初級翻訳・山彦乙女 第4話

山彦乙女

もう子どもっぽいつまらない妖怪話などを信じる年齢ではありませんでしたが、この一連の出来事のあまりの異様さと、なんだかゾッとするような不気味さには、かなり強烈なショックを受けていました。
――かんば沢。
もちろん見たこともありませんでしたが、きっとドス黒い草木がうっそうと茂り、妖怪や化け物がうじゃうじゃとうごめいている、妖しくて暗い不気味な谷間なのだろう――。
そんな恐ろしい景色が頭に思い浮かび、あの「白い亡霊の行列」や「狸ばやし」の話とともに、思い出すたびになんとも不快で、背筋が凍るようなゾッとする気分に襲われたものでした。
彼が十六歳になった年の七月のことです。
家のなかの「虫干し(衣類や道具を風に当てる作業)」をしているときに、偶然、叔父の遺品を目にすることになりました。
土蔵の中を片づけていると、かつて孫七が持って来たあの油紙の包みがひょっこり見つかったのです。
半之助はすぐに紐を解きました。
油紙は二重になっており、さらにその上から風呂敷できっちり包まれるという厳重さで、その中には数冊のノート(筆記)と、二枚の大きな地図のようなものが入っていました。
地図のうちの一枚は、武田氏の古いお城のあと(旧城址)と、そのまわりの小さな砦の位置を詳しく調べたもので、もう一枚は甘利郷のまわりの詳しい地図(略図)らしきものでした。
ノートのほうは、見聞を記録したものが二冊、日記が三冊、そしてもう一冊、表紙に「みどう清左衛門に関する調書」と書かれたものがありました。
半之助は少しためらいましたが、手ばやくその四、五枚をめくってみました。
とても達筆ではありましたが、文字の大きさや濃さがバラバラで統一がなく、激しく消したり書き加えたりしてあったため、薄暗い土蔵の中の光では、すらすらと読むのはちょっと難しかったです。
そして、その紙のなかに、いびつな菱(ひし)の形をした、家紋らしき絵を見つけたとき、お母さんが呼ぶ声が聞こえたため、慌ててそれを片づけてその場を立ち去りました。
いつかチャンスを見つけて、叔父の手記をゆっくりじっくり読んでみたいものだと思ったのですが、お父さんが半之助の様子に気づいたのか、あるいはどこか別の安全な場所へしまい込んでしまったらしく、あとで何度も探してみたのですが、二度と見つかることはありませんでした。
そして、時間の経過とともに、そのことも自然と忘れていってしまったのです。

落雷

一

 宝永(ほうえい)五年六月二日。
時の将軍・徳川綱吉は、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)のお屋敷で開かれる盛大な宴会に出かける予定でしたが、お城を出る直前になって、急にその予定が取りやめになりました。
ちょうど同じ日、安倍半之助(あべはんのすけ)の家では、亡くなったお父さん・伊右衛門(いえもん)の三回忌(亡くなってから満二年のお盆)にあたり、麻布(あざぶ)の南部坂(なんぶざか)にある昌雲寺(しょううんじ)で法事をおこなうことになっていました。
お寺には朝の十時に集まり、それが終わってから家に戻って昼食を振る舞う――という予定でした。
そのため、前の日のうちに、麻布谷町にある安倍の家から、プロの料理人が派遣されてきていました。また、その日の朝早くには、二番目の姉である佐枝(さえだ)が、若い召使いを三人連れて、手伝いにやって来ていたのです。
「なんだか大げさなことになっちゃったなあ。大層なお方の法事じゃあるまいし、これじゃ大がかりすぎて疲れちゃうよ」
 半之助は不機嫌そうに、キュッと眉をしかめました。「でも、谷町のほうでせっかくやってくれるっていうのに、断るわけにもいかないでしょう」
 お母さんのしづは、なんでもないことのように言いました。
「それに、このあとは七回忌(ななかいき)ですしねえ、三年目(三回忌)ならどこのおうちだってみんなこのくらいのことはしますよ」
「だけど、それだけの意味(理由)じゃないんだから」
 半之助は独り言のように口の中でぶつぶつとつぶやいて、それからその場を離れながら、声は小さめでしたが、きっぱりとした口調で言いました。
「僕は、お寺からまっすぐ脇のほうへ回ります(法事のあとの宴会には出ない)」
 お母さんは何も言いませんでした。
谷町(たにまち)に住む安倍家は、一族の本家(宗家)にあたる家だそうです。
本家などというと何やら大層な響きですが、もとはお徒士(おかち:低い位の武士)から出た八百石の旗本で、今の当主になってからというもの、時の権力者である柳沢(やなぎさわ)一派にうまく取り入り、現在は千二百石を知行する大御番(おおごばん)をつとめていました。
一方、こちらの安倍家は一族の末席にすぎず、わずか三百石あまりの新御番(しんごばん)でしかありません。
そのうえ、亡くなったお父さんの伊右衛門(いえもん)が、谷町の本家づきあいをひどく嫌っていたため、昔からごくたまにしか行き来がありませんでした。
それが、お父さんが亡くなったとたん、向こうから急にすり寄ってくるようになったのです。
半之助が新御番という役職につけたのも、実はこの谷町の本家が裏でいろいろと奔走してくれたおかげなのだそうです。
亡くなったお父さんも役職の席にはいましたが、もちろん世襲ですんなり決まるわけではなく、裏でしかるべき運動をしたり、贈り物やお金を包んだりしなければなりません。
それを谷町が進んでやってくれたということは、半之助にとってもありがたいことでした。
もしそうでなければ、ずっと仕事のない小普請(こぶしん)のままで、下手をすれば一生、退屈でたまらない生活を送らなければならなかったからです。
だけど、半之助はそれを素直に「ありがたい」とは思えませんでした。
冲左衛門(ちゅうざえもん)というその本家の当主は、時代の流れに乗って出世する人間にありがちな、あの押しつけがましさと、厚かましさと、そして強欲さをすべて兼ねそなえていたからです。
その息子の又五郎(またごろう)にいたっては、父親に輪をかけたような性格で、恥ずかしげもなく柳沢家にべったりと取りついており、まわりの人たちからは「柳沢の御用聞き(おべんちゃら使い)」などと陰でさげすまれていたのです。
それだけではありません。谷町が近づいてきた最大の理由の一つは、どうやら二女の佐枝(さえだ)を半之助のお嫁さんにしようという下心がどうもあるらしいのです。
――とんでもない話だ。
半之助はひとりで首を横に振りました。
お母さんのしづは、この谷町との縁組がぜひとも実現してほしいと願っていました。
相手は一族の本家であり、後ろにはあの柳沢という大きな勢力がついているからです。
こうした条件は、当時のたいていの母親がそうであるように、しづにとってもたまらなく魅力的に映ったのでした。
亭主が生きていたときは、亭主とおなじように本家を嫌っていたくせに、自分の子供の将来や出世のきっかけということになると、こうもあっさり考え方を変えることができるものらしいのです。
それが母親の愛情というものなのかもしれませんが、半之助にとってはかなりやりきれない思いでした。
寺へ先に出かけようとして玄関の方へ向かおうとすると、中廊下のあたりで佐枝とばったり出会いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました