「よし、ここでいい」
二十面相の青年紳士は自動車をとめさせ、料金をはらうと、そのまま丘の上へとのぼっていき、木立ちをくぐって、洋館の玄関へはいってしまいました。
読者諸君、ここが二十面相のかくれがでした。
賊はとうとう安全な巣くつへ逃げこんでしまったのです。
では、明智探偵のせっかくの苦心も水のあわとなったのでしょうか。
二十面相は、かんぜんに探偵の目をくらますことができたのでしょうか。
美術室の怪
二十面相がドアをあけて玄関のホールに立つと、その物音を聞きつけて、ひとりの部下が顔を出しました。
頭の毛をモジャモジャにのばして、顔じゅうに無精ひげのはえた、きたない洋服を着た男です。
「お帰りなさい……大成功ですね」
部下の男はニヤニヤしながら言いました。
何も知らないらしいのです。
「大成功? おや、何を寝ぼけているんだ。おれはマンホールの中で夜を明かしてきたんだぜ。近ごろにない大失敗さ」
二十面相はおそろしいすごい剣幕で怒鳴りつけました。
「だって、黄金塔はちゃんと手に入ったじゃござんせんか」
「黄金塔か、あんなもの、どっかへ放り出しちまえ。おれたちは、にせものをつかまされたんだよ。またしても、明智のやつのおせっかいさ。それに、こにくらしいのは、あの小林という小僧だ。お手伝いに化けたりして、チビのくせに、いやに知恵のまわる野郎だ」
部下の男は、首領の八つ当たりにオドオドしながら、
「いったいどうしたっていうんですか? あっしゃ、まるでわけがわかりませんが」
と、ふしぎそうな顔をしました。
「まあ、すんだことはどうだっていい。それより、おれはねむくってしかたがないんだ。何もかもねむってからのことだ。それから、新規まきなおしだ。あーあ……」
二十面相は大きなあくびをして、フラフラと廊下をたどり、奥まった寝室へ入っていきました。
部下の男は二十面相を見送って寝室の外まで来ましたが、中からドアがしまっても、そこのうす暗い廊下に長いあいだたたずんで、何か考えていました。
五分ほどもそうしてじっとしていると、つかれきった二十面相は服も着かえないでベッドにころがったとみえ、もうかすかなんいびきの音が聞こえてきました。
それを聞くと、ひげむじゃの部下はなぜかニヤニヤと笑いながら寝室の前をさりましたが、ふたたび玄関にひきかえし、入り口のドアの外へ出て、向こうの林のしげみへ向かって、右手を二、三度大きくふり動かしました。
なんだか、その林の中にかくれている人に、合図でもしているような格好です。
夜が明けたばかりの、五時少し前です。
林の中は、まだゆうべの闇が残っているようにうす暗いのです。
こんなに朝早くから、いったい何者がそこにかくれているというのでしょう。
ところが、部下の男が手をふったかと思うと、その林の下のしげった木の葉がガサガサと動いて、その間から何かほの白い丸いものがぼんやりとあらわれました。
うす暗いのでよくわかりませんが、どうやら人の顔のようにも思われます。
すると、建物の入口に立っている部下の男が、今度は両手をまっすぐにのばして左右にあげたりさげたりする、鳥の羽ばたきのようなまねを三度くりかえしました。
いよいよへんです。
この男はたしかに何か秘密の合図をしているのです。
相手は何者でしょう。
二十面相の敵か味方か、それさえもはっきりわかりません。
その奇妙な合図が終わると、今度はいっそうふしぎなことがおこりました。
今まで林のしげみの中にぼんやり見えていた人の顔のようなものがスーッとかくれたかと思うと、まるで大きなけだものでも走っているように木の葉がはげしくざわめき、何かしら黒い影が木立ちの間を向こうのほうへ飛ぶようにかけおりていくのが見えました。
その黒い影はいったい何者だったのでしょう。
そして、あのひげむじゃの部下はなんの合図をしたのでしょう。
さて、お話はそれから七時間ほどたった、その日のお昼ごろのできごとにうつります。
そのころになって、寝室の二十面相はやっと目をさましました。
じゅうぶんねむったものですから、ゆうべのつかれもすっかりとれて、いつもの快活な二十面相にもどっていました。まず浴室にはいって、さっぱりと顔を洗いますと、毎朝の習慣にしたがって、廊下の奥のかくし戸をひらいて、地底の美術室へと、おりていきました。
その洋館には広い地下室があって、そこが怪盗の秘密の美術陳列室になっているのです。
読者諸君もごぞんじのとおり、二十面相は、世間の悪漢のように、お金をぬすんだり、人を殺したり、傷つけたりはしないのです。
ただいろいろな美術品をぬすみあつめるのが念願なのです。
以前の巣くつは、国立博物館事件のとき、明智探偵のために発見され、ぬすみあつめた宝物を、すっかりうばいかえされてしまいましたが、それからのち、二十面相は、また、おびただしい美術品をぬすみためて、この新しいかくれがの地下室に、秘密の宝庫をこしらえていたのです。
そこは二十畳敷きぐらいの広さで、地下室とは思われぬほど、りっぱな飾りつけをした部屋です。
四ほうの壁には、日本画の掛け軸や、大小さまざまの西洋画の額などが、ところせましとかけてありますし、その下にはガラスばりの台がズッとならんでいて、目もまばゆい貴金属、宝石類の小美術品が陳列してあります。
また、壁のところどころには、古い時代の木彫りの仏像が、つごう十一体、れんげ台の上に安置されています。
それらの美術品は、どれを見ても、みな由緒のある品ばかり、私設博物館といってもいいほどのりっぱさです。
地下室のことですから、窓というものがなく、わずかに、天井のすみに、厚いガラス張りの天窓のようなものがあり、そこからにぶい光がさしこんでいるばかりですから、美術室は昼間でも、夕方のようにうす暗いのです。
部屋の天井には、りっぱな装飾電燈がさがっていますけれど、二十面相は、新しい宝物を手に入れたときででもなければ、めったに電燈をつけません。
大寺院のお堂の中のような、おもおもしいうす暗さが大すきだからです。
そのうす暗い中でながめますと、古い絵や仏像がいっそう古めかしく尊く感じられるからです。
二十面相は、いま、その美術室のまんなかに立って、ぬすみためた宝物を、さも楽しそうに見まわしていました。
「フフン、明智先生、おれの裏をかいたと思って、得意になっているが、黄金塔がなんだ、あんなもの一つぐらいしくじったって、おれはこんなに宝物を集めているんだ。
さすがの明智先生も、ここにこんなりっぱな美術室があろうとは、ごぞんじあるまいて、フフフ……」
怪盗はひとりごとをいって、さもゆかいらしく笑うのでした。
二十面相は部屋のすみの一つの仏像の前に近づきました。
「じつによくできているなあ。なにしろ国宝だからね。まるで生きているようだ」
そんなことをつぶやきながら、仏像の肩のへんをなでまわしていましたが、なにを思ったのか、ふと、その手をとめて、びっくりしたように、しげしげと仏像の顔をのぞきこみました。
その仏像はいやになまあたたかかったからです。
あたたかいばかりでなく、からだ家がドキンドキンと脈うっていたからです。
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