?」
 すると女の子は、目にあてていた両手をはなして、パッチリとしたお人形のような目で、小泉君を見あげ、泣きじゃくりながら、
「おうちがわかんないの。」と、かすかに答えるのです。
「ああ、まい子なんだね。
きみひとりでこんなところへ来たの? だれかといっしょに来たの?」
「おじちゃんがいなくなったの。」
「ああ、おじさんといっしょに来て、どっかではぐれてしまったんだね。
こまったなあ。
きみんちいったいどこなの。
遠いの?」
「ズーッとあっちなの。
あたちわかんないの。」女の子は、もつれる舌でそういって、またシクシク泣きはじめました。
こんな幼い子どもに、いくらたずねても、住所がいえるわけはありません。
小泉君はこまってしまいましたが、もしやまい子札をつけてはいないかと、ふと気がついて、女の子のからだを見まわしますと、うまいぐあいにエプロンのわきの下のところに、小さな銀色のメダルのようなものがぶらさがっていて、それに「世田谷区池尻町二二〇 野沢愛子」と彫りつけてあるのが発見されました。
「池尻町ならばわけはないや。
電車にのれば十分もかからないで行ける。
よしっ、ぼくが送っていってあげよう。
きみのおうちでは、どんなに心配しているかしれやしないんだからね。」小泉君は半分ひとりごとのようにつぶやいて、女の子の手を引きますと、急いで公園を出て、近くの停留場へ急ぎました。
これが少年探偵団の精神なのです。
犯罪者とたたかうばかりでなく、とくいの探偵眼を利用して、少しでも世間のためになることなら、喜んではたらくというのが、団員たちの日ごろの申しあわせなのでした。
池尻町の停留場で電車をおりて、二百二十番地をさがしますと、愛子ちゃんのおうちは、ぞうさもなくわかりました。
そのへんはいけがきでかこまれた、庭のひろい邸宅がならんでいる、さびしい町でしたが、そのいけがきにはさまれて高い板塀をめぐらす洋館の門に、野沢という表札が出ていたのでした。
愛子ちゃんは、「ここよ。
ここ、あたちのおうちよ。」とさけぶと、小泉君の手を引っぱって、大喜びで門の中へかけこみました。
門をはいってみますと、さしてりっぱな建物ではありませんが、それでも、なかなか大きい木造の洋館がたっていました。
庭などもひろいようすです。愛子ちゃんが、うれしさのあまり大きな声をあげたので、おうちの人も早めに気づいたようで、玄関のドアが開くと、そこから五十歳ぐらいの、あごひげをはやしたりっぱな紳士の顔がのぞきました。
それを見るやいなや、愛子ちゃんは「おじちゃん!」と叫んで、いきなり紳士の胸にとびついていきました。
この人に連れられていて、迷子になったに違いありません。
「おお、愛子ちゃん、よく帰ってきたね。おじちゃんはどんなに心配していたかしれやしないよ」
紳士はそう言って女の子の頭をなでていましたが、ふとそこに小泉君が立っているのに気づくと、ニコニコしながら声をかけました。
「ああ、きみが連れてきてくださったのですか。ありがとう、ありがとう。うちでは大騒ぎをしていてね。いま電話で警察へ捜索を願おうと思っていたところですよ。まあ、こちらへお入りください。いろいろお聞きしたいこともあるし、お礼も申しあげたいし、立ち話もなんだからね。きみ、ちょっとこちらへ入ってください」

小泉君は、女の子を送り届けてしまったらもう用事はないのだから、そのまま帰ろうと思っていたのですが、紳士が玄関の外に出てきて、手を取るようにしてすすめるので、それをふりきって帰るわけにもいかず、つい家の中へさそいこまれてしまいました。
入ってみると、まさかこの大きなおうちに、老紳士と愛子ちゃんのふたりきりで住んでいるわけではないでしょうが、妙なことに、おばさんも、女中も、書生も、だれも出てこないのです。
家の中が、なんだか空き家のようにガランとしていて、へんにうそ寒いような感じなのです。
いや、妙なのは家ばかりではありません。
老紳士の風采(ふうさい)がまた、ひどく変わっていました。
半白の長い頭髪をオールバックにして、ピンとはねた軍人のような口ひげと、三角に刈ったいかめしいあごひげをたくわえ、黒いふちの大きなロイドめがねをかけ、西洋の衣とでもいった感じの、黒いダブダブした服を着ているのです。
読者諸君は、この風采をお考えになっただけで、その紳士が何者であるか、もうお気づきのことと思います。
お察しのとおり、それはあのおそろしい妖怪博士・蛭田でした。
いうまでもない、二十面相が化けているのです。
しかし、小泉君は、蛭田博士の名は知りすぎるほど知っていましたけれど、会ったことは一度もないのですから、まさかそれがおそろしい二十面相の変装姿であろうとは夢にも知らず、ただ「妙なおじさんだな」と感じたばかりでした。
ああ、あぶない。
小泉君はまんまと敵のわなにおちいったのを、まだ少しも気づいていないのです。
二十面相は、小泉君を家の中にさそいいれて、いったい何をしようとするのでしょうか。
それにしても、いたいけな女の子をわざと迷子にして、やすやすと小泉少年をおびきよせるとは、なんと心にくい手ぎわではありませんか。

「ほんとうにありがとう。

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